Senti-G.com HOME>紀行文>高井さやかさん、583系に乗る(その1) 〜次第にセンチが薄くなる・・・〜 ※この紀行文はそんなにもセンチではありません。かなり鉄分が多いですが、後半はむしろPia3カラーが多く出ています。あらかじめご承知おきくださいませ。また、この紀行文は全てフィクションです。ノンフィクションに見えるかもしれませんが、各所で実際にあることないことをたくさん挟んであります。そのことについてもあらかじめご承知おきくださいませ。
北星は旅に出ることにした。
今回の目的は、大阪から青森まで走る臨時寝台急行「あおもり」の乗車である。この列車には「583系」という形式の電車が使われるのだが、この形式を使う列車の本数は今はとても少なく、乗るのが難しい電車なのである。また、大阪から青森という長距離で走るのはこの臨時だけなのである。センチファンなら「センチメンタルジャーニー第3話に出てきた七瀬優が乗った急行「きたぐに」の列車」と言えば通りがいいだろうか? ただ、ジャーニーでは座席の状態で走っていたが、今回は寝台である。 最初は「琴電に乗りたい」とか、「広島のJR電車の写真を撮りたい」とか考えていて、それと合わせることを考えていた。純粋な鉄道目的の旅行である。ところが、7月13日に関西在住の同人作家ONさんから「コミケ行くような話してましたけどどうなりました?」とメールが来て話が変わってきた。急行「あおもり」は8月11日から13日までの3日間しか走らない。ONさんは「11日のコミケに参加」ということだから、12日の「あおもり」であれば、終了後に乗れる。ONさんの陣中見舞いを兼ねて、4年ぶり2回目のコミケ覗きに行きましょう。 よし!それでいこう! コミケをチラッと覗いてから、大阪から「あおもり」に乗る。 最初はその程度であった。大きな目的は無かった。 しかし、5月くらいから半分遊びで好きになっていたPCゲーム「Piacarrotへようこそ!3」のキャラクター「高井さやかさん」が、8月に入ってから大きく台頭してきた。しかもエフアンドシーのホームページを見てみると、「コミックマーケット62でいくつかグッズを出展する」と出ているではないですか!グッズを買い出すとハマるのは目に見えていたので、今まで他のゲームではグッズに手を出すのを控えてきたのだが、微妙にやる気になってきた。このままぢゃヤヴァイんぢゃないの?
8月8日
午後10時57分。最寄バス路線の最終バスで地下鉄駅へ向かう。今晩は札幌駅23時35分発の快速「ミッドナイト」である。しかし、乗り継ぎの地下鉄駅に着いたとたんに、地下鉄が出て行ってしまった。次の地下鉄では「ミッドナイト」に間に合わない!早くもぴーんち!!(爆) しかたがないので「乗りたくないなぁ」と思いながら、止まっているタクシーに声をかけた。「すいません!札幌駅まで20分で走ってくれますか?」タクシーの運ちゃんは引き受けてくれた!裏道を走り信号をすり抜けて見事16分で到着!凄い! 運ちゃん曰く「一度引き受けたものは挑戦しないと。」さすがプロである。 おかげで札幌駅にはミッドナイトの出発10分前に着いた。18切符を買って、千歳までの乗車券を買って準備OK。ミッドナイトに乗り込んだ。 ミッドナイトは通常4両編成なのだが、今回は増結1号車としてキハ183-103が連結されていて5輌編成であった。私は指定席を確保していたのでのんびりであった。 ミッドナイトの寝つきは悪かった。車掌が苫小牧を過ぎてから検札に来たが、それが理由ではない。この車掌は私の出した指定券、千歳までの乗車券を確認して、18切符の一日目に日付を入れた。そうして3枚とも切符を返してくれた。おいおい、本当は千歳までの乗車券は回収するのがスジじゃないの?すでに乗車区間を過ぎているのだから、お客に返すのは変である。 それでも東室蘭の停車中に眠りに落ちた。そのあとはぐっすりで、次に気がついたのは大沼を過ぎて仁山信号所を通過する辺り。それでも函館到着5分くらい前までゆっくり寝ていた。
函館に着いた快速「ミッドナイト」。随分お世話になった列車だったが後の改正で廃止されこれが最後の乗車となった。(函館駅にて) 乗り継ぎの快速「海峡」2号のホームには、発車まで時間が1時間34分あるというのに、もう既に荷物を置いて列が延びていた。「これはまずいかな?」と思った私は、混雑していた函館駅改札を抜けたあと、海峡2号の指定券を買った。指定席は空いていた。無駄に並びたくないし、ゆっくり行きたい。 そのあと、駅内の売店で山川牧場の牛乳を買う。この牛乳は濃くておいしい。 函館は小雨であった。駅を出て、路面電車乗り場に行く。6時54分発の始発谷地頭行きに乗る。谷地頭から歩いて函館八幡宮に早朝参拝。ミッドナイトからの乗り継ぎ待ちに函館八幡宮参拝は昔からの定番コースである。