Senti-G.com HOME>紀行文>西風の関門海峡
西風の関門海峡
〜仙台の103系と福岡のオフ会のお話〜
※この物語はフィクションです。実在の人物・地名・団体名・会社名・ゲーム名等とは一切関係ありません。
昨年11月から毎月続いている北海道脱出。6月は仙台と福岡に決めた。最近よく使うJALのバーゲンフェアを使って103系電車から205系電車に置き換えが続いている仙台の仙石線をからめて福岡に行こうという事。「福岡に何があるの?」と聞かれると「友人がいるから」としか返答の仕様が無い。「福岡に遊びに行く」ということである。別にフツーの話である。最近この福岡が面白い。もともと九州が好きだったというのもあるが、鉄道もJR九州は面白いし、西鉄にも興味がある。なんと言っても友人がいるというのが大きいかもしれない。最近は高松より面白くなってきた(爆)
バーゲンフェアの先行予約を使って6月21日の仙台行き始発(それでも午前11時過ぎ出発)と、同日18時発の仙台発福岡行きをおさえ、帰りは6月23日の福岡発札幌行き直行便を予約した。この福岡発札幌行きは福岡発が15:30と午後発便である。今までのこの区間はJAL、ANA、JASのいづれも福岡発は朝8時台とか10時台であった。しかし今回JAL・JASの統合で初めて午後発が出来た。これは私にとって、とても嬉しいことだ。
先行予約を使って予約したものの、なんとなくそのまま決済せずに過ごし状況を見極める。最近、飛行機のバーゲン価格は結構空いているのが多いのだ。結局最終予約日にやっぱり当初予定の便を予約し、決済期限ぎりぎりに決済した。
今回の福岡は少し考えた。いつもは北九州市在住のひろゆきさんを誘う程度であったが、今回は少し集めてみたいなと考えた。日本一周以来、今までの北星の友人全国ネットワークがさらに大きくなったので、少し旧交を温めてみたいなと思ったのである。それに合わせてサイトにも「オフ会実施」の告知を出してみた。
しかし、そのうち状況が怪しくなってきた。旅行の前提条件である「休み」が厳しくなってきたのである。なかなか希望の日に休みが取りづらくなってきた。
結局6月23日は休みが取れなかった。それでも21日と22日が取れた。23日は朝9時から通常出勤だ。
フツーならここで”22日を早めに切り上げて羽田乗り継ぎで帰ってくる”と考えるところなのだが、大好きな九州から早めに帰りたくない。そこでいろいろ調べてみるとAIRDOと業務提携したANAが6月1日から羽田発の早朝便を設定していた。今までは千歳着が8時半近くになる便が始発だったのだが(お盆期間中など最繁忙期には超早朝便もあったが)、今度の便は千歳着7:55である。会社の始業時間まで1時間5分の時間がある!! とは言っても1時間5分は決して余裕のある時間ではない。JRの快速「エアポート」なら新千歳空港から札幌まで36分で走るのだが、午前8時台はラッシュ時間の為札幌行きの設定が無い。特急列車は南千歳7:55発の特急「すずらん」があるが、これには乗れない。各駅停車だと9時の始業時間には間に合わないのだ。となると車だ。高速バスの札幌中心部行きは大体1時間ぐらいで走る。しかし、この時間は月曜の朝ラッシュ時間帯だ。遅れる可能性は大きい。しかも中心部行き高速バスは北広島インターという随分手前で高速を降りてしまう。だめだ。
しかし、地下鉄大谷地行きという高速バスがある。新千歳空港から地下鉄の大谷地駅まで32分で走る。大谷地から会社最寄りの大通駅までは大体18分ぐらいだろうか? それなら間に合う可能性が高いのでは!!
新千歳空港発大谷地行き高速バスは8時発の便があることが分かった。しかし飛行機が早着する可能性もある。それなら時間に余裕を持ちたい。となるとタクシー?いやそうだとメッチャお金がかかる。それなら・・・車だ。私のレパードの登場だ。これなら時間に制限されない。
早朝便ANA961便を6月1日の運航開始日から毎日ネットで運航状況をチェックして統計を取る作業を始めた。
地下鉄大谷地駅のそばの駐車場も実際に行ってチェックし、高速を降りてからの道も調べた。出発の前の週の月曜日には早朝に家を出て千歳空港に行き、実際に8時に空港を出発してから大谷地駅までの所要時間と走行経路等を確認。8:34の地下鉄に間に合うことを確認した。大通駅までの所要時間は15分で、これなら会社に間に合う。最近よく使うネットのホテル予約サイト「旅の窓口」で羽田に近いホテルを検索し目星を付けておいた。最近多い「旅先での寝過ごし」には、我が家の大型の目覚し時計を持っていくことで対策とした。なんと言っても寝過ごしが一番怖い。
こうして20日の夜勤明けから、6月21日千歳発仙台行きで飛び、仙石線の103系調査。その日夕方の便で福岡に飛び宿泊。翌日22日に友人と集まって福岡オフ開催。夜9時過ぎの便で羽田に飛び宿泊。翌23日は羽田から札幌の会社に出勤と言う形での実行が決定された。
「オフ会開催」と告知を出したが結局メンバーはいつものひろゆきさんと、ふしのさんの二人であった。山口在住の元帥さんは「参加は微妙です」のままとなり当日に期待、となった。元々大々的に集まるとは考えていなかったから大きな問題は何も無い。とは言え、「お誘い」を直々に出した二人が参加できなかったのは残念であった。
6月21日
会社から帰ってきたのは午前3時であった。飛行機の出発が遅いので徹夜勤になっても問題は無かったのだが、何も業務が無かったので早かった。布団に入ったものの、今回持っていこうと考えていたとある自作CDが気になって1時間くらいで起きてずっとパソコンとにらめっこしていた。
10時前にスーツを持って自宅を出発。時間があったら一般道を通っていこうと考えていたのだが、結局なくなったのでいつもの通り新川インターから高速に入る。問題なく高速を通過し、千歳空港に着いた。今回のプロローグの音楽は、確か最近充実してきた「ゲームオープニング曲集」だった気がする。MDに片っ端から入れていった大変節操の無い曲集であるが、その節操の無さが大変気に入っていた。福岡で乗ることになるであろうひろゆきさんの車にMDが付いていたら是非持っていきたかったものである。
自動発券機でチケットを発券・チェックインする。仙台行きはJALで、そこからの福岡行きはJASの為か、統合したにもかかわらず福岡行きのチケットは出てこなかった。その後カウンターで23日の福岡発千歳行きのキャンセル手続きを行う。そうしてゆっくりと出発ロビーに入った。
搭乗手続きが開始され機内へと入る。私は並ぶのが面倒だったのでしばらく列を見ていたが、なかなか空かないので仕方なく並んだ。後方窓側の指定座席に座る。3列席の窓側である。
真ん中にはまだ小さな子供を抱えたお母さんが座った。服装からして女の子だろう。その女の子、ナニが気になるのか私をずーーーっと見つめている。彼女には私の趣味嗜好が解るのだろうか? いや、ぎゃるげーをしている私だってさすがにこの女の子は小さすぎる。ってそうぢゃない(爆) 「ほら、お兄ちゃん困ってるでしょ。」とお母さんが注意しても私をずーーーーっと見つめている。私は座席ポケットに入っている機内誌を読んだり、窓の外を見たりする。女の子はたまに私のほうにそのちっちゃな手を伸ばしてくる。そのたびにお母さんが注意する。3列席の通路側には大学生くらいの若い男性が座っているのだが、彼のほうには目もくれない。
飛行機は新千歳空港を離陸。今日は北に向けて飛び立った。ぐるーっと旋回して南に向きを変え仙台を目指す。と、そのうち雲を越えてしまい下が見えなくなった。
機内誌に「Coralway」があった。これは沖縄を中心に飛ぶ日本トランスオーシャン航空の機内誌である。「お!懐かしいね」と手にとって読む。4年前に一回だけ沖縄に行ったことがある。また行きたいものだ。
そのうち気が付くと下界が見えた。ちょうど線路がある。どこだろう?と思っているとカラフルなコンテナをのせた貨物列車が走っていた。大きめな駅が見えてその駅から四方に線路が伸びている。「とするとあそこが小牛田だな。」 海側に延びていくのが石巻線、山側に延びていくのが陸羽東線だろう。飛行機は少しづつ海側に出てやはり松島のほぼ真上を通過した。窓に顔をくっつけて下を覗いても福浦橋は見えなかった。松島のほぼ真上を通過するのは昨年11月のANA機でも同じだった。
となりの女の子はしばらく寝ていたが、また起きた。また私を見つめる。ナニ?私にナニか言いたいの?
