Senti-G.com HOME>紀行文>北九の鉄っぽい旅 北九の鉄っぽい旅 この物語は全てフィクションです。 2004年もまだまだ旅は続く。6月の旅行は北九州である。昨年6月以来一年ぶりとなるHi氏との再会をメインに、長崎でちゃんぽんを食べようという欲張りなプラン。休みは申請しないで取れた6月26日〜29日の4日間である。けっこう長い。4連休で出かけようというのは、お盆と年末年始、それにゴールデンウィークぐらいしかない。申請しないでこの4連休が取れたのは奇跡だった。 当初の予定では土曜日に東京に行き、その日の晩に夜行で東京を発ち、日曜日は関西周遊。更に夜行で関西を出て月曜日に福岡入りして月曜日にHi氏と遊ぼうと考えていた。日曜日に関西に行くと、日曜日しか休めない京都在住のSo氏に会えるかもしれない。 ところが、肝心のHi氏が「日曜日しか休めません。」という。月曜日も忙しいらしく、火曜日はもっと忙しいそうで、仕方がない。Hi氏とは日曜日に会うことになり、関西経由は却下された。 まずは切符の手配。東京までのチケットはAIRDOにした。ANAのクレジットカードを持っているので、確実にANAの方がいいのだが、安さで結局AIRDOになった。AIRDOがANAと提携運行を始める前までは、大手の方がAIRDOより安いというのもよくあった話なのだが、提携運行を始めてからはほとんどAIRDOのほうが安くなった。大手のほうが安いのは超割などのバーゲン型運賃ぐらいになってしまったのだ。 こうして土曜日の始発をDOバリュー7で、火曜日の最終をDOバリュー21で予約した。往復3万円超である。さて、そうなると次は九州往復である。「格安航空会社」のはずのスカイマークエアラインズも、スカイネットアジア航空も、どうにも運賃が高い。そこでインターネットで「格安航空券」を検索。いろいろ出てきた中から、ロータリーエアーサービス社の「九州チョイス3日間」にした。発着空港を福岡・佐賀・長崎・大分・熊本・宮崎・鹿児島の全日空就航の7空港から自由に選択できる上、飛行機の便制限もなし。夜遅い便になると追加料金がかかるということがないのだ。しかも二泊のホテル付!それでもって28,800円!!この料金、なんと羽田−福岡の大手片道通常運賃より安いのだ。こうしてプランが下のように決まった。 6月26日 ロータリーエアーサービス社より航空券と宿泊券のチケットが届き、あとは出発日を待つだけとなった。 6月26日 (土) 空港まではいつもとまったく同じなので割愛。空港では4月に引き続き、泊めてもらうことになったKo氏へのお土産を買う。チェックゲートをくぐったあと、搭乗口前でしばらく様子見。以前のように予約オーバーで後の便に振り替え・・・にならないかなと思っていたが、そう都合よくなるわけもなく、飛行機に乗り込んだ。 9時半に無事に羽田空港到着。空港内で貯金を下ろしたりした後、京浜急行で品川に出ることにした。手元にあったパスネット「天広直人氏画・ワールズエンド」の かもめカードを使う。自動改札に通すと、先のほうでピュッと女の子の顔が出てくるのが面白い。やってきたのは印旛日本医大行きの急行電車。都市基盤整備公団車の9000系であった。 何事もなく品川まで運ばれ、一旦精算機で精算の後、京急改札を抜ける。やはり東京はあちい。蒸しっとした暑さが全身を包む。JRの券売機にオレンジカードを入れて新宿までの切符を買う。スイカも持ってはいるが、最近地元でオレカを結構買っていたので、その消費のため今回はオレカで動くことにした。新宿へは普通に山手線外回り電車で向かう。車内に入ると冷房が効いていて涼しい。私が東京の暑さが好きなのは、電車の中が涼しいからだと思う。これで電車の中も建物の中も暑かったら、東京の暑さは嫌いかもしれない。 231系で新宿まで運ばれる。途中でNa氏に携帯メールを入れる。私が「新宿に背景を撮りに行く。」というと中野在住の氏がお付き合いしてくれると言ってくれたからで、返信は「こっちも新宿だよ。」ということでもう着いた模様であった。 新宿着。無用に暑く、無用に人が多い。いっつもどっかこっかで改築している雰囲気がある。本当にせせこましい駅だ。 今回の旅行の背景探しは終了。 はや!これで終わりですか?しかもめっちゃ簡単。あんまり「背景解析学の実地研修」には程遠いような気もしたが、まぁ基礎編と言うことで。 そのあとは気楽に鉄道模型探し。KATO製キハ20が欲しいなぁということで「さくらや」を覗く。次第に模型コーナーが小さくなっていっている・・・とはNa氏の話であった。 結局さくらやにキハ20はなく、その他にめぼしいものもなかったのでさくらやを出る。次に私は新宿のぽちに行くことを希望して、そこに行くことになった。新宿をかって知ったNa氏の先導で、徹底的に地下道と建物内を選んで進んでいく。ヨドバシカメラに入ったと思ったら、そのまま一階を通り抜けて、外に出ると目の前がぽちであった。しかし、ぽちにもキハ20はなく、他にめぼしいものはなかった。しかし、Na氏はマイクロエース「銀河」のばら売りで出ていた「EF58 \2,725」を見て、「これは安いねぇ!」と言うが早いか買っていた。私は買わないまま店を出る。「ヨドバシも見る?」と言われたが、そっちはやめた。 Na氏はのどが乾いたと言うことで、ジュースを買うことにした。普通にコンビにか自動販売機で買うのかと思ったら、薬局の店内に入る。店頭にあった栄養ドリンクでも買うのか!?と思ったら、奥のほうに冷蔵ケースがあり、そこから選んでいた。冗談半分で「ごちそうさまですっ!」というと「えー!?仕方ないなぁ・・・」ということでおごってもらった。105円。 ジュースを飲みながら南口へと向かう。一番最寄だからだそうだ。交差点を渡り建物の中に入る。「そのほうが涼しいから」と言う事だったが、全然涼しくなかった。 券売機で秋葉原までの切符を買って改札を入る。緩行線で行くことになりホームに下りると、丁度止まっている。次の電車でも良いかと思ったがなかなか動かないのでその電車に飛び乗った。秋葉原はやはりデパート改札から降りるのが丁度良い。しかし、南口から乗ったので先頭車の前に来ている。デパート口改札は後ろなので車内をただひたすら後ろのほうへ歩いていった。 秋葉原到着。デパート改札から抜けて、駅前のKに行く。待ち合わせ予定のKo氏は既にKの前に着いているとのこと。まっすぐ行くと、Ko氏がいた。再会を祝す。と次の瞬間、氏から袋を渡された。中を見て私は崩れ落ちた。 袋の中にはあんぱんが入っていたのだ。あんぱんを貰って崩れ落ちたのは前回いつぞやの紀行文でも書いたが、またあんぱんを用いての奇襲攻撃をかけられるとは思わなかった。しかもあんぱんと共に袋に入っていたのは千葉名産MAXコーヒー!これ以上の攻撃があるだろうか?いや、ない。 Kの中を見る。2枚で1,000円テレカコーナーの前になぜか人だかりが出来ており気にはなるが、とりあえず後回し。いつものように互いのネタを振り合いながらグッズ、テレカ、CDと見ていく。ここではいつも時計回り。結局なにも買うことなく終了。Na氏とKo氏とは、アキバに来たときにはいつもまず最初にKを一緒に見て回るが、その時に買い物をしているのを本当に見たことがない。 K終了。本屋の方も見る?と言われたが、興味がないのでそっちはパスした。 外に出て、さぁ何をしよう? お昼を食べていなかったのでお昼ご飯にしようとなった。私はまたまた「それならメイド喫茶!」と希望を出して、まだ行ったことのなかった「キュアメイドカフェ」に行くことを提案した。提案は却下されることなく採用となり、行くことが決定された。その前にNa氏の希望でアニメイトに行くことになった。 アニメイトは入り口が狭く、大変混雑していた。特に買うものがなかったので外で待機しようと最初は思ったが、やはりあちいので中に入る。無用にアキバチックなリュックなどと言うものを背負っている私は、場所をとって大変である。しかも旅行の初日だと言うのに既にかなり膨らんでいる。 なにも買うものがないKo氏と共にあてどなく待つ。と、なんですかー!?Na氏、さまざまな本を5、6冊抱えているではないですかー!凄い・・・。 目の前には「エース桃組」という厚い漫画雑誌が平積みされていた。表紙画はD.C.や、Canvas2でおなじみの七尾奈留氏である。しかも「表紙テレカ全員サービス」と書かれており、結構気になる。D.C.は持っているにもかかわらずしたことがない、にもかかわらず、七尾奈留氏の画は好きであった。Ko氏と「桃組、七尾さんだよ。」と会話をする。が、結局買わなかった。何といっても荷物が多すぎるのである。これ以上増やすのは危険であった。 「週刊・わたしのおにいちゃん」も同じく平積みにされていた、地元のとらのあなに「わたしのおにいちゃん・再入荷しました」と張り紙が貼られており、ずっと気にはなっていた。なんとなく欲しかったのだが、数日前から「二次元(含空想)女の子業務はほんのりと縮小方向で」と自分内で決定してしまったので買わない。手にとって見てみたが、それ以上することはなかった。 大量の本を抱えていたNa氏であったが、買ったのは数冊であった。いろいろと考えるところがあったらしい。 とらのあなにも寄る。Na氏はこっちでも本を買っていた。私とKo氏は、やっぱり買うものがないので、店内で待っていた。 そのあと「キュアメイドカフェ」に行く。エレベーターで上がると、待ち客が二組ほどいた。入り口脇の画架に黒板が掛けられ、「今日は90分の時間制限です」と書いてある。いやはや。「どうする?」と言われたが、いや、待ちましょう。となった。 しばらくするとウェイトレスさん・・・・いや、メイドさん?がやってきた。 ウ:「まだお名前をうかがっていない方は?」 メイドさんが戻ってから、Ko氏に蹴られた。いや、真似だけされた。最初に(ビクッ!)としたのは、声を掛けられたからではなく、「お名前」というところで頭が急回転を始めたからである。(名前は何にしよう?)と思って、出てきたのが、「はにはに」のキャラクター「藤枝保奈美」の名字であった。ちなみにKo氏は藤枝保奈美好きである。 北:「天ヶ崎のほうがよかった?それとも他に何かある?」 多分、前で待っている人か、店内で食べている人か、誰か彼か気づいている人は気づいたんだろうな、と思う。「はにはに」はかなり有名なゲームだし。 まぁ、この店に来ている時点で、結局は「同じ穴の狢」であるからして、無問題である。 しばらく待って案内される。禁煙希望であったが、喫煙席が先に空いたので喫煙席に座った。 メニューを見て考える。なにがいいかな? メ:「ご注文はお決まりになりましたか?」 みんなハンバーグかよっ!