時間があるので市営谷地頭温泉で汗を流そうと思ったのだが、「本日定休日」の札を見て諦めた。 函館駅に戻り、ゆっくりとホームに行くとちょうど海峡2号が入線したところであった。9両ぐらいくっついているうち自由席は前2両と後ろ2両の4両でかなり混雑していた。私はのんびりと列車の一番前まで行き機関車ED79を眺めてから、ゆっくりと車輌を見ていく。ここらへんは鉄道ファンたる北星らしいところである。 青函トンネルを通る海峡線の開通は国鉄がJRに変わった翌年であった。そこを通る快速海峡用の車両は国鉄時代の車両の改造で済まされたのだが、その車両を改造したのが全国の国鉄工場である。改造銘板が付いていてそれがわかるのだが、前の車輌から広島工場、鷹取工場(大阪)、名古屋工場、長野工場、と本当に全国に及んでいる。後ろの方でまた名古屋工場の車輌が出て、あとは五稜郭車輌センター(JR化後に追加改造された車輌・北海道)、土崎工場(秋田)、一番後ろの車両は大宮工場の改造であった。こうして日本全国の改造銘版を見ていると、その車輌に広島や大阪や、名古屋のにおいが付いている様で微妙に面白くて、私は好きである。 定時に函館を出発した快速「海峡」2号であったが、車掌が「自由席は混雑が予想されます、ご承知ください」と放送を流している。私は指定席510円を払っているのでのんびりである。そんなにも510円が惜しいのかな?ゆっくり出来るのだから、指定席は買うといいと思う。 上磯を出るところまでは起きていたのだが、木古内に着いたのは覚えていない。その前に眠ってしまったようである。トンネルはもう何回となく通っているので、興味はない。しかも外が見えないからつまらない。いつも寝て過ごすことに決めている。 目が覚めたのは青森に到着する直前であった。 青森は安達妙子の街であるが、前回4月にスポットは回りきってしまった。あとまだ撮っていないのは「りんご園」とか「安達酒店」とかの、「どこにあるんだかわかんねーよ!こんなの!!」といったレベルの写真だけなので降りない。 そのまま10時56分発の弘前行き普通列車に乗り換える。私は着席できた。5輌編成で、出発時には適当に混んだ。 弘前まで列車に乗っていた多くの旅行者風の風情の人は秋田行き普通列車に乗り換えるようで、ホームに列を作り出した。私はその後の普通列車でも構わないので、一旦改札を出て、久しぶりに弘南鉄道弘南線に乗ろうと思ったのだが、発車までかなり時間がある。しかたがないので、弘南鉄道大鰐線に乗ることにして、普通列車の碇ヶ関行きに乗って大鰐温泉に移動した。大鰐温泉から4分の接続で中央弘前行きに乗り継いだ。中央弘前行きは昔東京の東急東横線を走っていた電車のお下がりである。運転室の風通しのためなのか助手側の乗務員扉を開けっ放しのまま発車した。
元東急7000系の弘南鉄道の電車。最近は赤帯を青色に変えている。右奥に見える電車は青帯。(弘南大鰐駅にて)
途中から小雨が大雨になってきて、さすがに乗務員扉は閉められた。 中央弘前に着いたときにはバケツをひっくり返したような土砂降りになっていた。私は傘を持っていなかったのでとてつもなく困った。まっすぐ弘前駅に戻れば、弘南線の電車にも乗れると思ったのだが、動けない。 駅前にエスティマだろうかワゴンタイプの車がやってきたと思ったら、前輪がパンクした。運転手は異変に気付き降りてきて、確かめて、電話をかけていた。 そんな光景を見ていても埒があかない。仕方がないので雨の中、駅から見えたデパートのようなところまで走った。 すっかり濡れてしまった。デパートの中で「傘処分!!500円〜」と出ていたので、折りたたみを買った。 傘を差して弘前駅へ向かう。途中大雨で道路が文字通り川のようになっていた。途中の弘前郵便局で土曜日と日曜日の生活費を下ろす。日曜日はコミケがあり、その後飲み会だから大変だ。 弘前駅へ戻ってくるとちょうど弘南線の電車がホームを離れていった。 仕方がないので弘南線乗車は諦めた。そうなると後は1時間半待って秋田行きに乗るだけである。駅ビルデパートのレストラン「杵屋」でそばを食べて朝食兼昼食とした。 食べたあと、まだまだ時間があったので待合室でのんびりと列車を待つ。しかしすることがないので秋田行きの発車まで30分以上あったが、早めにホームに入った。この秋田行きは青森始発なので早めにホームに入ったところで座れないかもしれないが。 青森からの列車が到着。私が立っていたところの目の前にドアが来た。ホームにある停車位置目標を見て「このへんだろう」と思って立っていたのがズバリ当たった。しかし、降りる人も多かったのだが、車輌の中間のこのドアから降りる人が、前後のドアよりも多く、乗車開始で遅れをとった。しかもドアのすぐ左側が優先席で座るのがためらわれた。優先席でない座席はあっという間に埋まってしまい座れなかった。 しかたがないので荷物だけ網棚に乗せて立った。