母:「こら、だめでしょ。お兄ちゃん困ってるでしょ。」
娘:「・・・・・・・・・・・・・・・・」
私:「まだ何ヶ月、ですよね。おいくつですか?」
母:「ちょうど七ヶ月になりました。」
・・・・七ヶ月。将来私とナニかあるにしても、有得ない年齢差である(爆)
海側から仙台空港に無事到着。ゆっくりと降りた。
仙台はかなり暑かった。なかなか快適な暑さである。ターミナルの前には「仙台市営」と書かれた仙台駅行きのバスが止まっており、飛行機を降りた人たちが次々と吸い込まれていく。私はスーツを持って仙台市内に入りたくなかったのでコインロッカーにでも預けようと考えていたのだが、考えてみれば福岡行きの飛行機に先に手荷物として預けてしまう方法がある。そこでカウンターで福岡行きのチケットを発券してもらい手荷物として預けた。小さな袋にひろゆきさんたちに渡す予定のCD−Rとお土産を詰めてこれも一緒に預けてしまう。しかし大きな目覚し時計は入らなかった。もう少し大きな袋にすればよかった。
仙台行きのバスはかなり頻繁に出ているようで待つほども無く次の便が来た。それに乗る。仙台市営バスなので仙台のプリペイドカード「スキップカード」が使える。持っているのだが持ってくるのを忘れてしまった。いつになったら使うのだろうか。
バスは空港を出ると高速道路に乗っかって仙台市内を目指す。仙台市営バスが乗り入れている仙台空港は、実は仙台市内ではない。高速道路に乗ってまもなくして私は眠ってしまった。
気が付いたら仙台駅前で、バスはぐるっと回って大きなターミナルに着いた。降りる時になってバス運賃分の小銭が無いことに気が付いた。「大きいのしかない」と申し出ると、降車口まで来ていたターミナルの係員が両替してくれた。
係員:「2000円札が入ってもよろしいでしょうか?」
私:「はい。構いませんよ。」
すごい久しぶりに2000円札と対面した。こんなお札があったんだと改めて気が付かされた。しかも係員は「入ってもよろしいでしょうか?」と一般紙幣扱いではないのが面白い。運賃を払って降りた後、その係員に「空港行きのバス時刻表はありますか?」と聞いて、一冊貰った。親切にも発車場所まで教えてくれた。
時刻表を見ると飛行機に乗るにはやはり仙台駅を午後5時に出るバスに乗らないと危なさそうだ。しかし、時刻表には仙台空港最寄りのJR館腰駅と空港を結ぶバスの時間が仙台発のJRの時刻入りで乗っていた。このバスは宮城交通のバスである。それを見ると17:23に出る原ノ町行きに乗るとちょうどよく空港に着けそうだ。ということで帰りはJRに乗ることに決めた。
さて、仙台駅に着いたぞ。
まずは駅に入り、みどりの窓口に行ってみる。今回の旅行でJALのマイルが1万マイルを越えるので、9月末までであれば仙台往復無料航空券と交換できる。千歳から1万マイルで往復できる最南限が仙台なのだ。そこで「仙台まで飛んできてそこから新幹線でも使って東京に行けないかな?」と考えていたのである。しかし、仙台から東京までは新幹線往復でなんと2万円する。1万円ぐらいで往復できたら使おうと考えていたのだが2万円は高い。2万円ならバーゲンフェアなりの「片道一万円」を使って飛ぶのと同じ値段だ。1万マイル、どうやって使おう?
その後新幹線改札そばの「伊達の牛タン本舗」に入る。仙台と言えば牛タンが有名である。前回この店に入って食べた時とても柔らかくて美味しかった記憶がある。仙台に来ると決めた時からこの店は楽しみにしていたのだ。
ミックス牛タン定食を注文する。ミックスとは塩と味噌が半分づつというメニューである。
ミックス牛タン定食が運ばれてくる。ご飯は麦飯でとろろ付。スープも付いてくるがこれにも大きな牛肉のかたまりが入っている。牛タンの乗った皿の脇にはサラダ・・・のように見えて実は漬物が乗っている(笑) ご飯お代わり自由と言うことでおかわりする。大変美味しく頂いた。
食後またフラフラと駅構内を散策。東口のヨドバシカメラに行ってフィルムを買ったり、またみどりの窓口に行って「マンガッタンライナー運行記念」というオレンジカードを買ったりする。その後西口に戻りペデストリアンデッキを通って仙石線「あおば通」駅へ向かった。あおば通は先年延長開業した駅である。まだあおば通〜仙台間は乗っていなかった。
地下のあおば通駅に降りるとすぐに発車の電車がありそれに乗る。103系の4連。仙石線では当たり前の電車だったのだが、山手線お下がりの電車に置き換えられ次第に少なくなっているのである。
地下のあおば通を発車。すぐに次の仙台駅に着く。私は電車の一番前に立っていた。しばらく地下を走り、苦竹(にがたけ)の手前で地上に出た。苦竹は対向式ホームの駅で、少しホームがカーブしていた。私は「どこの駅なら形式写真が撮りやすいかな?」と考えながら前面展望を続ける。
苦竹の次の福田町の間に仙石線の基地である宮城野電車区があった。福田町は狭い島式ホームで写真撮影には向かない。
次は陸前高砂で、ここは対向式ホームであった。「ここなら良さそう」と下車。電車を見送った。ここでやってくる何本かの電車を撮影した。「駅で電車の撮影」といえば1月に行った九州の西鉄宮地岳線西鉄和白駅や3月に行ったJR西日本広島駅等が思い出される。しかし、西鉄宮地岳線は平日朝ラッシュ時であったり、広島駅は大都市の本線ターミナルであったりした為本数が多かったのだが、今回は「土曜日の昼下がり」と列車本数が一番少ない時間帯であったため待ち時間が結構長かったのが辛い。
仙石線の103系。左の種別幕表示部の拡大と前面窓の2枚化(原型は3枚)、それに屋上ベンチレーターの撤去が特徴である。(陸前高砂駅にて)
しかし、よく見て見ると、この陸前高砂駅も面白い駅であることに気が付いた。ホームは対向式で、跨線橋で結ばれている一見普通の駅なのだが、駅舎と1番ホームの間は不自然に空いている。1番ホームの改札前部分にはホームを切り欠いて階段があり、そこで繋がっている。2番ホームへは1番ホームに上がらずホーム後ろの通路を通って跨線橋の土台のような小さなコンクリートにいったん上がった後跨線橋に上る形である。1番ホームに行って見ると、1番ホームは石積みであるのに対して、石巻方面の2番ホームは鉄骨にコンクリートパネルをのせた新しいつくりであるとわかった。しかも1番ホームの石巻方は不自然に狭くなっており、仙台方は狭くなっていくのを広げた後すらある。
ここまで書けばわかるだろうか?(え?説明が下手でわかんないって?・・・説明しにくいのよ(汗)) 昔の陸前高砂駅は島式ホームだったのだ。改札を出ると目の前の線路を渡ってホームの階段を上る形だ。そのホームの両側に電車が発着する。当時は単線だったのだろう。それが複線化されたときに安全確保等の理由から昔の1番線を廃止して2番線を1番線として使う形にした。新2番ホームは旧2番線の隣に新しく線路を引いて向かいに付けた。新2番ホームと改札は跨線橋を使う形にして安全を確保する。
陸前高砂駅の駅舎と一番線だけ見ると昔の宮城電鉄時代が少しだけ見えた気がした。
何本かこの陸前高砂駅で写真を撮った結果、現在の仙石線のおおよその状況がわかった。
・まだ103系は走っている。快速運用にもついている。
・205系は編成番号9まで確認できた。
・乗車した103系全ての編成が後付けユニットサッシに変更されていた。
・客用ドア窓も原型は無く、全て拡大されていた。
(高運転台車は一本車庫に確認できたが、それについては未確認)
・ほとんどがダブルパンタに改造されているが、原型のシングルパンタ車もある。
無くなったと思われる車
・103系クモハ編成。
・原型非ユニットサッシ車。
・原型非ユニットサッシに客用ドア窓非拡大の組み合わせ。
・AU712冷房改造車。
模型趣味的に言えば、「模型化しづらい車両ばかりが多くなった」と言えようか。
どうしよう?こないだ買ったGMの仙石線103系キット・・・・。