しかも3種類メニューに載っていてみんな違うハンバーグ! Ko氏:「つーか、狙った?」 ハンバーグが来るまでの間、いろいろ話をした。昨日の事、今日の事、最近の事、過去の事、未来の事(!?)。 Na氏はオリジナルカクテルを頼んでいた。 しばらくしてハンバーグが来る。和風は予想通り大根おろしで、イタリアンはトマトとチーズであった。フレンチは・・・デミグラスソース?普通のハンバーグと変わんないぢゃん!!ちょっと当てが外れた。 Ko氏と私は、期間限定と言うアイスココアを頼んだ。冷たいココアの上にアイスクリームらしきものが乗っているメニュースタンドがあったので、惹かれて注文したのだ。 が、出てきたアイスココアの上に乗っていたのは、アイスクリームではなくて生クリームであった。しかも写真ではそんなに大きく見えなかったのだが、結構大きかった。味は、、、まぁ普通。 90分の時間制限一杯居ることもないだろうと最初思っていたのだが、外があちいので涼しい店内が気に入って、けっこう長くいた。 店を出る。場所が秋葉原の中でも結構北に位置しているので、まずは模型店のTamtamに行くことにした。Tamtamは蔵前橋通り沿いの末広町交差点の角である。 Tamtamの前に、ソフマップの予約専門館に行く。アキバという街は、ギャルゲー系のゲームの予約受付及び引渡しだけで店が出来るのだから、やっぱ異様である。Na氏とKo氏は、お目当てのゲームの予約特典の情報を探しているようであった。各店の予約特典の中で、もっとも良いものが欲しいという事なのであろう。この種の類のゲームは予約することがほとんどない私にとっては異世界である。それでもただひたすら小さな文字でずらーーーーっと書かれた「発売予定情報」をなにげなく見ていた。お?あのメーカーまた出すんだ。あ、あそこはあの新作か・・・。 見るだけで、そこは出た。 Tamtamでは、新宿でも探したキハ20を探すが、やはりない。まぁ前回の生産が結構前だったから仕方ないだろう。Tamtamではそれよりも先日発売されたばっかりのマイクロエース京阪3000系7両セット(2階建ての付いてないほう)が欲しかったのだが、見当たらない。発売当時にNa氏は「7両セットは人気なくて余ってるよ〜」とチャットで話していたのだが・・・・。店員に聞いてみると「売り切れました。」とのこと。かなり残念だ。京阪3000系は、京阪廃車後に富山地鉄と大井川鉄道に譲渡されており、中小私鉄好きとしてはかなり外せない車両なのだ。
Tamtamを出る。その次はまたまた鉄屋。「ホビーランドぽち」に行く。やっぱりキハ20を探したのだが、見つからない。やっぱりみんなアレに流用することを考えているのかな?アレのサイズにぴったりだし、純正より性能良いし、ねぇ。「キハ25 首都圏色M車」の中古はあった。\2,500くらい。ちょっと高いかなぁ。しかも25だし。20なら動力が無くなって残った車体を島鉄とかに流用できるけれど、25はねぇ。
「すいません、この京阪3000系、見せてもらえませんか?」 動力の試走と、ライトの点灯を確認する。走行は問題なし。4両の先頭車全てのライトが点くのだが、2両だけどうも暗い。それを指摘してみる。が、特に「値引きします。」といわれることもない。店員は「ライトレンズの肉厚の関係もありますね。裏からえぐると改善されることもあります。」という。それはなかなか高等技術ではなかろうか。 結局買う。元から買う予定だったし、方向幕に無造作に貼られている特急シールも特に関係ない。 ぽちを出る。 階段で降りると下の階が「げっちゅ屋」で、そこにも寄る。寄ったものの特になにも買わなかった。 「ぽち」を出て階段を降りていくと踊り場に貼られているげっちゅ屋の広告がかなり目に付くが、ぽちをよく使っていた6年前はパソコン系の広告が多かったような気がする。本当に変わってしまったなぁ・・・。 次に行くのは横断歩道を渡った先の「リバティー」。相変わらずテレカである。まだ時間は早かったが、エレベーター前には「18時まで10%オフ」の張り紙が張り出されていた。今度こそ安く買うぞ。 と、気合を入れていったテレカコーナーであったが、今回はめぼしいものが殆どなかった。店内には芳香剤の香りがかなりきつく漂っており、Na氏は気分が悪くなっているようであった。めぼしいものがほとんどなかったわけであるが、それでも3枚くらい買った。 その次に行くのは、またまたリバティー。東京三菱銀行向かいの店である。こっちでもテレカを物色。結局ブルーゲイルのテレカ他数枚買った。 次はGMストアー。Ko氏は、また「外で待ってる」ということで、Na氏と二人で行く。キハ20他を探してみたが、結局欲しいものは見つからなかった。 その下のIMONにも行って見るが、中古ショップにはいいものはなかった。新品ショップにもいいものはないなぁ・・・と思っていると、壁に「特価40%オフ!」と書かれた商品一覧があった。結構「余り物」的な商品が多い気がしたが、その中で「TOMIX キハ120 越美北線カラー」というのがあった。キハ120は同系が第三セクター鉄道にけっこう配属されているのが特徴の気動車である。というより「キハ120」という形式は、富士重工が第三セクター向けに開発したレディーメイド気動車をJR西日本が閑散線区向けに採用して導入した感じである。TOMIXはJR西日本のカラフルなキハ120各色を製品化しているが、大半が「ステンレス車2両セット」の中で、越美北線カラーはその中で唯一の「鋼製車2両セット」である。第三セクターの車両は全て鋼製車である。早い話が、ウチの非電化閑散線区向けにキハ120が欲しいという事である。 そこでIMONのポイントカードを持っているNa氏に「ポイント付けて良いから少し負けてよ。」とお願いして、買う事にした。店員さんに頼むと、奥のほうから持ってきてくれた。「残り2セットです」と言う。 かなりキツキツの発泡スチロールケースから慎重に取り出して、状態確認。確認したところで結局はオリジナルカラーに塗りなおす可能性が高いのだが、それでも明りに当てて塗装面の状態を確認する。小さな塗装ムラが見つかったので、もう一箱の車両を取り出して確認。塗装ムラが無い2両を組み合わせてもらった。もちろん走行状態とライトの点灯確認もしてもらった。 だいぶKo氏を待たせてしまった。 これでとりあえず「アキバの回りたいところツアー」が終わった。私の収穫は「テレホンカード数枚」・「京阪3000系7両セット」・「キハ120 越美北線カラー2両セット」。鉄道模型の種類に純然たる「国鉄・JR車」が無いのが大きな特徴だなと思う。 時間ももう夕方なので、「3人」と人数的に少し寂しいものの「飲み会」となり、万世橋交差点かどのビルにあった飲み屋に行くこととなった。この飲み屋になったのはオフ会等に使えるか?と言う下見的な意味合いもあったようだ。 そこで約2時間くらいだろうか?大いに食べ、大いに飲んで、大いに騒いだ。いや、三人だったから静かだったかもしれない。 結構開放的だったからオフ会会場にはちょっと向かないその店を出る。 アキバの最後にラオックスアソビットシティへ向かう。旧ホビー館の地下一階の店でえろげ販売店である。Ko氏がしきりと「なにか買おう!」と勧めてくるので、「Ko氏が買うなら何か買いましょう。」とやり返す。と、Ko氏も「それなら買う。」となり、土壇場でえろげを買うことになった。
Na氏にも「なにか買いましょう!」と言ったが、Na氏は買わないままだった。結局Ko氏は「カラフルBOX」、私は「モエかす」を持ってレジに並ぶ。「モエかす」は結局ラオックス通常売価より1割引になった上でテレカが付いて来た。「良かったぢゃん!」と二人に言われながら店を出る。 店を出た時点で、私の両手には「Ko氏へのおみやげ(Ko氏から貰ったあんぱん袋も一緒)」「京阪3000系」「キハ120」「モエかす」と、4つもの袋を抱えていた。をいをい、まだ初日だぞ!? これでアキバは本当に終了となった。 券売機でまたまたオレカで切符を買って改札をくぐる。Na氏に「だいぶ工事が進んできたでしょ。」と言われる。電気街口改札はつくばエクスプレス関連で改装工事が進んでいたが、改札内が広くなっていた。Na氏とKo氏は「電気街口改札から総武線ホームへの直通エスカレーターが無いのは不便だ!」と二人して声を合わせていた。Na氏は「設計ミスだ。」とも言っていた。確かに一旦山手・京浜東北線ホームを経由して上がらなければならないのは不便ではある。 家が内房線方面になるKo氏と氏宅に泊めてもらう私は、電車の時間を見ながら東京駅から総武快速線に乗ることにした。Na氏も東京から中央快速線で帰ることとなり、東京駅まで一緒。 京浜東北線の209系に乗る。 Ko氏:「そういえば『はねはね』買わなかったね。」 中央快速線ホームに上がるエスカレーター前でNa氏と別れる。ハイタッチをしようとしたが、タイミングが合わなかった。苦笑のままお疲れ様〜。 二人で階段を降り、エスカレーターを降りて深い深い総武快速線ホームへ向かう。そういえば、東京駅の総武快速線ホームを使うのも久しぶりだ。 ホームに下りると、29分発始発千葉行きが既に止まっていた。空席はかなりある。先発25分発千葉行きは始発電車でないので座れるかどうかわからない。ちょっと疲れた私は25分発に乗ろうとしていたKo氏を促して、29分発のボックスに座った。 座ってまもなく「京葉線があったね。」という話になった。Ko氏は手持ちの携帯時刻表で、私はかばんの中に入れていたコンパス時刻表で、京葉線の時刻を調べ出した。 北: 「あ、丁度直通快速の君津行きがあるね。そっちのほうが先の到着だ。」