模型的に言えば「客用ドア窓拡大のクモハ編成。AU712冷改車」が一番面白いんだけど、それが確認できなかった・・・。
暑いし電車は来ないしで、移動することに決定。下り電車に乗った。
次の駅も対向式ホームで撮影に向いていそうだが、既に今時点で運用についている103系をすべて見てしまった(早っ!)気がしていたので降りない。
次は多賀城で、この駅で折り返す電車もある中規模の駅。構内配線は2面3線で国鉄配線だが、どう見ても構内は狭い。石巻方は曲線にかかっており1番ホームは曲がっている。乗ってきた電車は車輪を軋ませながら石巻方に去っていった。
オープン式の跨線橋に上がり駅前を見る。駅前すぐには川がありその先が市街地のようだ。駅前には閉店した3階建てのデパートがある。塔屋にかかれていたマークがうっすらと見え、それが「長崎屋」であったことがわかる。駅前という立地は最高だが、すぐ脇に川が流れていたので川向こうの客を取り込むのが難しかったのだろう。
次の上り電車で戻る。とりあえず先ほどの対向式ホームの駅に降りてみた。が本数が少なすぎ。電車が来ない。
写真撮影にもならないので次の電車で動く。
動いた先は福田町で、歩くと程なく宮城野電車区がある。福田町の駅舎は仮設のような狭さであった。
改札を出て留置線の脇を目指す。しかし、丁度留置線の脇に多分防音目的であろう高い壁が建っており電車が見えない。防音壁を外れたところからは4本ぐらい留置されている電車が見えた。
20分とかからず宮城野電車区終了。福田町から仙台に戻った。
しかし仙台駅はつくりが悪い駅だ。仙石線は地下であるが、その仙石線から地上の他線に乗り換えるには一旦地上各線を跨ぐ跨線橋まで上がらなくてはならない。地下通路を通って各線ホームに直接、という形になっていないのだ。地下の仙石線を降りたところには改札があり東口に抜けられるが、東口改札はここが唯一で、他線から東口に抜けるには一旦跨線橋を上がった後、仙石線地下改札に続く長いエスカレータを降りて仙石線地下改札を抜けて地上に出る、という形しかないのだ。それ以外には改札は西を向いたところにしかなく、ぐるーっと連絡通路を回る必要が出る。東口にはヨドバシカメラやラオックスが出店しどんどん開発されてきていると言うのにあまりにもお粗末ではないか。
仙台駅で約一時間の時間が出来た。駅前にアニメイトがあるが既に行ったことがあり行っても面白くない。少し離れたところにゲーマーズがあるがそこも行った事がある。仙台の永倉えみる応援店「ミスターコミック」は閉店して既に無いのは昨年の日本一周中に確認済だ。駅そばにマルゲ屋があったがこれも倒産して久しい。仙台で好きな店と言えば「めしのはんだや」があるが、札幌にも出店していて行く気が無い。歩いて一時間くらいで回れる観光・・・と思ったもののそれらしいところがなさそうだ。
そこで駅前のビルにあったジュンク堂書店に行った。雑誌コーナーでRMモデルズを見て仙台駅そばに模型店でもあればと思ったがなさそうで、諦めて立ち読み。20日発売の新刊が出ていて仙台はさすがに雑誌が早いと思った。札幌はもっと遅れる。しかしもっと驚いたのはJRの制服を来た社員が鉄道ダイヤ情報を立ち読みしていたことだ(笑)
時間になり書店を去る。駅で館腰まで230円の切符を買って常磐線原ノ町行きに乗る。455系の6両編成だ。
時間帯のせいかそれとも本数が少ないからなのか結構混んでいた。モハ車を選んで乗り、座席に空席が無いのでデッキに立った。
元急行電車の455系が東北本線を走る。「国鉄っ!」を思わせるモーター音が心地いい。昨年秋に私の大学サークルは583系を貸し切ったが、今度は455系ではどうだろう? やはり国鉄カラーでないとダメだろうか? JR東日本も地方カラーになった国鉄車を結構原色に戻して「リバイバル」とかやっているが、455系は未だ戻っていない。6両とか9両ぐらい原色に戻して走らせたらこれもまた受けるのではないだろうか?
混んでいた車内は一駅ごとに空いていく。デッキに座り込んでいた女子高生も空席を見つけて移っていった。館腰まではすぐだったので私は立っていた。
館腰で降りると後ろの3両は717系(だったっけ?)であった。455系の足回りを再用して車体だけ新造した電車だ。
館腰は無人だった。切符集札あに切符を入れて駅前の宮城交通のバスに乗る。乗り換える人は結構多かった。そういえば東北本線から分岐させて仙台空港連絡線を作る構想が本格化していたようだが、どうなったのだろうか?
バスはゆっくりと走って空港に向かった。途中私は居眠りもした。
空港に到着。チェックインは済ませてあり手荷物も預け済なのでゆっくりである。ターミナルロビーの土産物屋を冷やかす。牛タンを実演販売している店があったりしていい匂いに誘われるが、これから福岡なのでお土産は買えない。他にも笹かまとか萩の月とか仙台は名産の多い街である。
機内持込みチェックを受けて出発ロビーに入る。これから乗るのはJASのMD81で初めて乗る機種だ。エンジンが後ろに付いていて胴体が異様に細長く見える。
JASのMD81型機。JASと言えばこの機種って感じがする。頭から撮れなかったのが残念。(仙台空港にて)
乗り込んでわかったが音楽サービスがない。ちょっと残念。なんとなくいつもより狭く感じた。
海側に向かって力強く離陸。ぐるっと旋回して内陸方に向き直す。それから先の記憶がない。ずっと下が見えていたら見ていたはずで、見なかったと言うことは雲の中に入ってしまったのだろう。
たぶん定刻に福岡空港に到着。福岡空港へはやっぱり北側から入った。いつも入るのは北側からである。海ノ中道が見える西戸崎を通って入るコースである。スーツとCD−Rの荷物を受け取ってターミナルビルを出た。
「おぉ!福岡だよぉ。ついに来たよぉ。いいねぇ!この蒸し暑さ!」
おもわず小声に出して喜ぶ。この日の夜の福岡はもやがかかっているような状態で、いかにも「夏!!」といった感じであった。空港に向かってでかでかと立つ「久光製薬」の電光広告も福岡に来たことを感じさせた。
とは言ってもこのままホテルに入るわけにも行かない。まずは明日の飛行機の出発場所を探さなくてはならない。結構ターミナルビルを歩いて全日空の出発カウンターを発見!そこにいた女性係員に最寄りのコインロッカーの場所を聞いてそこにスーツと目覚し時計を仕舞い込んだ。明日はほぼ一日中車なのでスーツぐらい持っていてもいいように思えるのだが、車に乗る前に篠栗線の電車に乗らなくてはならず、この区間をスーツを持って動くのが嫌だったので預けた次第。引き取るのは明日の飛行機に乗る直前だ。
それからまだホテルを予約していなかったことを思い出した。携帯でホテルを探そうと思ったが面倒でやめ。ターミナルビル内に「10分100円」というインターネットスペースを見つけてそこで探した。
予約したのは「ホテルグリーンドゥ博多駅前」。軽い朝食が付くのが丁度いい。
地下鉄に乗って博多駅に移動。券売機の前に地下鉄一日乗車券が落っこちているのを発見したのでありがたく頂く。既に乗っているようなので使い終わった後にここに置いて行ったようだ。
博多駅から歩いて数分。代々木ゼミナールのあにホテルがあった。チェックイン。軽く落ち着いた後、すぐに夕食のためにホテルを出た。最初は「中洲の屋台ラーメンにでもしよう。」と思い、地下鉄で中洲川端駅に行った。しかし気が変わり「長浜の屋台にしよう。」ということでまずは天神親富孝通りを目指す(元来の意味からすれば親不孝なんですが、それでは余りによろしくないと言うことで今はこの親富孝の名称になっています。これホント)。っていうかなぜ長浜で天神!? そこは余り突っ込まないと言うことで。
親富孝通りを歩いていく。フレッシュネスバーガー・舞鶴交番前のセンチスポットの前を過ぎコンビニ「ポプラ」の前を過ぎる。すると大きく「めしや丼」があった。うおぅ!