ということで、深い深い総武快速線ホームから、遠い遠い京葉線ホームに移動することになった。 京葉線への連絡通路からはネズミが描かれたキャラクターグッズや袋を持った老若男女がぞろぞろと上がってくる。老若男女とはいえ、主は家族連れと若い女性、それにカップルだ。 二人で動く歩道を通り、エスカレーターを降りて遠い遠い京葉線ホームへやってきた。京葉線はこないだキャラフェスで乗ったが、東京駅を使うのは久しぶりだ。 38分発内房線直通京葉快速君津行きは、まだ空席があった。205系。Ko氏は7人がけロングシートに座ろうとしたが、私は荷物内容を考えて、はじっこの3人がけに座った。 発車後、地上に出るか出ないかくらいで疲れから寝てしまった。 6月27日(日) 本当は朝早くに起きて、Ko氏宅最寄の駅で列車を写そうと思ったのだが、結局面倒でしなかった。今回Ko氏宅泊と決めた時点で、列車を撮ろうとは考えていたのだが、同じように「面倒で撮らないかもしれない」とも考えていた。 昨日たくさんあった荷物はKo氏宅で、氏にお土産を渡してひとつ減った。さらに京阪3000系とキハ120をカバンに押し込み、さらに「モエかす」も詰め込んだ。それに以前からKo氏が積んでいたため「それなら私が買い取りましょう!」と話していたためここで買い取ることになった「モエかん」も背中に詰め込んでいる。荷物は背負いかばんと、あんぱんの入った手提げ袋だけに減らしていた。 7時半過ぎの列車で五井に向かう。Ko氏宅は小湊鉄道の沿線である。 先日グリーンマックスから小湊鉄道キハ200型の模型が発売された。上京した時の宿としてKo氏宅にちょこちょこ泊めてもらっている私は、小ネタとしてこの模型を前回上京時に買っていた。家に帰って開けてみると、床下機器が既存キットの流用でちょっとがっくりした。せっかくちょこちょこ乗っているのだから、床下機器にこだわりたいな、と考えていた。 そこで、五井駅で時間があったので、ホームの端から見える車庫に止まっていたキハ200型の写真を撮る。デジカメはフィルムを気にせずに撮れるので手軽で便利だ。床下機器を中心に狙って撮る。
撮り終わって、Ko氏と改札をくぐる。正面の西口に出ようとすると、Ko氏から「バスは東口だよ。」と言われた。 東口に降りる。低い柵からホームに止まっている小湊キハ200が見える。撮ろうとすると心配性のKo氏から、「まず切符買って!」と言われる。なるほどそばに小さなバス券売所があり、切符を売っている模様。見てみると羽田空港行高速バスは運賃先払いのようで、これは買わないといけない。1,300円。 今回初めてこの五井−羽田空港の高速バスを使うわけだが、所要時間が東京湾岸をJRでぐるっとまわるよりよっぽど早い上に、運賃もバスのほうが安いので、見つけたときには嬉しかった。JRなら総武快速線で品川まで出てから京急に乗りかえるとか、京葉線で東京に着いたら長い連絡通路を通らなければならないとか、いろいろ不便だが、バスなら一本直通でとても便利である。 バスの切符を買い、キハ200の写真を撮る。ホームに止まっている車両の床下を狙う。これでキットはなんとかなるかな? 東口前にローソンがあるので、そこで飲料の補給をする。飛行機に乗れば飲み物が出るので気にすることはないのだが、福岡のHi氏へのおみやげにMAXコーヒーなどを買わなくてはならない。 東口前には何台ものゴルフ場の送迎バスが止まっていた。いかにも房総半島らしい光景だな、と思った。 そうこうするうちに京急の高速バスがやってきた。・・・高松懺悔紀行で徳島まで行った時と同じタイプである。 しばらく外でちょろちょろしていたが、早めにバスに乗りこんだ。Ko氏に見送られて出発。 バスはいきなり細い道に入ったので何事かと思ったが、単なる抜け道で、すぐに高速道路に入った。そのまま高速道路を木更津方向に走る。ずっと山ん中ばっかりで風景がつまらない。そのうち「東京湾横断道路(アクアライン)」と示された方向に別れる。遠く木更津市街地らしき風景を見ながら&久留里線らしき細い線路をまたいで、道路は海へとまっすぐに伸びる。 そうして海上に出た。 とはいえそう感動することでもない。海にかかる橋なんてたくさんある。まぁ強いて言えば、東京湾アクアライン初体験であったので、ちょいと嬉しかった。 有名な人工島「海ほたる」には寄ることなくトンネルに突入。トンネルに入れば変わることなんてなく、延々と道が延びるだけである。頭の上が海だと言ったって、青函トンネルもそうだし関門トンネルだってそうなんだから今更である。 トンネルを抜けると、そこは羽田であった。 くるくるインターを回って定刻に羽田空港到着。本当に50分で空港に着くものかと半信半疑であったのだが、やっぱり着いた。便利な道路が出来たものだ。・・・鉄道には厳しいけど。 飛行機の出発まで35分。別におみやげは買ってあったので、のんびりとチェックゲートを抜けて・・・と思ったのだが、そうはいかなかった。 係:「すいません。手荷物拝見させて貰ってよろしいでしょうか?」 取り出したるもの、おみやげの「エゾシカカレー」の缶詰である。 係:「もう一度通しますね。」 ・・・・・・・ 係:「すいません。お手数かけました。」 エゾシカカレーかよっ! 千歳で引っかからなかったのに羽田で引っかかった・・・・。 それ以外はなにもなく、無事に飛行機に乗りこむ。そうして離陸。あいにく東京上空は雲がかかっており、すぐに雲の中に入ってしまった。機内で昨日Ko氏からもらったあんぱんを食べる。今日の朝食である。「飛行機に乗ったらあんぱん」は私の恒例行事にしていたが、まさかKo氏からもらったあんぱんを食べることになるとは・・・。 こうして本当に1年ぶりとなる再会が果たされた。 福岡空港正面の駐車場に止めてあったHi氏のヴィヴィオに乗りこみ出発!と同時にお土産の「エゾシカカレー」を進呈!去年のお土産は「とどカレー」であった。早速お互いの近況などを話す。車には私のリクエストで去年と同様「わかにゃんぬいぐるみ(ねこみみ付)」をぶら下げてもらっていたので、早速ぐるぐる回しの刑に処す。 北:「わーい!わかにゃんだー!!(ぐるぐるぐるぐるぐるぐる〜〜〜〜〜)」 今日、まず向かう先は、糸田の「三井住友セメント糸田鉱山の旧専用線」跡である。Hi氏は私のこんなマニアックな希望にも快諾してくれた。とても嬉しいことだ。 私がHi氏と知り合って5年。その間に何回か九州に来た。結構大宰府天満宮に行くことが多かったのだが、糸田出身の氏の案内で筑豊観光もちょこちょこした。しかし、この糸田の専用線は一回も訪れることは無く、DD51牽引で田ノ浦まで引っ張っていたセメント列車すら一回も撮ることが無かった。こんなに北九に来ているのに!! 廃止直前の今年3月には貨物撮影で渡九する計画を練った。が、3月4月の繁忙期航空運賃に阻まれて、計画は断念せざるを得なかった。往復10万円はセメント貨物撮影の為には痛過ぎたのである。 その悲しみから、今回の北九観光に、この糸田の専用線を見たい!というのを始めから提案していたのである。 福岡空港から糸田の鉱山に行くにはあの有名な八木山峠を越えていかなくてはならない。そう、福岡側から行く場合にはあのつづら折りのすんごいヘアピンカーブを上っていくのである。昨年来たときにはそのルートを確かめたくて篠栗線に乗ったというあのルートである。 門松の手前の福北ゆたか線の陸橋は新しいのが完成していた。川を越えて大きく迂回していた仮道は今やその片鱗すら車窓からは伺えず、仮道のあったところには、ただ、すくすく育つ稲が青々と伸びている田んぼがあるだけであった。 「こんなにも跡形無く、無くなるものか・・・」 筑前山手の駅を左に過ぎると次は・・・ 北:「南蔵院行きましょう!城戸南蔵院!!」 そうしてついにつづら折りヘアピンカーブの八木山峠に突入! 八木山の峠を上がりきると、しばらく平坦な道を走り、今度は飯塚に向かってのつづら折りの下り坂である。 そんな下り坂を向かいから西鉄のバスが上がってきた。中ドアのついた一般路線バスである。方向幕には「飯塚 八木山 天神バスセンター(福岡)」と書かれているので、飯塚から八木山を越えていく路線なのだろう。それは凄い路線バスだ。一度乗ってみたいものだ。 車は八木山峠を下りきる前に左折して小さな道に入った。 そのうち車は小さな橋のところで止まった。 橋の下には単線の線路が続いていた。右手は山元の方向で、切り通しを抜けていく。左手は金田の方向で、切り通しを抜けた後、右カーブの築堤に続いている。
単線の線路には、「手入れされていないローカル線」ばりに草が生えている。が、決して草に完璧に覆われているわけで無いのがこの線路が使われなくなってからまだ日が浅いことを証明している。「使われなくなった」と言わざるを得ないのは、既に線路の頭が光り輝いていないからである。 向こうの築堤からセメントタンク車を連ねた朱色のNo.5(元国鉄DE10)が上がってくるところを想像すると、とても残念であった。 とりあえず、山元に行ってみましょう!と提案して積み込み基地に行ってみることにした。車窓からちらちら見える建造物がそうであろう。田んぼの中の小さな道や住宅脇のくねくね道をたどって・・・着いた!ってさっきの国道の脇だ! 山から下りてくる飯塚国道をはさんで右側が鉱山で、左側が積み込み設備、という形になっていた。国道の上をベルトコンベヤーらしきものが通っている。 「なるほど、こうなっていたのか・・・」 右側の鉱山設備には「麻生セメント 糸田鉱山」の看板が掲げられて稼動中の模様。しかし、日曜日だけに静かである。ただ、通用門脇の守衛室らしきところは電気がついて人がいる=今も動いているということがわかる。 対する国道の反対側の積み込み設備側は、人のいる気配はまったく無く、静かである。まぁ、積みこみの無い日はこういう風に静かであったろうとは思う。 積みこみ設備脇には黒いタンク車が連なっているのが見える。 細い一般道が丁度積みこみ設備の脇を通り、真下をくぐるように通っている。しかも泥道ながら入替線のそばに上がれるようだ。 その入替線に上がる道路の入り口まで車を動かしてもらい、その道を徒歩で上がると・・・・。 「おおおおお!!!!」 そこにはたくさんの「三井セメント」の社紋を付けた黒いタキ1900型が三重に重なって、長く連結されて置いてあったのだ。
さすがに貨車に近づいたり、線路敷きに入ってしまうと、「不法侵入」の嫌疑を掛けられてしまうおそれがあったので、とりあえず脇の草地から貨車の形式写真を撮る・・・って「貨車の形式写真」ですかっ!めっちゃまにあっく。 状況がわかるような写真数枚を撮ってそこは引き上げることにした。 Hi氏に頼んで、金田駅方面に車を走らせてもらう。しばらくは山の中を走るようで、線路からは離れた。 Hi氏:「実家がこのすぐそばです・・・」 Hi氏は、本当に線路際を狙って走ってくれた。田んぼの中の道を通ると、丁度山から下りてきた線路と交わる踏切があった。 山から下りてきた線路が田んぼの中を通っていく。JR等の路線から比べたら築堤の幅も高さもずいぶんと低いので、それが使用頻度の高くない路線であることがわかる。 踏切には線路側に「侵入禁止」の柵が付けられている。山の上にある貨車の買い手が付いて、山から下ろすとなったら柵を外す必要があるから、もう買い手が付かなかったということであろう。 さらに田んぼの中の道を走っていく。「道路」というより「あぜ道」に近いような道である。道はT字の交差点にぶつかり、私たちは右に曲がろうとした。すると左側から小学生くらいの女の子が自転車でやってきた。 田んぼの中の道をくねくねと走っていくと再び踏切。・・・あぁ!!ここは線路がはがされているっ!!
車はさらに線路を狙って走る。と今度は鉄橋だ!うぉぉぉぉ!!これ良過ぎる!!オレンジ色のDLが黒いタンク車を何両も繋げてゆっくりと渡っていく様子を想像する。とても撮ってみたい。しかし既にそれは叶わないことなのだ。 そうして車は平成筑豊鉄道金田駅の裏手に着いた。そこには4本の側線が延びていたので、ここで機関車交換をしていたのであろう。・・・?ここから直方までは平成筑豊鉄道だけど、機関車はなにがひっぱってたんだ?DD51? 結局「糸田の専用線」は「途中の踏切2ヵ所で線路が剥がされているので復活は無し。機関車は既に売却移動済。貨車は買い手が付かなかった様子で山元に留置。最終的にはそこで解体。」という感じだな、と、まとまった。 これにて「糸田の専用線探検」は終了となり、次の目的地に向かうことにする。次は「門司の鉄道記念館」で、昨年6月はまだ建設中だった施設だ。これはHi氏の提案である。私の鉄道好きを考えてくれたのかな?もちろん大賛成である。 門司に向かう途中でコンビニに寄る。Hi氏の飲料補給停車である。私は今朝五井駅東口前のローソンで買ったジュースがまだ残っていたので、買わなかった。Hi氏が買ってきたのは、最近発売になった「ペプシブルー」であった。 「ペプシブルー」はペプシの商品であるが、その発売数日前に商売敵のコカコーラが新商品「C2」を発売している。あからさまに「C2の出鼻をくじいてやろう。」というような発売がペプシらしくて好きである。 ここでついでにMAXコーヒーとカレーパンも渡した。カレーパンは昨日Ko氏がCH駅構内のパン屋で買ってきた例のものである。Hi氏は心配していたが、昨日の今日なので大丈夫であろう。あんぱんも今朝食べて大丈夫なのだから無問題である。 車は飯塚から門司に行くときにいつも使う国道201号に入る。途中までは日田彦山線と併走するルートである。途中石原町からはやはり駅の脇の工場に専用線が延びていた。しかしこれも廃止になっている。 国道201号は途中から片側2車線の広い道になる。それを斜めに横切るように築堤が通っている。築堤の先にはやはり石灰石の山がある。ここも専用線が走っていたのだろうな・・・。 そのうち道路は日田彦山線と離れる。 小倉市街に入ってくると、今度は頭上に小倉モノレールが現れる。4両編成で走る小倉モノレールは赤字がひどいらしく、半分の2両編成に短くする案が出ている。 小倉市街に入り「みずいろCD」が一周したので、これを却下すべくCDを探す。カバンの中に昨日ラオックスで買った「モエかす」と、Ko氏から買い取った「モエかん」、イケナイことをしてしまった「お願いお星様」(DVD)と、なぜかマスターディスクの「オレンジポケット」と「ライフライク」、他のゲームディスクがあったので、それをCDプレイヤーにかけてみるという手段に出た。 ゲームディスクをCDプレイヤーにかけるというのは、たまに誤再生防止用に一曲ぐらい入っているということも多い為で、稀にゲームディスクのくせに20数曲入っていたりして驚かされることもある。大好きな戯画の作品「ぷちチェリー」のように、ゲーム本編はフルボイスに目ぱち&口パクが付いていたにもかかわらず、ディスクは一枚で、しかもその中にサントラ24曲という「一体どうなってるんですか?」状態のものもあったりする。 ということで、CDプレイヤーに入れてみるのだが、どれも音楽はかからなかった。残念。最近は曲入れないのかなぁ? 結構サントラとかも注目されるようになってきて、それだけのCDで売れるようになったりしてきたからねぇ・・・・。 仕方が無いので目の前にあったHi氏持参のCDケースからCDを取り出してかけてみる。車は平和大通りを曲がり、砂津を過ぎ、チャチャタウンの脇を通る。 「♪とま〜らない〜えがおをだきしめて〜」北:「おぉ!これは!」 CDからは懐かしい音楽が流れ出した。ここらへんの曲は、なぜか学生時代にサークルにこの類の曲が好きな人がいて、よく聞いていた。元ネタのアニメは見たことが無いのだが、曲だけは聞いたことがあるという状態である。 門司へ続く国道3号線は線路と山に挟まれて、けっこう狭い。そこを西鉄の路面電車が走っていたかと思うと、不思議な気がする。 門司駅前を過ぎ、昔の機関区を思い出させる大里を通過して、歴史的建造物に入っていそうな門司区役所前を通り、門司港地区に到着。 門司港駅脇の駐車場に車を止めて、「九州鉄道記念館」に入る。 入り口脇には9600型蒸気機関車がある。その次にC61、ED72、キハ07、クハネ581(もどき)、クハ481ボンネットと続く。これが外の展示場に展示してある車両たちである。 この「九州鉄道記念館」は昨年8月のオープンであるが、開館当初に予想以上の来館客でとんでもない事になったそうである。特に「動くところを動かそうとする」行為に悩まされたそうだ。要するに「機関車の運転台に上がり、スイッチ類を動かす。」や、「キハ07の木枠の窓を開けようとする」ということである。どれも長年動かしてない部分なので、簡単には動かない。そのため無理に動かそうとすると、折れたり壊れたりしてしまうのだ。特に木枠の窓なんて壊れても直すことが難しいのだ。 してはいけないことならそれを監視する人がいればいいのだが、そんなにも来館客を見込んでいなかった為人不足になり、一時閉鎖にまで追い込まれたというのをネットニュースで見た。 展示してある機関車には「デッキに上がらないでください」といった鎖がついていた。 Hi氏は「わかにゃんぬいぐるみ」を持ってきており、それをそこかしこに置いて記念写真を撮っている。 キハ07は靴を脱いで車内に入るようになっており、スリッパが用意されていた。木製の床を傷つけないためであろう。 中には案内係のようなお姉さんがいた。家族連れが多いようで、子供たちといろいろお話をしていた。 小さな座席と低い背もたれ、それに半円形の運転台に、ニス塗りの車内。とても20年前まで現役で動いていたとは思えない。キハ07はそんな古めかしい車両であった。 クハネ581も中に入れる。車内は一部にロングシートがあり、しかも2ドアである。格下げ改造されたクハ715を引退後にそのまま元の寝台特急電車塗装に塗りなおして展示しているのだ。 車内に説明文が掲示されているが、「これは寝台電車です。」旨の文章と、白黒のデビュー当時と思われる車内の写真が乗っている。 しかし、車内はあくまでも近郊型に改造された後であるから、「これが寝台電車です。」と言っても、「どこが?」になってしまわないだろうか? 最後の屋外展示車両はクハ481だ。中に入ると国鉄当時の真っ青なシートが並んでいる。二人並びで固定されたシートでリクライニング不可。こんな座席の車両がJRになっても走っていたのが凄い話である。地元の車両は新しい車両が多かったからか、地元でこの座席に当たったことは無かった。一回だけ本当に特急で当たったことがあるが、それはもう十数年前に益田から米子まで乗った特急「おき」であった。8年ぐらい前にも、宮崎空港連絡線でこの座席の485系に乗ったことがあったが、それは特急運用で無かった。 そんな古い座席であるが、これはやはり国鉄である。Hi氏はやはりわかにゃんを座らせたりして写真を撮っている。特急型は窓が固定であり、若干小さい為か車内は薄暗く、長い間いる人はキハ07と比べるとずっと少なかった。
外に出てよくよくこのボンネットクハ481を見てみると、窓の形が正方形に近い。ということはこのクハ481はなんと元グリーン車クロ481の格下げ改造車だったのだ。番号はクハ481-601だから多分そうだろう。 外の展示物を終わり、建物の中に入る。 建物は二階建てで、右側には大きなジオラマレイアウトが展示してあり、左側はカフェになっていた。まず右側の大きなジオラマレイアウトに行く。 16番ゲージらしき車両が線路に乗っており、自由に運転できるようであった。手近な運転台(マスコンハンドル付き)を動かすと、そばにいた475系がするすると動き出した。時間制限は3分。その間であればもちろん加減速は自由である。しばらくぐるぐる回っていたが、そのうち勝手に減速して止まってしまった。3分間終了。一旦止まった車両はまた勝手に動き出し、定位置らしきところで止まった。 「なるほどねぇ〜」 Hi氏もあちこち見ていた。 2階へ上がる。 2階は九州の鉄道の歴史が年表でわかるようになっていた。それに鉄道関連施設の説明クイズといった感じ。軽く流しながら見ていく。 一角には資料室があり、パソコンと、鉄道雑誌が置いてあった。 パソコンには鉄道の歴史やおもしろ鉄道なんちゃらといった感じのソフトが組み込まれていた。動かすのは・・・つばめマウス!! 九州に来る前に調べ物をしていたら、ジェイアール九州商事のホームページにつながり、この「つばめマウス」が売っていた。リンク部分に当てたらライトが光るという珍妙なマウスであるが、なんとなく九州らしい。地元JR会社より九州のほうがいろんな分野に進出している感じで、さすが九州といった感じである。 そのつばめマウスを使いながら、遊ぶ。「中小私鉄の歴史」というコンテンツには島原鉄道や西鉄などの現役の他に、鹿児島交通や、大分交通などの有名廃線、さらには雲仙鉄道や熊延鉄道といったマニアックな廃線まで乗っていた。 その他にも「おもしろ鉄道」には「複線の上下線が離れている区間」や、「戦争で変わった区間」といったけっこうマニアックなポイントが多かった。 「このソフト売ってたら面白いのにな・・・」 と思いながら資料室を出る。 階段を降りて、一階に戻ってきた。 カフェコーナーのちょっと高い一人用机はつばめビュフェで使われていた丸いテーブルであった。カフェの入り口に「以前つばめのビュフェで使われていた部品を再利用してます」と書いてある。つばめビュフェはずいぶんと気に入って、よく通ったものだ。 Hi氏に「寄っていきますか?」と声をかけたが、「いや、いいです。」と提案は却下された。 売店があり、覗く。最近こういう小物系グッズは場所をとるので集めていない。それでも先ほど資料室で使っていたつばめマウスが気になって探してみた。が、売っていない。 Hi氏:「なにを探しているんですか?」 Hi氏がレジに行って聞いてみてくれた。すると小さな紙切れを持って戻ってきた。そこにはつばめマウスの販売場所が書いてあった。ジェイアール九州商事の事務所の住所が書いてある。そこで売っているということなのだろう。小さな紙切れとはいえわざわざ販売場所を書いた紙を用意しているとは、聞いてくる人がけっこう多いのだろう。 販売場所は博多駅のそばであったため、行くことは出来なかった。