「めしや丼」はこのところあちこちで見る定食屋で、最初は東京大塚で見た。次が大阪難波で、その次が福岡天神。「ずいぶん展開している店だなぁ」と少し感心。(調べてみたら「めしや丼」って福岡本社だって!びっくり!)その奥の昭和通に出ると今度は「まいどおおきに」でおなじみの「福岡天神食堂」があった。
その通りをあちこち迷って、結局また親富孝通りのポプラに戻って地図を確認したりしてようやく長浜のラーメン屋台に到着。かなり時間がかかった。目指したのは“長浜ラーメンの元祖”と言われるという「元祖長浜屋」(まんまやん(笑)) 店内はすごい雰囲気でとりあえず「ラーメン 硬めで」と頼む。と程なくしてラーメンが目の前に運ばれてきた。かなり見た目があっさりとしている。細かいチャーシューがバラバラと乗っているのと青ねぎと紅しょうが。それだけだ。値段400円と言う安さもあるのだろう。とにかく美味しく頂いた。
机の上には大きなやかんがあり、湯のみ茶碗も積んである。目の前の人がやかんから茶碗に注いでいるのを見ているとやかんの中身は熱いお茶だ。それはちょいと勘弁。他の皆がしているように、ペダル式給水機から茶碗に水を注いで飲んだ。
替え玉をせず店を出る。
そこから海のほうにはなるほど長浜屋台といわれる屋台がたくさん出ている。飲み屋風のもあればやはりラーメンを出す屋台もあるようだ。が、ぐるっと見ただけで終わり。さすがにラーメンを食べた後だっただけにハシゴはまだきつかった。長浜屋台の隣は公団住宅のような集合住宅が並んでおり、「住宅地の真ん中」みたいなところが一種異様な雰囲気になっているようにも見えた。
すぐそばにファミリーマートがあったのでそこに入り現在地を確認。このまま南に出れば地下鉄赤坂駅が近いようでそこを目指すことにした。
赤坂駅に近い通りに出ると、ラーメン店発見! さっきのコンビニでチラッと見たラーメン店に見えたので、またまた店に入る。同じようなラーメンで値段も450円くらいだった。安いことには安く、いいのだが、今ひとつ個性に欠ける気がした。
こうしてラーメン店二件をハシゴして福岡の夜は終了。地下鉄で博多に戻り、券売機の脇にそっと一日乗車券を置いてホテルへと戻った・・・。が、途中でampmがあり、入る。ドリンクと何かアイスが食べたかった。
アイスケースを見て私はまた懐かしい物を見た。「ブラックモンブラン」である。これは佐賀県のアイスメーカー「竹下製菓」の製品でかなり地方度が高く、地方メーカーが大好きな私の好物である。東京でもごく一部の店でしか買えないものらしい。昨年の日本一周の時に島原半島で見つけて以来好きだった。モノ自体はバニラアイスをチョコでコーティングしたバーアイスでなんら変哲のあるものではない。
6月22日
午前8時過ぎ、起床。外は曇り空だ。
身支度を整えてホテル一階の食堂コーナーでパンとコーヒーのごくごく軽い朝食を取る。軽くてもおなかに入るのは大変助かる。ゆっくりとコーヒーを飲んで出発。
外に出るとパラパラと雨まで降ってる。せっかくの福岡なのに残念だ。
博多駅から9時発の福北ゆたか線経由の快速電車に乗る。黒崎だったか小倉行きである。ワンマンの2両編成で817系だ。座席は「白いかもめ」のような黒革張りと木の板を使ったものでなかなか洒落ている。さすがはJR九州、というかドーンデザイン研究所で、ほかのJR、いや鉄道会社、いや交通各社では思いつかないような座席だ。それでも結構座りごこちがいい。「やっぱりJR九州だね」と思う。
篠栗線改め福北ゆたか線(福岡の福、北九州の北、筑豊のゆたか(豊)という意味らしい)であるが、実を言うと今回の旅行でとても楽しみにしていた路線の1つであった。
前回乗ったのは学生時代でまだ篠栗線と呼ばれ気動車が走っていた頃であった。その頃は別に普通のJR線として捉えていた。しかしセンチを通じてひろゆきさんと出会うと、彼の車でこの近辺をかなりよく走るようになったのだ。福岡空港から大宰府天満宮に行く時や、飯塚に行く時に走る国道201号八木山峠(福岡と飯塚の間にある峠。めっちゃきつい)を越えたりすることが多くなると、なんだかこの区間が大好きになったのだ。いつも車だったのでこの区間を改めて電車で乗ってみたくなっていたのだ。
電車は吉塚から柚須、原町、と過ぎていく。途中原町だったかでは博多行きの415系4連とすれ違い「ああ、この路線にも415系が走るようになったのね」と感慨深く思った。
長者原を過ぎると飯塚へ向かう国道が寄り添う。門松の手前で多々良川と線路に挟まれていた国道が大きく川を越えて迂回してから線路を乗り越すのは、以前非電化の篠栗線を越えていた陸橋の高さが電車対応でなかったため(架線を張るクリアランスが取れなかった)の措置であることも知っている。「あの道走ったよなぁ」と懐かしいところである。
篠栗を出ると急に山深くなる。線路は一気に山肌に沿って上り、高い高架上にある筑前山手を通過。すると「次は城戸南蔵院前、城戸南蔵院前です」という聞きなれない駅名が聞こえた。はて?こんなところに新駅?