こうして九州鉄道記念館は終了した。 次に提案したのは、下関の赤間神社である。去年の門司散策では、門司側の和布刈神社を訪問したので、今回は丁度対岸の下関側にある赤間神社に行こうというもの。それに前述の3月貨物撮影紀行の予定時に、「一緒に行こう」と話していたKe氏(関東在住)が、「家の近くに赤間神社と関連する神社があるから行ってみたい。」と話していたのも、「赤間神社に行ってみよう。」という計画の一端である。 ということで、赤間神社へ。行きは普通に国道を通ることにして関門トンネルをくぐる。関門トンネル門司側入り口は、なぜか知らないが、いっつも混んでる。いや、「いっつも」と言っても、くぐるのはこれが2回目か3回目か、そんな回数ではあるが。 片側一車線で対面通行という、国道のトンネルにしてはちょっと狭い関門トンネル。それをくぐって本州にやってきた。 さて、赤間神社ってどこにあるのだろう?(マテ) 実をいうと赤間神社の場所を知らなかった。なんとなく山の上のような気がしていたので、「裏から上るのかな?」と、山の裏のほうを走ってみる。「彦島」の道路標識が見えると、「あぁ、ヒコットランドだ・・・」と昨年を思い出して懐かしかった。 裏のほうを走ってみても、全然山の上に行く道が無い。困っていたが、電柱標識に「下関赤間神社」と見えたので、それを頼りに走ってみる。 すると、なんのことはない、赤間神社は海に面した低いところにあったのだ。走っていくといきなり左手に鳥居が現れた。いきなりだったので止まることも出来ず、ちょっと通りすぎて左に曲がる。「駐車場はどこだろう?」と思ったのだが、Hi氏は「ここでいいでしょう。」と本日休診らしい歯科医院の脇に止めてしまった。 まぁそんなに時間がかかるわけでもないか・・・ということでそこに車を止めて降りる。 よくよく見てみると、鳥居をくぐったところが駐車場になっているようだ。 駐車場の脇に小さな池がある。それを見ていると、亀がいた。亀は縁起物である。亀はゆーっくりした動きで、覗いている私たちのほうに近づいてきた。しばらく眺める。亀は、私たちに近づいては見たもののエサをくれる様子もないと判断したのか、向きを変えて行ってしまった。 階段を上がって、神社に行く。随分と派手なつくりで、まるでおとぎばなしの竜宮城のようである。和式というより中華式といった感じだろうか。 拝殿でお参り。今回の旅行の無事等を祈る。その後、隣にあったおみくじを引いた。最近余り調子が良くなかったから・・・と思っていたのだが、おみくじの結果は思わしくなかった。これからしばらく良い方向には向かないようで、かなり残念。神社におみくじを丁寧に結んだ。そのおみくじは「幸せおみくじ」で、小さな袋に入っていたので手元に袋が残る。「下関赤間神社」の名前入りであり、用無しだからといって捨てるのはためらわれた。そばのお守り授け所が開いていたので、巫女さんに丁重に返却した。 Hi氏は、若菜さんをモデルにしてあちこちで写真を撮っていた。 鳥居の道路をはさんだ反対側も駐車場になっていた。その先はそのまま海に繋がっている。そこに行って海を眺めた。狭い関門海峡を大きな船が順番に航行していく。対岸の門司側に、昨年行った和布刈神社が見えた。
赤間神社終了。 帰りは高速道路。「高速」と言うと高い気もするが、下関−門司は300円で一区間なら決して高くは無い。関門トンネルも結局有料だから、往復で違う道を通るのは悪いことではない。高速なら関門海峡大橋なので、眺めも良い。 車内BGMは、I'veがしばらく前からかかっていた。 そんな時、聴き覚えのある曲がかかってきた。 北:「あ、これ聴いたことある。なんでしたっけ?」 買った場所、キャラクター名、原画家さん、メーカー、あらすじ、まで出てきたのに、タイトルって出ないものですね・・・。 さて、時刻は既に夕方である。去年はこの時間くらいから門司区高田の「a子ラーメン」を食べた。その思い出があったので今回も食べたかった。そこでまずコンビニエンスストアに寄って「門司区高田」の場所を調べ、そうして車を走らせた。 そうして「a子ラーメン」に無事にたどりつけた。場所は門司駅に程近い場所。「駅前」と言っても良い場所であった。が、残念ながら店休日。本当にかなり残念である。リベンジを誓って転進した。 仕方が無いのでラーメンをあきらめて小倉に向かう。小倉駅前近くの駐車場に止めて、まずはアニメイトに行くことにした。 Hi氏:「近くにヘンな映画館がありますけど、気にしないでください・・・」 ホモの映画館であった。 小倉駅を横断してアニメイトに行く。駐車場は駅をはさんで反対側だったのだ。小倉駅は高架コンコースになっているが、そのコンコースの真ん前に小倉モノレールが乗り入れている。JR駅と地方都市交通の乗換えとしてはこれ以上のロケーションは無いと思う。駅前の路面電車でも本当に駅前に便利に乗り入れている例と言うのは少ない。しかし、ここのモノレールはとても便利である。それでも利用者が少ないと言うのは残念である。 アニメイトのビルまではペデストリアンデッキで繋がっており、通路分だけ屋根もついているので雨の日も安心である。 小倉アニメイト到着。なにも買うものはないなぁと思っていたら、そうそう!「はねはね」を買うんだった。アニメイトポイントカードが一杯になっているので、それを使って買おうと思っていた。小倉なら西日本アニメイトの管轄のはずだし、アキバとか地元より面白い。そうだ、買いましょう・・・。 と思ったら、ポイントカードが財布に入って無かった。考えてみれば昨日買おうと思ってポイントカードを取り出したものの、結局買うのをやめてしまった時に、財布に戻さずにチケットケースに挟めてしまっている。チケットケースは落としたりしたら大変だと、かばんに入れてしまった。かばんは車の中・・・・。 ということで、結局小倉アニメイトで「羽」は買わなかった。「羽」どころか何も買わないで終わった。 再び駅を横断して・・・の途中で、小倉駅ビルに「ラーメン街」が出来たとHi氏に教えられた。なるほど札幌ラーメン他何店かが集まった看板が出ている。門司の「a子ラーメン」を食べ損ねているので、今回はここで食べましょうとなった。 入ったのは「」という博多ラーメンのお店である。ベースのラーメンに、高菜やチャーシュー、その他の具をトッピング(有料)していくタイプであった。既にトッピングされているメニューもあり、その中の「田舎ラーメン」を頼んだ。 待っている間にいろいろ話す。ふと、ラーメンのメニューをよくよく見てみると、「田舎ラーメン」は、単純にベースのラーメンにトッピングの を足しただけだと発覚!別にメニューとして独立されているからと言って、割り引かれていたりするものでもなんでもなかったのである。ちょっとがっかりした。 味はまぁまぁ。普通かな?特に「これはうまい!」ということもなかった。 ラーメンを食べた後、まったりと南口を抜けてアーケード街をふらつく。そうして「メロンブックス小倉店」に入った。ここは初めて入ったお店。地元にもメロブはあるが、なかなか濃くて立ち入らないところである。Hi氏はレジ脇に置いてあった「Fate」のなにかソフトのようなものを見つけると、すぐに買っていた。ちなみにスタンプカードは忘れたらしい。それでも買っていた。さすが、である。 濃い同人誌や濃い商業誌が多い。メロンブックスととらのあなはそんな気がする。勢いに任せて買ってしまった・・・ということになるかと思ったが、結局買わなかった。それでもなんか惹かれていたものがあった気がする。 メロブも出て、これにてほぼ全てが終了した。 車は最後のまったり感を乗せて、折尾へ走る。折尾がHi氏の最寄駅である。疲れから少し眠くなる。二人とも口数が少なくなっていた。 そんな時・・・ 車は折尾駅に到着。お別れである。渡すものを改めて渡し、引き取るものを改めて引き取る。 明日、長崎に行く予定だった私は、「折尾から長崎まで買った方が安いかな?」とみどりの窓口に聞いたりして調べたが、どうにも安くなりそうにない。しかたがないので今日は普通に博多までの切符を買った。 改札に入り、本当のお別れ。また来年かな?その前に来たいけれど、いろいろお互いに難しそうである。 折尾始発の列車があったが、その後の快速のほうが博多に先着と言うことで、快速を待つ。ややしばし待った後で快速に乗り、博多へ。博多から地下鉄に乗り換えてホテルへ向かった。 6月28日(月) 昨日の疲れからか、とってもゆっくり寝てしまった。まもなく10時。 予定では朝ラッシュの西鉄宮地岳線で小編成吊り掛け電車でも楽しみたかったのだが、それが出来なくなった。ホテルの「モーニングコーヒーサービス」も9時までで終わっていた。 仕方がないのでホテルを出る。 それでも予定通り西鉄宮地岳線に乗ることにして、貝塚を目指す。最初は地下鉄で行こうと思っていたのだが、地下鉄の入り口に着く前にバス乗り場があった。複雑な路線図を見てみると、貝塚を通るバスがある。そこでバスで行くことにした。 待つほどもなく、「天神経由 香椎 名島」というバスがやってきて、それに乗った。 地上なので地下鉄で行くよりもずっと楽しい。福岡にはよく来ているが、バスで通ることは滅多にない。 バスで、天神、中州を通過して、貝塚に着いた。 駅には新性能電車600型が止まっていた。乗りたいのは旧性能の300型なので、一旦駅に入り、電車の時間を確認してから、西鉄宮地岳線の貝塚車庫のほうに向かう。車庫見学って出来るかな?と考えたからだが、なんとなくする気が起きなかった。 600型が出て行くのと入れ替わりにやってきたのは吊り掛け旧性能の300型であった。前回来たときにはデータイムに一本しか走っていなかったこともあり、「乗れるかな?」と考えていたのだが、早速やってきた。 やはり津屋崎までの切符を買って、乗り込む。 線路付け替え工事を行う名香野はまだ進捗していなかったが、高架化工事を行う香椎周辺はかなり変わってきていた。西鉄香椎の駅舎も仮駅に変わっていた。 終点まで乗り通した。 さて、どうしよう? これからの予定は、あとは小倉からの日田彦山線だ。もともとのんびりの予定なのだ。結局今来た電車で折り返すことはせず、隣の宮地岳駅まで一駅歩くことにした。 線路から付かず離れず歩いていき、宮地岳駅到着。次の電車の折り返しに乗ることが出来た。暑いこともあり宮地岳神社参拝は今回もしなかった。
前々回の西鉄宮地岳線の時も、途中からJRに乗り換えた。その時は福間だったので、今回は駅を変えようと思い、古賀から乗りかえることにした。 福間は結構歩いた記憶があったが、古賀は近かった。駅が見えた時から、ホームに813系が止まっているのが見えたが、駅についても出発しない。普通電車の特急退避待ちだった。 時刻表を見ると、小倉にはこの後の快速電車のほうが早く着くようなので、快速に乗ることにした。 やってきた快速の門司港行はやはり813系。まだ早い時間帯だが、なぜか高校生が多い。 階段の近くからなにも考えずに電車に乗ったが、座席は高校生で埋まっていてつまらないので、車間通路を通って、先頭車に出た。 この電車の車中で、3月の貨物撮影訪九を一緒に考えていたKe氏からメールが来た。八幡あたりまでしばらくメールのやりとりをしていた。 八幡からだろうか、女子高校生二人組が乗ってきた。一番前のドアから乗ってきたので、運転台が見える。一人が運転台に興味を示し、「これいい!!」と言い出した。信号確認の指差し確認がいたく気に入ったようで「チョーうける!!」と言う。もう一人は興味を示すことなく、助士側の客ドアの座席側に寄りかかっている私の前、助士側壁にそってしゃがんでしまった。短いスカートだが、中を気にすることなくしゃがんだ。というか、見えた。私の視線は気にすることなく、というより「見られても平気」状態である。視線を動かせば「ずーっと見えてる」状態にもなったが、それでは「えろおやじ」になってしまうので、私は普通に前面展望を続けていた。
日豊本線との分岐点の西小倉を過ぎ、小倉に着いたが、次の日田彦山線の列車は40分後まで無い。本当の一筆書きならば、一駅前の西小倉で乗り換えないといけないのだが、これは大目に見てくれる範囲だろう。まず着いたホームのスタンドで、「かしわうどん」を食べた。スタンドに「漫画クッキングパパで紹介された小倉駅のかしわうどん」と出ている。「クッキングパパ」というのがいかにも九州らしい。以前、JR九州の車内誌「Please」に、クッキングパパの原作者うえやまとちの漫画で、九州の食べ物を紹介するようなコーナーもあった。 とにかくそのうどんを食べてから、駅構内を散策する。一筆書きなので降りれないのだ。 九州の近郊型電車415系の模型を作っていたので、その参考にと415系を探すが、かなり少ない。古賀から小倉まで前面展望したが、来るのはほとんどが813系であった。415系は日豊本線系に少ししかのこっていないようだ。 ホームを散策していると、羽犬塚行きの電車がやってきた。813系のその電車の種別は「準快速」。聞きなれない種別だ。一部区間のみ快速の列車で、地元で言う「区間快速」みたいだ。 そのうち日田彦山線田川後藤寺行きの列車が入ってきた。キハ47型の2両編成だ。 座席を確保して、またうろつく。ジュースを買って席に戻った。 小倉を出ると、西小倉、南小倉を通って、城野に着く。城野から日田彦山線へと入っていく。 昼下がりの気動車はのんびり。 駅の裏の丘で草刈をしていた志井公園を過ぎてたんたんと走っていく。 そのうち国道と併走しだした。糸田・後藤寺方面から小倉へ向かう国道である。昨日走った道だ。 車窓は車からよく見ていたので、道路との対比に注目していた。 「あー、この道があっちで線路がこっちで。そうだそうだ。」 そうして列車は石原町に着いた。駅の裏に拡がっているのは昔のヤード跡だろうか?駅は無人のようでひと気が無い。寂しい駅であった。駅を出るとすぐ左側に線路がもう一本続く。小さな橋を越えてしばらく並んでいたが、そのうち離れていった。国道との交差箇所は築堤が削られている。反対側の山の斜面にへばりついて見え隠れしていく築堤は、その先の2つのセメント工場からの専用線跡である。(家に帰ってからJR化後まもなくの資料を見てみると、当時は九州一の石灰石積出量を誇っていたようで、石原町駅はJR貨物管理の駅だったようだ。) この石灰専用線跡を過ぎると山が深くなり、日田彦山線と国道はトンネルで抜ける。抜けて山を降りると香春で、同じキハ47の2両編成とすれ違った。香春駅の隣には大きなセメント工場がある。 香春を過ぎると左側にまたもや線路跡。しばらく併走したあと、すこしずつ左に離れていった。これは添田線の跡。 と、離れてまもなくまた左側から線路が近づいてきた。これは平成筑豊鉄道田川線の線路で現役である。線路を見ていると、「やっぱり現役の線路はいいなぁ」とつくづく思った。こっちの線路と並んだ所に「かみいた」という小さな駅があったが、日田彦山線に駅は無く通過。ホームにちらほらと人が見えたので、もうすぐ列車が来るのだろう。 そうして田川伊田に着いた。田川伊田はけっこう大きな駅であった。駅前に広がる街もそれなりの大きさがある。 田川伊田を出ると平成筑豊鉄道は伊田線となり右に離れていく。 と、平成筑豊鉄道が離れていった右側からまた線路が近づいてくる。こんどの線路は平成筑豊鉄道の糸田線である。糸田線と並んだあと、もう一本の線路が近づいてきてこの列車の終点田川後藤寺の駅に着いた。もう一本の線路とはこれから乗るJR後藤寺線である。 一駅二駅ごとに廃止線や旧専用線が絡み、第三セクター転換線が繋がってくるところは、昔石炭で栄えた筑豊地区らしい。北海道にも有名な炭田があり炭鉱へと支線が延びてはいたが、筑豊地区ほど複雑な線路の絡みは無かった。田川後藤寺より先でも、日田彦山線は二駅目の豊前川崎で右側から旧山田線を繋げ左に未成線の油須原線を分け、さらに二駅先の添田で香春で分けた添田線とまた一緒になる。 乗ってきた列車は田川後藤寺が終点である。日田彦山線はこれから先、久大本線の夜明まで続いている。接続列車があり、乗り換え客が足早に乗り換えていった。そうしてすぐに久大本線の日田まで行く列車が走っていった。列車はキハ125の単行であった。 乗り換えるのはさっき繋がってきた後藤寺線で10分程度の待ち合わせ。ホームに行ってみるとキハ40の単行が止まっていた。番号はキハ40の8000番代となっており、超インフレ数字だ。元番号は2000番台のはずで、どんな改造をしたのか元番号プラス6000になっている。 田川後藤寺を出るとすぐに左に分かれ、飯塚を目指す。 次の駅は船尾で山の中の小さな駅。左手にはまたまた石灰鉱山が広がる。これが麻生セメントの工場で、昨日Hi氏と見た三井住友セメントの田川鉱山を引き取った会社だ。田川鉱山から石灰石をここまでトラックで持ってきてセメントに加工しているらしい。 左側の工場には線路沿いに積み込み設備が見えた。昔は貨車で運んでいたのであろう。 トンネルをくぐると、左側にきれいな池が見えた。 そうして筑前庄内の駅に着いた。筑前庄内からは漆生線が分かれていた。既に線路跡は道路となっているので「漆生線があった」というのを知らなかったら気付かないであろう。 以前来た時(97年)は、まだ昔の駅舎が残っていて、漆生線の面影があったのだが、すでに駅舎は取り壊されていた。というより駅舎が無い。待合室も置かれないほど小さな駅に成り下がっていた。 そのあと、下鴨生、上三緒と小さな駅二つをクリアして新飯塚に着いた。上三緒では「DAパンツ!!」という珍妙なゲームに出てくるキャラクター「桜井三緒」を意識して、駅名板を撮ってしまった。九州筑豊まで来てこんな写真を撮るやつはたぶん私ぐらいであろう。 新飯塚からは快速の博多行に乗り換える。ホームには既に待つ人が結構いた。ほどなくして列車がやってくる。813系の4連であった。 いつも気になる八木山峠を越えて福岡に着いた。 今度は長崎に行く予定である。しかし、長崎までの切符を持っていない。九州では「2枚切符」というお得な切符を発売している。二人で片道でも、一人で往復でもどっちでも使える切符である。もちろん福岡−長崎間にも設定があるのだが、残念ながら私は一人である。 安く行くならバスかなぁ、と考えていたのだが、やっぱり特急かもめで行きたい。 そう考えていてはたと気付いた。地元でもお得な切符をばら売りしている金券ショップがある。福岡にももちろんあるだろう。そこで買ったら安いのではないか。 電話帳を繰って、駅のそばにある金券ショップを探す。