止まってみると全然新駅ではなく、以前「城戸」だけだった駅名に近くの南蔵院をくっつけた物だとわかった。人も降りないような駅に快速が止まって・・・と思ったら列車交換であった。
城戸南蔵院前ですれ違う817系。城戸南蔵院前は八木山峠の麓でかなり山深い。(城戸南蔵院前駅にて)
城戸南蔵院前を出るとすぐに長い篠栗トンネルに入る。国道はこの北側をうねうねと急カーブで上った後まっすぐ飯塚に向かって下りていくが、鉄道は南を迂回して走るのだ。
トンネルを出て九郎原、筑前大分(“おおいた”ではなく“だいぶ”と読む。“ダイブ”ではない。たぶん(笑))、桂川(けいせん)と続く。桂川で「桂川、けいせん、罫線・・・・エクセル?」というバカなことを考えていたのかどうかは謎である。
桂川を出ると筑豊本線に入り、天道(てんとう。濁らない)、飯塚と過ぎていく。その昔、この区間を新大阪発長崎行きの寝台特急「あかつき」が走っていた。寝台特急が走っていたなど今の状態からは考えられないことであるが、その昔筑豊が「黒いダイヤ」で賑わっていたことの証である気がする。「乗りたかったな・・・・」と、なんとなく考えた。
飯塚の次は新飯塚である。
新飯塚。もう何回来たかわからない。駅自体はそんなに使ったことはない。学生時代サークル合宿の余興で北九州廃線跡巡りをした時にこの駅で降りてバスで庄内町のジャパレンに借りに行った記憶がある。その時はここにくることなんてないだろうと考えていたはずなのに、ひろゆきさんと出会ってなぜかよく来るようになった。いつぞやの時は私が「ファミレスのジョイフルで食べたい!」と言った時(制服、ではなく地方好きの結果です。悪しからず。ちなみにジョイフルの本社は大分です。)にはこの庄内店だったかに寄ったのだ。その時ですら驚いたと言うのに日本一周中に知り合ったふしのさんがこのジョイフルのそばに住んでいて、またまた驚いた。ここに自分の車で来るなんて学生時代には夢にも思わなかった。そんな街である。なんかもうこの街の呪縛からは逃れられない気がする。
当時、新飯塚の駅にはネコがいて駅前少しのところにセブンイレブンがあったのをなんとなく覚えていた。のどかで小さな駅だった。しかし着いてみると橋上駅に様変わりしていた。
駅前でひろゆきさんと合流した。
再会を祝して彼の車に乗り込む。ダッシュボードの上には若菜さんが乗っていた。彼特製のネコ耳&尻尾装備の若菜さんぬいぐるみである。彼が「ネコ耳を若菜さんに付ける」と御自身のホームページで表明すると、その直後から「ネコ耳ってなんですか?」「ネコ耳を付けるって本当ですか?」と質問が殺到したという曰く付きのものである。しかもネコ耳(厚紙製)を取り付けるため「若菜さんの頭に切込みを入れた」という悲しい物語もある。
そういえば、最近真奈美ぬいぐるみを持って旅行ってしないな・・・。持って出ようとも思いつかないし(マテ)
私はその若菜さんを時々攻撃しながら助手席でゆっくりしていた。
若干の小雨の中ふしのさん宅に到着。携帯で呼び出そうとするが携帯の電源が入っていないようで出てくれない。チャイムを押すと寝惚けた顔でふしのさんが現れた。
しばらくふしのさんの御宅に御邪魔してまったりと時を過ごす。私は持ってきたCDを渡す。それにお土産である。
「ふしのさんは一人暮らしだし、ひろゆきさんは御家族持ちですから何かと大変でしょうと思って・・・」
取り出したのは「トドカレー」と「ヒグマカレー」の缶詰である(笑)
出発する前の晩に買い物に出た「ドン・キホーテ」で見つけたというまさに北海道のお土産である(爆笑)
二人ともかなり驚いていたが、缶詰をしげしげと見つめていたひろゆきさんが笑い出した。そこにはこのように書かれていたのである。
「流氷にのってやってきたトドをカレーにしてみました。」(爆笑)
おいおい、「カレーにしてみました」っていう表現方法はどうなんでしょう? まるで「なんか食べられそうな生き物が流氷に乗ってやってきたからとりあえず日本人の好きなカレーなんかにしてみました。いかがでしょうか?」って感じである。ドン・キホーテの棚には「アザラシカレー」とかもあったが、それにももしかしたら「多摩川に迷い込んでいたアザラシをカレーにしてみました。」って書いてあったかも!?(マテ)
ここでCDを頂いたり近況を話したりしながら今日の行く先を決める。いっつも大宰府天満宮に行っていたので今日は別な場所と言う事は最初から考えていた。今回は特に「フツーの観光」を考えていたので「門司がいい!」と提案、そのまま受け入れられた。なぜか福岡に来ても天神アニメイトだ、ゲーマーズだ、中古PCソフト屋だ、とまわることが多かった(マテ)ので、今回はあくまでフツーを目指した。
車はふしのさんを乗せて庄内町を出発! 田川を抜けて門司を目指す。福岡−飯塚の八木山峠や折尾−飯塚の直方バイパス(この道沿いに北星が初めて立ち寄った「ベスト電器直方店」や、米菓で有名な「餅のお祭り本舗」などがある)と並んで、最近この飯塚−門司の国道も走る事が多くなってきた。道は後藤寺の付近から日田彦山線沿いとなり緑豊かだが集落はしっかり点在し、工場もあるという風景が広がる。石原町や採銅所等を通過し、たまに日田彦山線をくぐったり線路を間近に見たりするが、列車が走っているのを見たことがない。日田彦山線はまだ新型気動車に置き換わったという話は聞かないので近いうちに乗り直したい路線だ。
車のCDプレーヤーでは私がひろゆきさんに頼まれて持ってきた「DAパンツ!!」のオープニング曲である「だってパンツだもん!」がリピートで数回流れていた。作曲した「アブレスサウンドチーム」が募集していた「CD化希望」に私が賛同の応募をし、「応募したからには確実に責任を」ということで直接通販依頼したというCDだ。しかしジャケットの桜井三緒はかわいい(爆)
小倉の付近まで来ると日田彦山線とは離れ、小倉モノレールの下を走る。小倉を過ぎると門司に続くそんなに広くない道に入る。山の下をくねくねと曲がりながら続く道で、その昔は 西鉄路面電車が走っていたという道である。もちろん私は乗った事はない。気が付いた時には西鉄路面電車は小倉の砂津から折尾までの区間になっていた。その残りの区間も廃止が噂されていた時期に「乗りに行こう!」と計画・実行したものの関西で台風に遭ってしまい予定していた「ムーンライト山陽」が運休となった為乗ることが出来ないまま終わった、という思い出がある。
車は無事に門司港に入る。「門司レトロ街散策!」という予定なので駐車場を見つけて入った。
しかし後部座席にいたふしのさんが「車に酔ってしまいました」という。なんでも前日会合が有ったとかネットをしていたとかでそんなに寝ていないらしい。「お二人でどうぞ」ということでひろゆきさんと二人で出る。ふしのさんを含めた三人で散策したかったのだが大変残念だ。
天気はときどき小雨が混じるあまり良くない天気で、持ってきた三段折り畳み傘、通称「弘前の超軽量」が役に立ってしまう。
まずは正面にあった「旧門司税関」に入る。入った所ですぐにひろゆきさんが貸し傘を借りた。大きな番傘であった。その後、建物内を見物する。中は一部大きな吹き抜けとなっているが、これは晩年は倉庫として使われていた関係での改築で、建築当時は普通の二階建てだったらしい。修復過程がパネルで説明されていたが、海沿いだった為土台の木が腐って建物が傾いていただの、建物の海側の一部分が取り壊されていただの、修復はかなり大変だったらしい。中はパッチワーク展覧会場のような形になっていた。
門司レトロ街の中心的建物と言える旧門司税関。周辺はかなり整備されていて「レトロ街」というより単なる観光地である。(門司レトロ街にて)
ここで元帥さんから電話。どうやら今日は山口でも車関係のオフがあったらしくそれに出席していたそうだが、早めに終わりそうなのでそれから来てくれるとのこと。嬉しい事だ。
門司税関を出て散策を続ける。掘り込み式の港のように船着場が出来ているが、その中に爆音と水しぶきを故意に上げながら水上バイクがやってきた。操舵しているのは黒尽くめの服を着た人で、デモンストレーション的にも見えるがあまりにもおかしい。まるで水上暴走族のようで好ましくない。
その港に面して物販施設があるので入る。二階にはオルゴール館とガラス細工館があったので見学した。
オルゴール館にはいろいろなオルゴールがある(当たり前だ)。有名なポップス等をオルゴールにしたものが殆どで余り動かされるものはなかった。オルゴールを回して聴いてみようとするのだが、なぜか聞き取りづらかったという事も有ろうか? 周りがうるさかったのかな? その中に「自分でオルゴールを作るキット」みたいなのが有った。紙に穴をあけてそれを機械に通すと音が出るという仕組みのものである。二人で「ゲーム音楽でもオルゴールに・・・」とよろしくない事を考える。
ガラス細工館にはいろいろなガラス細工があった(それも当たり前だ)。「ガラス細工」と言えばどうしてもセンチメンタルグラフティ内で「ほのかにプレゼントした馬のガラス細工」が思い出されて、行く先々で探すのだが、未だにピッタリのものを見たことがない。ここにも並んでいるのはグラスなどが多く、馬は見つからなかった。かなり小さなイルカやカエルなどの可愛らしいものもあるが、「これ、小樽でも見たような気がする・・・」と思う。小樽と言わず有名観光地の土産物屋に置いてあるのとさして変わらない気がするのは気のせいだろうか?
「あなたに力を授けます」という「石」も売っていた。いろいろな石があるが、どう見ても似たような石がある。「混ぜたら分からなくなるんぢゃない?」と二人で話す。「真奈美の誕生石はアクアマリンだったな・・・」と思い出すが、売っていなかった。「若菜さんは何?」とひろゆきさんに聞くと「ダイヤモンド」との返答。・・・ダイヤモンドって気軽に買えないね(汗)
物販施設を出る。建物の前には「門司で有名なバナナの叩き売り!」と書かれた「バナナマン」というかなり謎の人形が立っていた。ネコ耳若菜さんぬいぐるみを持ってきていたひろゆきさんに、「そのバナナマンの手に引っ掛けて記念写真を・・・」と持ちかけてみるが却下された。
その後は特に見学をすることもなくぶらぶらと歩く。途中三井なんとかという洋風レストランだかの建物で、メイドさんの格好をした人が掃除機をかけていたのをひろゆきさんが見つけた。いや、「格好をした人」ではなくあれは本当にメイドさんか、もしくはレストランのウェイトレスだろう。ひろゆきさん、メイドさんがお好きなようである。
その隣の建物では「わたせせいぞう展開催中」という立て看板が出ており多少惹かれるがそこも通過した。「門司港ホテル」だったかの大きな建物を見ながら海沿いに出る。ひろゆきさんはそこの海岸でネコ耳若菜さんの記念写真を撮りたい様だったが、人が三々五々来るのでためらっていた。
跳ね上げ橋を渡ると軽く一周した形になった。橋の上ではひろゆきさんが人がいない時を見計らって写真を撮っていた。
ここで駐車場の車に戻る。
ひろゆきさんは車のエンジンを掛けてすぐに出ようとするが、私はそれを制止して、後席で休んでいたふしのさんの状態をうかがった。ふしのさんは「もう大丈夫です」という返事だったので、私は「せっかくだからふしのさんも出ましょう」と誘って、三人でまだ見ていなかった駐車場の隣に巨大にそびえたつ「門司港展望室」へ行った。展望室は有料であるが、値段は300円と手ごろである。先に行かなかったのはふしのさんが回復したら一緒に行きたいと考えた為である。
この展望室はなんと高層住宅で、その最上階を展望室として作ってある、と言うものであった。住民用と観光客用とエレベーターを分けてあり、賢明なつくりである。
そのエレベーターで一気に展望室に上がる。確か38階だったかの高さである。
展望室は山側を除いた三方を見学できるようになっていた。簡単な喫茶カウンターもあって飲み物を提供していた。
あいにくの天気であった為、対岸の本州山口県下関はかすんでいる。武蔵でおなじみの巌流島も霞んでいてよく見えない。展望室でまったりと三人で話す。ひろゆきさんが「鉄道博物館開館」というチラシを見つけてきた。門司港駅構内に8月に出来ると言う。展望室からも建設中の博物館がよく見えた。
ここで再び元帥さんから電話があり、高速に乗ってこっちを目指しているという。「今は門司港レトロ街にいます。」と伝えた。40分ぐらいで来ると言う。
門司港レトロ展望室から門司港駅を臨む。かなり見にくいけど柱に寄りかかる形で左下にねこみみ若菜さんがいる(笑)(門司港レトロ展望室にて)
そのままこの辺で元帥さんが来るのを待つことになるのかな、と思ったのだが、まったりとなった展望室は切り上げて下りてしまう。車に戻って今度こそ出てしまった。
ひろゆきさんが「駐車場が無料ですから」ということで和布刈公園の駐車場へと動いた。山には上らず、下にあった異人さんの「記念公園」みたいな駐車場に止める。駐車場には北九州ナンバーのレパードが止まっていた。
元帥さんの到着予定時間までまだ少しあるので公園を海沿いまでまったりと散歩する。高速の関門海峡大橋のほぼ真下である。トラック等の背の高い車が走っているのは見えるが、元帥さんの車は軽自動車のダイハツ「コペン」で、ここからでは残念ながら見えない。
移動したことを伝えようと元帥さんに電話を入れようとするが、繋がらない。「車の運転中だからかな?」と思う。そのうち元帥さんから電話が掛かってきて「門司港レトロ街付近につきました」という。「移動してしまいました(汗)」と伝えると5分ぐらいで行きますとなった。
植え込みの中にあったフグのモニュメントの上にネコ耳若菜さんを乗せて写真を撮ったりしているうちに、「そろそろかな?」という時間になり駐車場に戻る。
植え込みの中にひっそりあったフグの上で。センチ全盛期ってまじでこういう写真撮りまくったよね(爆)(和布刈公園にて)
駐車場で到着を待っていたのだが、それらしきコペンがやってきたと思うと駐車場を素通りして山頂公園の方に行ってしまった。「あれは間違いなく元帥さんのコペンだ」ということで、わたし達も追う事にした。
途中で電話を入れて、下り途中の展望公園で落ち合う事となった。
そうしてついに展望公園で元帥さんと合流した。
展望公園からは関門海峡大橋と高速道が真下に見えた。ここからなら車の種別もばっちり確認できるので、「ここで元帥さんを待てばよかった」と思った。ここでしばらく話す。車は二台ともエンジンはかけっぱなしであった。
噂によると、この関門海峡に海峡大橋と並行してロープウェイを渡す計画があるらしい。観光向けだそうだが、ロープウェイの桁間がめちゃくちゃ長くなりそうで、出来るかどうかはなはだ疑問だ。すぐそばに海峡を跨ぐ送電線が走っているので、「それに付ければ早い。」(笑)
元帥さんは、今年3月時点ではトヨタの白いセリカであったが、「10万キロを超えちゃいましたので」ということでコペンに買い換えたらしい。私のレパードも10万キロを超えてるが、買い換えようと考えたことなんてこれっぽっちもなかった。5月購入ということであったが、既に内装はセリカから移したと言うオーディオ系で装備されていた。画面が二つありセンチメンタルグラフティのオープニング、通称「暗黒舞踏会」が同期で流れていた。元々車載DVDがあったのに加えて、DVDナビを付けたそうで、その配線をいじって同期にしているらしい。センチのオープニングは「北星さんと言えばセンチだから・・・」と流してくれたりするが、最近日に日にセンチから離れていっているような気が本人しているのでなんとなく心苦しい。
山を下ることとなり、元帥さんは全電動で屋根を格納してオープン状態にした。3人で「おぉっ!」と見入る。
再び先ほどの「異人さん記念公園」(勝手につけた通称)に戻ってくる。車から離れる時はまた全電動で屋根をつける。ふしのさんも「実際に見るとすごいですね」と感心している。
今度は4人でまったりと海岸沿いを歩く。海岸沿いは遊歩道となっており波打ち際のすぐそばを歩ける。
凄い海沿いに一軒の家が建っていた。「これは凄い立地だ!」と皆で話題にする。海抜3mぐらいの高さで、海から5mと離れていない。「本当に海が好きでないとここには家を建てないよね。」と話す。「風呂から海が見えるのかな?」と話したが、それらしき窓はなさそう。「洗濯物を外に干せないよね。」と出たが、なるほど家の中に干しているのが見えた。元帥さんは「こういう土地は滅多にないからここの土地の値段は高いのではないか?」と言うが、私は安い気がした。なんといっても余りにも海に近すぎるし、これでは台風が来たら一発で水をかぶってしまう。それこそ本当に海が好きなんだろうなと思う。
対岸の下関側には、電光式航路案内板が見える。「W」「3」「↓」というような感じで交互に点滅されていく。昨年の日本一周のときに見て、「おぉ!!いかにも関門海峡ですねぇ。」と感動した記憶がある。「西の風、風力3、そして矢印は潮の流れですね。」と元帥さんも説明してくれた。しかし、前回もそうだが関門海峡には霧が似合う。