新幹線のある筑紫口にあるようで、さっそく行ってみた。 そこは小さなビルの2階であった。本当に小さなビルでいささか不安である。ビルの前に看板が出ていて、間違いはなさそう。 入り口のドアの前にはJR切符の販売をしているとは書いていなかった。不安はさらに増幅した。「無い」と言われればすぐに帰ろうと思って、店のドアを開けた。 「すいません。長崎までってありますか?」「はい、ありますよ。」「おいくらですか?」「2520円です」 安っ! 4枚切符の4分の1よりさらに安い。余りの切符を持ち込んだ人から安く買っているのだろうか? さっそくそこで切符を買って駅に戻った。 発車時間までまだ少しあったので、駅構内に甘い匂いを漂わせているパン屋に行ってみた。改札前にあるその猫の額の様に小さな店には、昨日の夜も小さな行列が途切れなく出来ていた。 そこは量り売りの店であった。3種類ぐらいのクロワッサンを売っていたので、各種1個づつ買ってみた。 改札をくぐってホームに上がる。 真っ白なかもめは既にホームに入っていた。自由席の空席を探すが、見つからない。2列空席は既に無かった。 切符をよくよく見てみると、繁忙期以外は指定席に無料で変更できますと書いてある。先に気がつけば窓口で頼む所であった。 仕方が無いので通路側の空席を見つけて相席で座る。 博多を出ると、元気よく飛ばしだした。しかし、通路側なので外の景色はよく分からない。 鳥栖に到着。あまり乗客は動かない。少しだけ乗ってきた。 鳥栖からは長崎本線に入る。長崎本線も線路はいいようで、いきなり揺れだすような事は無い。 そうして佐賀に着いた。佐賀ではかなりの乗客が降りていった。私の隣の人も佐賀で降りていった。 ゆっくりになったので、車内販売からコーヒーを買ってくつろぐ。ついでにクロワッサンも取り出す。なぜか写真も撮る。
赤いお日様が右の窓に映り、寂しげな夕焼けが広がる。 佐世保線との分岐点の肥前山口ではそんなに人は降りなかった。 たくさん降りていったのは次に止まった肥前鹿島である。新幹線が出来たら鹿島は通過となってしまう。どうなるのだろうか? 肥前鹿島を出て気がつくと、車内にはもう6・7人ぐらいしかいない。諫早・長崎までかもめで行く人は少ないようだ。時間帯のせいだろうか? 肥前鹿島を出ると有明海に沿う急カーブが続く。右側の太陽は名残を惜しむかの様に山の端に見え隠れしていた。 里信号場で上りかもめと交換。入り江に沿ってぐるっと回りながら走るので、交換したかもめがしばらく見えていた。 諫早を過ぎ、長崎に着いた。 長崎に着たのは実に1年半振りである。今回は長崎泊まりで、泊まりとなるとさらに久しぶりだ。
日は没したが、名残の明るさがまだ続いている。路面電車に乗ってまずはホテルへと向かった。 ホテルはグラバー園のそばである。そのホテルにチェックインして、一息落ち着いて荷物を置いてから、夕飯に出た。もちろんちゃんぽんである。これが食べたくて長崎に来たのだ。 グラバー園下にある四海楼で食べる。「大盛り」を頼みたい所だが、無いのが悲しい。 窓際に座りちゃんぽんを待つうちにすっかり日が落ちた。 ちゃんぽんはやはり美味しかった。最近はとんこつラーメンよりちゃんぽんのほうが好きだ。ちゃんぽんはとんこつラーメンよりかなり甘めであるが、それがいいのだろうか?独特の美味しさがある。 四海楼は、ちゃんぽんの発祥と言われる店だ。なんでも貧乏な外国人留学生に栄養のあるものを腹いっぱい食べさせたいと言う思いから、ちゃんぽんを考え出したらしい。そのために具がいろいろ入っているのだ。 ただ、今の四海楼は大きな大きなビルみたいな建物にあり、ちゃんぽん一杯950円もする。当初の目的であった「貧乏な外国人留学生」には簡単に手を出せる料理でなくなってしまった気がする。 店を出た後、夜の散歩をする。ホテルの直ぐ傍がセンチスポットである梅香崎中学校なので、その脇を通りながら、オランダ坂方面へと上る。 活水女子大の脇を通り、ジャーニースポットの階段が閉められているのを見ながら、坂を上り、観光通側の反対の階段を下りていった。 長崎の道はとても狭い。住宅が立ち並ぶ山の斜面は、玄関のすぐ前に通路があり、そうして蜘蛛の糸の様に小さな道が縦横に張り巡らされている。軒先から良い匂いがしてくる。 観光通りまでは出ずに、新地中華街にも入らないで山のすそを通ってホテルに戻った。
6月29日(火) あくる日は早起きした。本当はもっと早く起きたかったのだが、最近はだらけてしまい、旅先でも早起き出来ない。 電車を乗り継いで長崎駅前まで行く。島原鉄道に乗りたかったので諫早へと向かう。諫早に行く一番早い電車がかもめだったので、かもめに乗る。かもめ自由席は今度は満席で、通路側にも空きが無い。 しかたがないので隣の駅だからと思って指定席の端っこに座った。 すると浦上を出てすぐに検札が周ってきた。車掌は、「自由席に移って。」と言う。私の後で、通路反対側の人の検札を始めたので、それが終わったらと考えていたら、「すぐに移って」と言われて、しぶしぶすぐに動いた。 動いたと言っても自由席に空席は無く、隣の車輌に移っただけのことである。たちんぼうである。 諫早から島原鉄道であるが、本当は古いキハ20型に乗りたかった。ところが、キハ20はもう出てしまった感じである。次に来る列車を待っていたが、次の列車も新型のキハ2500型であった。しかも8時半ぐらいに諫早に着く列車だと言うのに1両だけであった。 この次の列車が、このキハ2500型の折り返しで、午前中のツーマン列車の最後である。島原鉄道は日中ワンマン運転しているが、キハ20型は古いためワンマン運転の列車にはならないので、ツーマンとワンマンが区別をする一つの方法である。 次のツーマン列車が新型となると、キハ20はもう夕方まで出てくる見込みがなくなってしまった。仕方が無いので島原には新型で行く事にして、車庫に止まっているキハ20を見ることにした。 車庫に止まっている車輌を見るだけなら午前中早くから行く事も無い。そう思ったので、国鉄の赤紫色をした415系電車を見送り、寝台特急「あかつき」を見送ってから、長与回りの旧線経由の長崎行き普通列車に乗って長崎に戻る事にした。 海沿いを走るので景色がきれいである。波静かな大村湾沿いに新型気動車が進んでいく。途中の小駅から人が少しづつ乗ってきた。 再び長崎駅に到着。 と言っても、なにをするということも出来ない。島原へは午前中の急行で向かうことに決めたので、1時間少ししか時間がない。ちゃんぽんを食べたいが、朝からちゃんぽんを出す店もなかろう。仕方がないので、新しくなった長崎駅の二階にロイヤルホストがあったので、そこで朝ご飯とした。 窓から長崎駅のコンコースと駅前が見える。頻繁にバスがやってきてどこかへ走っていく。路面電車は歩道橋の陰に隠れてよく見えない。 朝ご飯を食べてもまだ少し時間があったので歩道橋から駅前の道路を眺めていた。そのあと駅前の長崎バスのバスターミナルに行き、時刻表をもらう。長崎本線の現川の駅に行くバス路線があった。乗りたいと思ったが、バスに揺られるまでの時間は既になく諦めた。 歩道橋から道路を眺めていると、やはり長崎の路面電車が走る箱庭レイアウトをつくりたくなった。最近「バスコレクション」というアクセサリーも出たことだし、バスと路面電車が走る長崎っぽい風景を作りたいなと考えていた。 長崎駅から再び特急「かもめ」に乗って諫早を目指す。今度の「かもめ」は白い列車でなく、ステンレスの783系であった。運転席の後ろの席からは展望席になっていて、風景が見える。そのことを考えて一番前の車輌に行ったが、一両目の前半分の部屋は指定席になっていて、私の切符では座れなかった。昔は自由席であったはずだが変わったようだ。 車室は空席が目立ち、朝の「かもめ」ほど混んでいなかった。長崎市街を抜けて諫早に着く。 諫早から今度こそ島原鉄道である。急行「しまばら」であるが、急行とはいえ普通の車輌で、しかもワンマン列車である。編成も一両で、少し寂しい。 それでも乗り換えた時点では向かい合わせのボックス席には必ず一人は人がいたので、前が見えるロングシートに座った。 諫早の町を出ると、左側にずっと有明海が続く。締め切り堤防が見えて、その内側に少しだけ残っている水は、死んだ魚のような色をしていた。 急行は小さな踏切のたびに警笛を鳴らす。踏切のたびと言うより、もっと頻繁に鳴らしていた。前のロングシートに座っている中年男性二人連れのうち、一人は居眠りしかけているのだが、警笛が鳴るたびに煩そうに顔をしかめていた。 有明海の締め切り堤防を過ぎると、海の色が変わった。きれいな青色になったが、なんとなくやる気がないような色をしている。 あまりにも警笛が多いので、数えてみた。3駅間10分ぐらい走って、鳴らした数150回。どんなに間隔が開いても2分以上鳴らさない事は無かった。それは煩すぎる。安全の為なのだろうが、道路を走るバスだってこんなにもクラクションは鳴らさない。煩そうに顔をしかめていた男性が次の機会に「煩いから島鉄には乗らないでバスに乗る。」と言い出さないか、いささか不安である。静かな車内というのも一つのサアビスではないだろうか。島原鉄道も鉄道経営は苦しそうで、少し考えてほしい。冷房の効いて加速の良い新型車両ももちろんサアビスの一つだが、もう少し警笛を鳴らす回数を抑えて、静かな車内環境をつくるのも、重要なサアビスだと思う。 終点南島原に到着。 駅舎の中に貼ってあった船の時刻表を見て、島原外港を14時に出る熊本行きの船に乗ることにした。しばらく時間がある。 駅員さんに車庫見学の依頼をしたが、ここではわからないと断られた。駅構内を渡って車庫の事務所に行ってほしいと言われ、通路を通って事務所に出向いた。 事務所で見学の依頼をすると許可された。見学ノートに名前を書くように言われ、書く。東京から来ている人も多かった。 お目当てのキハ20型が止まっている。前日のホテルで、カメラの充電池の充電をしようとしていたのだが、部屋にあるコンセントには電気が来ていないようで、充電できなかった。携帯電話やノートパソコンなど、最近は旅先に電化製品を持ち込む人も多いことだろう。昔は旅に持っていく電化製品といえば髭剃り程度のものであっただろうが、変わってきた。部屋のコンセントに電気が通っていないというのはおかしい。 少なくなった充電池でだましだまし写真を撮る。島鉄のキハ20も、模型で作ってみたいと思っていたので、形態や塗り分け位置などがわかるような写真を中心に撮っていった。床下がよく見える位置に留置してあった車両には、床下を中心にスポット測光で写真を撮る。こうすると明るい車体や地面はハレーションをおこして白く飛んでしまうが、黒くて日陰になりがちな床下はでこぼこまではっきりと写ってくれる。 「今度来る時は、よく時間を調べて必ず乗ろう。」 そう思いながら写真を撮る。 以前島原鉄道に来たのは学生時代であった。まだまだキハ20が多かった頃で、夕方に諫早から島原外港まで乗った列車はキハ20であった。そんなことを思い出していた。 車庫の中には検査が上がったばかりのキハ2003号があった。許可を貰い車庫の中にお邪魔をして眺める。昔の島鉄色に塗り替えられ、ステンレス切抜き文字の形式番号を貼られたピカピカの車体はとても堂々としていた。奇麗に模型を作り上げてもここまで堂々とした感じは出せない。やはり当然ながら「実物の貫禄」がある。
並んでいる写真を撮っているうちに電池残量の警告が出たので、切り上げる事にした。 事務所で丁重にお礼を述べて離れた。 次に向かうは熊本である。島原外港から船に乗って熊本に渡るのである。 南島原駅から暑い中、住宅街を抜けて一駅隣りの距離になる島原外港へ向かった。 島原外港には足湯のような施設もあり惹かれたが、面倒なので断念。ターミナルにまっすぐ入った。 お昼を過ぎた時間なので、本当はお昼ご飯を食べたい。島原はうどんだかそうめんだかの麺が地元の名産であったはずであるが、港のターミナルにはそれを食べさせる店らしきところはなかった。時間も少なくなってしまったので、島原で食べる事は諦めた。 ジュースだけ買って船に乗る。私が乗るのは熊本フェリーの高速船である。それよりも10分ぐらい早く先に九州商船のフェリーが出て行った。九州商船の船も同じ熊本行きである。ただこっちは高速船でないので時間が倍かかる。運賃は200円ぐらい熊本フェリーの方が高い。 九州商船の船に遅れること10分。熊本フェリーの熊本行きは出港した。新しいつくりの船で、双胴船のような感じの、水の抵抗を減らした船だそうだ。石川島播磨重工製。 雲仙普賢岳を遠望しながら島原を離れていく。高速フェリーなので普通の船よりかなり速い。私は後ろの展望デッキでしばらく外を見ていた。小さな娘さんを連れた家族など何人かが同じように展望デッキで風に吹かれていた。その小さな女の子はワンピースを着ていたが、強い風ではげしく捲り上げられていた。 あまりにも風が強いので船室に入る。 デジタルカメラの充電をしたかったので、こっそりとコンセントに充電器を差し込んでみた。しかし、充電中を示す充電器の赤ランプが点かない。しかたがないので船のあちこちのコンセントに差し込んでみるが、どこも充電できそうになかった。仕方がないので諦める。 船内では熊本のラジオがかかっていた。女性パーソナリティーが話をして、男性パーソナリティーが聞いていた。 「私が小さい頃、ブランコをしてたんです。」
船の後ろの展望デッキに出ると、丁度10分前に出た九州商船の船を追い抜くところだった。 お互いにデッキに出ている人たちで手を振り合う。100mと離れていないような距離である。九州商船の昔ながらの形をした船は水の抵抗を受けながら頑張って進んでいた。 熊本港到着。所要30分である。 すぐにバス停の所に行ってみたが、バスの発車までまだ20分以上時間がある。しかたがないのでフェリーターミナルで休む。丁度木製のベンチの下にコンセントがあったので、また充電器を入れてみた。今度は充電中のランプが点灯。ありがたく充電させてもらった。 待っているうちに追い抜いた九州商船のフェリーも到着した。 ようやくバスがやってきて、それに乗る。バスはゆっくりと熊本市街へ向けて走り出した。 田崎橋から市電に沿うように走り、交通センター着。熊本のバスはそのほとんどが交通センターを起点、もしくは経由点にしており、覚えやすい。地元みたいにバスターミナルが市内中心部に7,8ヶ所点在しているよりよっぽどわかり易い。 乗ったバスも交通センター経由であったが、交通センターで乗客が入れ替わった。 とりあえず飛行機に間に合うバスの時間を確認して、それから熊本電鉄始発の藤崎宮前に行くことにした。 交通センターには「市内循環バス運行開始!」という張り紙があり、藤崎宮前や上通り・下通りを経由して走るバスが案内されていた。しかし、そのバスにどこから乗れるかが、書いてない。しかたがないので、適当に交通センターを離れてぶらぶら歩いてみた。 すると、市電の走る大きな通りの反対側に市内循環バス発見!どうも反時計回りで運行しているようで、交通センターから藤崎宮前にいくには不便なようだ。 しかたがないので途中の停留所からバスに乗ることにする。一つの停留所にたくさん止まる方式のようで、時刻表がずらっと掲げられている。その中から藤崎宮前を通るバスを見つけ出し、待つことしばし。小型のバスがやってきて乗り込んだ。入り口に段差のない新型であった。 バスは一番左側の歩道沿いの専用車線を走っていく。地元にも朝ラッシュ時間帯のバス専用車線がある。しかし、熊本の専用車線はバス運行時間終日であった。交差点があったが、その交差点では市電専用信号と、一番左側を走るバス専用信号があった。この信号があるので、歩道沿いを走っていても右折できるのである。 専用車線には違法駐車などはなく、バスは混んでいる一般車線を横目に快調に走っていく。これはいい。 上通り、水道町を過ぎたあたりで専用車線はなくなった。左折してしばらく走り藤崎宮前に着いた。 すこしだけ歩いて藤崎宮前駅に到着。丁度電車は行ったばかりで、次の電車まで20分以上時間があった。 時間は既に夕方で、三々五々高校生が駅に集まってくる。なぜか男子は少なく、女子が多い。福岡と同じく、角襟付きのセーラー服が目立つ。 電車到着。2両編成の元都営地下鉄である。 電車に乗って北熊本を目指す。北熊本は車庫のある駅である。藤崎宮前を出てすぐに、路面電車のような区間を走る。家の玄関前と道路に挟まれた狭い場所を静静と走り、鉄道ファンの間では有名な区間である。 間に3つぐらいの駅に止まり北熊本到着。反対側のホームには「青がえる」こと元東急5000系の一両編成が止まっていた。この電車がJRとの接続駅のある上熊本行きの電車で、これに乗り換える。元東急5000系は東急廃車後に北は福島交通から南はこの熊本電鉄まで全国6社の地方私鉄に譲渡されたが、順次置き換えられて、この熊本電鉄の車両が最後になった。
乗り換え時間は短かったが、ホームから前面の窓回りが蛍光オレンジに塗られた6000系電車の写真を急いで撮って、乗り換えた。 あおがえるは揺れながら発車した。冷房が付いていないので車内はかなり暑かった。窓は開いているのだが、風がすずしくない。全国的に見てもかなり少なくなった「非冷房車」である。 途中、小さなトンネルを抜けて止まった韓々坂駅で、停止位置をオーバーしてしまった。ワンマン運転なので中乗り前降りであるが、運転手は停止位置を直すこともせず、降りるらしき高校生二人に「中ドアから降りて」と促していた。 上熊本到着。 JRの線路と挟まれた狭いスペースは自転車駐輪場になっていて、熊本電鉄の電車は肩身が狭そうだ。 なんとかそれでも写真を撮る。 JRの駅前を挟んで反対側から市電が出ている。そこから電車に乗って揺られた。辛島町で下車して少し歩くと、そこは交通センターである。丁度所要時間は1時間であった。 空港リムジンバスの発車まで少し時間があったので、交通センタービル地下に入る。レストランも並んではいるが、食事をする時間はなさそう。スーパーマーケットがあったので、そこでおにぎりやジュースを買い込んだ。蒸したてのおこわかしわめしもあったので食指を動かされて購入した。 バス乗り場で待つことしばし。空港行きのバスが到着。前のほうに場所をとった。 バスは交通センターを出ると、再び上通り水道町を通って市電沿いに走っていく。そのうち市街を抜けて、ずいぶんと田舎な景色を走り出した。まだ熊本からそんなに離れてはいないはずだが、いつかみた阿蘇の山々に景色が似ている。 その田舎な景色の所に熊本空港があった。すぐにチェックインを済ませる。羽田から乗り継ぎの千歳行までチェックインを済ませる。そのあとお土産屋をぶらつく。会社にはお土産を持っていかないが、自宅に何か欲しい。適当に選ぶ。 まだ時間があるのでターミナル2階のレストラン街に熊本ラーメン店を見つけて入った。入ったときはお客が少なかったが、私が入った後からどんどんお客がやってきて、店内は一杯になった。とんこつの熊本ラーメンは美味しかったが、やはりちゃんぽんの方が好きかも知れない。 飛行機は無事に九州を離れた。窓から地上をずーっと見ていたが、どこらへんを飛んでいるかはさっぱりだった。 羽田には少し遅れて着いた。搭乗橋まで地上係員が出迎えてくれた。そのまままっすぐ千歳行に乗り継がされたので、羽田でお土産を買うことは出来ないままであった。
(04.09.30up) |