そのまま海沿いを歩いていくと布刈神社に出た。巫女好きの元帥さんは「今年の正月には高松から松山まで『巫女狩りだ』と称して初詣の神社巡りをしました。」という。さすがである。
布刈神社の入り口で礼儀正しく手水で手を洗う。が、水が流れていない。なんとも放っておかれている感じで、ひしゃくで水をすくうと、藻が湧き上がる始末。普段は口もすすぐが、さすがにためらわれた。元帥さんは口もすすいでしまい「失敗した。」と言っている。
参拝。神社本殿は海を向いており、海の中に灯篭も立っている。「ちょうど下関の赤間神社の向かいですね。」とふしのさんが言う。なるほど対岸に神社らしき建物が見える。関門海峡はさすがに狭く、対岸の道路を走る車が見える。ひろゆきさんは相変わらず波打ち際にいるフナムシを観察しており、大きなのを見つけるたびに「いい仕事してますねぇ。」という。元帥さんは海に「ぺっ!」とつばを吐いた。神社前で無礼な、とは思ったが、「さっきの手水で口の中が気持ち悪い。」と言い、それはさすがに神社の責任だ。
神社本殿の脇には、「台風16号の被害修復にご協力を」と言うような紙があり、被害当時の写真が貼ってある。かなり酷い台風だったようで、ひろゆきさんもふしのさんも元帥さんも覚えているそうだ。「宇部空港が水に浸かってしばらく使えなくなった。」とは元帥さん。
なるほど、その時の台風の被害だろう。神社本殿前からさらに続く遊歩道が通行止めになっている。その先は荒々しくコンクリートブロックがごちゃごちゃになっている。まだ遊歩道を修復していないのだ。直す気配がなさそうで困ったものだ。遊歩道は20mぐらい先からまた続いている。しかたなく一旦迂回せざるを得ない。
迂回した道路に面して小さな食堂のよう店がある。ひろゆきさんは「ここのおでんは美味しいんですよ。」といい食指をそそられるが、なぜか誰も買わない。このあと小倉のラーメン店に行く予定があるのも理由だろうが、おでんくらい入らないかな? まぁ帰りにでも・・・と私も買わない。その斜め前には関門人道トンネルの門司側の入り口があった。その前にはタクシーも止まっており、客待ちしている。「下関側の入り口は大きかったですよね。」と元帥さんに問う。「下関側の入り口はパーキングエリアになって広いですね。」と返ってきた。
再び海沿いに。ゆっくりまったりと歩く。
岬の先っちょを回ると急に視界が広くなる。瀬戸内海だ。といっても特に変わるわけではない。なんとなく最近プレイしたギャルゲーの話をしながら歩く。本当にこれ以上ないほどまったりした時が流れていた。私はたまにカメラを構えながら風景を撮る。「最近どうしてもこういうなんの変哲もない歩道の写真とか撮りたくなるんですよね。」と私。
「な〜んかこういう風景をバックに、ペトってキャラ画貼り付けたくなるんですよね、センチしてから。」
「私もやりますよ。センチなら『思い出のアルバム』を使って簡単に張り付けられるし、それ以外でもフォトショの投げ縄ツールを使って囲んで背景を消して貼り付けてみて、背景と合わないところはぼかして・・・」
元帥さんとふしのさんが口をそろえる。私はそこまでフォトショを使いこなせていないのでちょっと羨ましかった。いつかそれぐらいは軽く使いこなせられるようになれば、もっともっとこのサイトも面白くなるだろうし、また別に立上げ予定の新サイトでもいいネタになるのに・・・と思うが、(仕掛かりのゲームが、積みゲーが、模型が、レイアウトが・・・・うぐぅ(>o<))と詰まってしまう。詰まった上でどれ1つとして解決しないのが北星の悪いところである。なんとかしなくては・・・・。
元帥さんは「後ろの柵にキャラが手をついている写真を加工して、セリカに手をついている写真に加工したことがあります。それ前の名刺に使っていたんだけど・・・後で探してみますね。」と言い、私は「とっても見てみたい!」と思ったが、結局それは忘れてしまった。
海に出た休憩場所でぽけーっとそんな話をしていた。ひろゆきさんはまたまたフナムシを見つけては大きいのを探していた。嫌やなぁ、フナムシって。
遊歩道はこのまま海岸沿いに続いていくが、この先は見所がなさそう。「このまま行っても何もないですね。」と言うことでここで引き返した。
まったりといろんな話をしながらゆっくりと歩く。さっきのおでん屋はちょうど店を閉めているところで、結局食べることは出来なかった。「また来ることになるか・・・」と漠然と考えるが、果たして本当に来るかな? この4人、まるで「週末暇だったので門司を散策しました。」みたいな感じに歩いているが、一人は北海道から一泊二日で来ているのである。しかも明日月曜日は9時から仕事だ。そんな日曜日の午後5時(爆)
遊歩道を戻っていくが、山側に大きな建物。「めかり会館」と看板が出ていた。ちょっと見上げると、窓越しに裸の男たちが見えた(汗)。ちょうど風呂場なのだろう。 その先のなんの変哲もない広場でまた写真をとる。斜め上には関門海峡大橋が見える。
「なんかゲーム作って、背景にこの写真を使ったとして、そのゲームが人気が出たりしたら、この場所を探す輩が出たりするんだろうな・・・」と思うとなんか面白かった。実写背景をそのままボカシで使ったセンチはもちろん、有名なKanonの京阪守口市駅前や、みずいろの所沢、おねがいティーチャーの長野県大糸線沿線とかその類は結構多いのだ。みんなその場所に行っては、なんの変哲もない風景を撮っている。なかには「撮影の高さは140cmぐらいと結構低いので三脚を持っていって・・・」と凄い本気な人たちもいる。まぁ私も背景探しのために会社辞めて日本一周したけど(爆)
先ほどの極端に海沿いの家の脇をとおり、また広場に戻ってきた。広場には関門海峡の地図のようなモニュメントがあり、上に乗って見てみる。九州から本州に伸びる線路らしきものの脇に「JR」と赤い字で書いてある。わざわざJR九州の赤のコーポレートカラーを使っているのだとしたら律儀なことだ。下関の先には「彦島」がある。「ヒコットランドだ。」と元帥さん。「そうそう。」とふしのさんも同調している。なんでも彦島は外人が多いだったかの街でそう呼ばれているらしい。元帥さんの友人に彦島出身の人が居たそうだが、「ヒコットランド人」と呼ばれていたらしい。さすがに私は始めて聞いたので、地元民では浸透しているが、というものだろう。「ヒコットランドか・・・」と、地元民の俗称を聞けて私は嬉しかった。
駐車場に戻ってきた。今回の九州ラーメンは「門司の夕方から開くラーメン店」としたが、既に開店時間を過ぎているので、場所を知るふしのさんの案内で、二台連なって目指した。
着いたのは門司区高田の「a子ラーメン」である。なんでも夕方数時間しか開かない店らしい。店の前には早速行列が出来ていた。店の脇ちょっと入ったところに駐車場がありそこに止めて3人で並ぶ。待ち時間はまたまったりと話し。元帥さんは5月に買った「コペン」で早速東京まで行ったそうで、2ヶ月弱で既に5千キロだったか走っていると言う。「そのペースは速いね」と話す。そういうふしのさんも以前原付で山口から東京に行ったことがあるということで、それはもう地元テレビ局HTBの番組「水曜どうでしょう」の企画「日本縦断カブの旅」を超えている。なんかつおい面々ばかりである。
ラーメン店の前には「ゲーム 焼きそば お好み焼き」という謎の店があり、ひろゆきさんと二人で不思議がる。店内には数人の男女がいるようだが、どうみてもゲームをしている雰囲気ではない。しかも何故ゲームと焼きそばが同列に並ぶんだ??
ラーメン店は混んでいたが、4人並んで座ることが出来た。
待つこと数分「a子ラーメン」が出来あがった。美味しく頂く。ここでは替え玉もした。美味しいことには美味しかったのだが、最近実を言うと本当に美味しい福岡とんこつラーメンに出会えていない気がした。もう一回、この店には来て見たいと思う。
店主のおじいちゃんに「美味しかったよ」と声をかけて店を出る。
駐車場で解散ということになった。時間があれば、元帥さんが言ってた「小倉のデパートの中にあるメイド服喫茶」に行く予定だったのだが、ふしのさんが7時までということで、その時間が迫ってきてしまい、次回、と言うことになった。ただ、元帥さんは7月に転勤の予定だそうで場所によっては難しいと言うことであった(結局鳥取に転勤だそうで・・・福岡で会うのは難しいですね(TT))。ふしのさんも就職先は東京が希望だそうで、来年からの福岡オフは少し寂しくなりそうだ。
元帥さん:「それではまた来週ですね。」
北星: 「そうですね、では来週。」
元帥さん:「あ、でも来週はちょっと難しいかもしれない。」
北星: 「それでは再来週ですね。」
元帥さん:「どちらにしてもまた来るんでしょ?」
北星: 「また来ると思いますね(^^;;」
実際、ふしのさんとひろゆきさんに会うのは1月以来の半年振りで、元帥さんは3月以来の3ヶ月ぶりだ。
北星:「このペースで行くと次は12月かな?」
「九州と言えば夏のうちに是非宮崎シーガイアで「センチ2ほのかのプール兼Ripple兼AQUABLUE合同オフ」を!!」と提案する。元帥さんは「転勤先が近ければ。」と応えてくれたが、結局遠くなったので無理かな? そんなこんなで名残惜しい元帥さんとここでお別れとなった。今回「門司!」を提案したのは元帥さんが後から合流しやすいように考えたためでもあったが、その点については成功といっても良いだろう。門司でよかった。
ひろゆきさんのヴィヴィオで飯塚を目指す。来た時と逆の道を走っていく。
車は無事に庄内のふしのさん宅に到着。30分ぐらい過ぎてしまったものの「大丈夫ですよ。」とふしのさんは言ってくれた。ふしのさんとはここでお別れである。
と言うことで庄内を出たのは7時40分ぐらいであった。羽田行きの飛行機は9時発と記憶していたので8時40分までには空港に着かないとならない。とするとあと1時間しかない! ひろゆきさんは飯塚の道を間違えることなく進み(以前私は迷った(爆))、八木山バイパスへと入った。有料道路ではあるが、確実に早い。バイパスを抜けたあたりで私は疲れからか少し眠ってしまった。
長者原を過ぎたあたりで目が覚める。かなりとばしてくれたおかげで、もうすぐ空港に着きそうだ・・・と思ったら道を間違えた(爆) ここで間違えたのは初めてでなかった気がする・・・落とし穴だ。それでもすぐに進路を取り直して無事に福岡空港に着いた。
ターミナルへ行ってみるとなんと飛行機は9時30分発であった。
若干の時間が出来たのでロビーでひろゆきさんと話す。ゲームのことだけではなくしごとのことなどいろいろ話して名残を惜しんだ。
それでも時間は無常にも過ぎてしまい、ひろゆきさんともお別れとなってしまった。
全日空羽田行き最終は出発が少し遅れた。大好きな九州とさよならである。
羽田から京浜急行に乗り、3つ目の穴守稲荷で降りる。今晩の宿は福岡空港のインターネットスペースで予約したホテル「羽田イン」である。
「明日はどうしよう?ホテルから空港まで無料送迎があるみたいだけど京急にも乗りたいな。『京浜急行に乗って出社しました。』って形になるもんな。」と考えていたのだが、チェックインの時に「明日の朝の無料送迎バスは何時にされますか?」とすぐに聞かれたので結局ホテルの無料送迎を使うこととし、5時40分発のバスを予約した。
部屋で「世界遺産」を見ながら明日の準備をして、早めに布団に入った。明日は9時出社だ・・・本当に(笑)
6月23日
月曜日、朝5時。なんの変哲もない普通の月曜日だ。私も休みではなく会社は9時始業である。それなのに・・・東京にいたりして。そんな雰囲気を楽しみながら支度する。結局寝過ごしはいけないという緊張からホテルの目覚ましで目が覚めたので、持参の巨大目覚ましは活用されなかった。
フロント脇の軽食スペースでパンとコーヒーとゆで卵の軽い朝食。最近はこういう朝食がつくホテルが多くて助かる。食後、ホテルのバスで羽田空港に向かう。
「バス」ということで、どんな車が使われるのかな?と思っていたのだが、何の事はないトヨタハイエースロングであった。そりゃ普通のバスなんて使ってたら置場所も維持費も大変だろう。無事6時前に空港に着いた。
羽田空港、午前6時。まだ東京にいる楽しさを味わう。なんの変哲もない空港ターミナルの写真を撮ってしまう。羽田空港ビッグバードのレストランエリア「ガレリア」の早朝営業の店は大体6時からのようで、6時25分発の千歳行きに乗る前に使うにはちょっと不便。しかも値段が900円前後と高い。
私はお土産屋で「東京ばなな見つけた」を買って自宅への土産とする。会社には・・・今回はいいや。
961便は若干の早発となった。祈!千歳早着!
出勤日の朝の写真3点。
(上)羽田空港午前6時。これから会社とはなんとなく信じられません。しかし早朝から人が多いです。これだから東京は・・・。(羽田空港出発ロビーにて)
(中)札幌千歳行き961便。だからまだ6時過ぎだって。(羽田空港にて)
(下)札幌千歳に着いた961便。さて、これから走らなくてはなりません。会社間に合うかな?(爆)(新千歳空港にて)
「祈!千歳早着!」と思ったのに、なんとすんなり着陸してくれなかった。東京からなら南側からの進入経路だと苫小牧上空を抜けた時点で高度がぐんぐんさがりそのまま着陸できるのに、なんと早来・栗山をぐるっと回って千歳市街上空を抜けて着陸という北側進入だったのだ。ちょっと焦る。
それでも定刻3分前ぐらいに到着。到着ロビーを駆け抜けて駐車場へと急ぐ。我がレパードは盗まれることもなく駐車場にいた。
レパードは高速を無事に走り抜け、私の期待に応えてくれた。予定していた大谷地8時34分発こそ逃したものの、8時38分発に乗ることが出来た。
そうして会社のタイムカードを8時57分に無事押したのである。
今回の福岡オフはとても良かった。なんとも言えないまったり感がとても良かった。羽田からの通勤時間3時間17分も、飛行機が遅れたり欠航したりしたら・・・という危険性は付きまとうが、またしてみたい通勤手段である。
(04.04.10)
|