すると後ろから「開いていますよ」とおばあさんに声を掛けられて、席を案内された。その席は優先席であったがとりあえず礼を言って着席した。 ドア脇にある3席ずつ向かい合わせ計6席が優先席である。前の優先席はドア脇から若い女性、子供二人連れのお母さんが子供二人を座らせていた。こっち側の優先席はドア脇にやっぱり若い女性、その隣りにおばあさん、その隣りが私である。 ところが弘前発車直前に私の前におじいさんが立った。以前から優先席に着席したことが殆ど無い私はいたたまれなくなってきた。優先席で無い座席であれば「譲る」ということはまずしないのだが(マテ)、優先席に座っている目の前に老人に立たれるのは辛い。向かいの席の若い女性も寝ている様子でこっちの優先席の若い女性も譲る気はさらさら無さそうだ。声をかける勇気がなかなか出なかったが、次の石川に着いたところで思い切って声をかけて譲った。無気力の無職の若い人間が優先席に座って、今日の日本を作ってきた老人が座れないなんて変な話ではないか。 おじいさんに礼を言われた。当たり前のことをしただけだが気分がよかった。 そのおじいさんは長峰あたりで降りていった。空いた席におばあさんが向かいの席に子供を座らせて立っていたお母さんに声をかけて、彼女を座らせた。
私は津軽湯の沢あたりで車輌前方に一般席の空席を発見し、そこに座った。立っているおじいさんも居ないし、その空席めがけてやって来る他の人も無かったので、ゆったりと座った。
着席してまもなく眠りに落ちた。大館も東能代も、みんな眠りの中だった。 目が覚めたのは、秋田到着直前である。気がつくと車内はかなり混んでいた。
秋田から6分で酒田行き快速「こよし」6号に乗り換える。前の列車の旅行者風の多くの人も酒田行きに乗り継いだ。
しかし、秋田を出て8分の新屋で前の座席が空いた。前の車輌には短区間の利用者が多かったようである。後ろの方が混んでいるにもかかわらず前のほうは空いてきた。私は座った。新屋を出ると日本海が見え出し、桂根、下浜、道川と通過していく。途中で見慣れない駅を通過したので時刻表を確認してみると「岩城みなと」という新駅が出来ていた。 この列車では終点酒田まで寝なかった。 酒田到着。乗り継ぎ間合いが1時間近くあるので夕食タイムである。駅前では酒田商業高校の甲子園応援団の出発式が行われていた。 駅前商店街の中にラーメン屋を見つけてそこで夕食とした。 晩御飯も食べて、満足して駅に戻る。 酒田からは村上行き普通列車。気動車キハ47の4両編成で全ての車輌にトイレがついていた。前3両が旧新潟色といわれる白地に青ベースの帯が巻かれたカラー。一番後ろの車輌が新新潟色と言われる白地に赤ベースの帯が巻かれた車輌であった。私は一番前の車輌に乗る。今回の旅行で初めての座席が向かい合わせの車輌である。旅行者は多いはずだが適度に分散したようで車内はのんびりしていた。 少し眠ったりして村上に到着。 5分乗り継ぎで新宿行き快速「ムーンライトえちご」に乗り換える。村上の駅前にはローソンがあるはずで、夜行列車乗車前の買出しに最適なのだが、乗り継ぎ時間が少ないため行かない。私の指定席4番D席には先客がいたので別の座席に座る。指定席になるのはこの先の新潟からで新潟までは全車自由席である。 新潟に着く。私の座席の人は降りる様子が無いので、とりあえず4番C席に座った。すると「この席の人ですか?」と聞かれたので「はい」と答えたが、「換わりますか?」との問いには「いや、ここで結構です」と答えた。下車予定は終点新宿ではなく手前の赤羽であるし、途中でトイレなどに立ちやすいのは通路側の席だからである。 新潟を出て新津に到着。ここで20分ほど停車する。すると「23時46分発の大阪行日本海2号は東北地方大雨の影響でただいま50分ほど遅れて運転をしております。」と案内放送が掛かった。確かに弘前で凄い土砂降りにあったが、私の乗る列車はここまで全く遅れることは無かったので、「とりあえず良かったな」と思った。新津駅の中線に止まっていた美濃本巣駅常備とか倉賀野駅常備と書かれたタンク車の列車は、何事も無かったかのように日本海2号に抜かれた後のダイヤをにおわす23時50分頃発車していった。 「ムーンライトえちごの発車はどうなるかな?」と思っていたが、何事も無かったかのようにこっちも定時に発車した。村上発車時点では6両であったが、いつの間にか後ろに3輌連結されて9両編成になっていた。 なかなか寝付けなかったが、長岡に着く手前で寝入った。
8月10日
目が覚めたのはまもなく赤羽到着というところだった。 赤羽で乗り過ごさないように、携帯電話のアラームをセットしておいたのだが、気がつかなかった。 赤羽から京浜東北線に乗り換える。京浜東北線で秋葉原まで行き、総武緩行線に乗り換える。アノ秋葉原に着いたといってもまだ午前5時過ぎでみーーーーんな寝静まっている頃である。 秋葉原の駅改札内でコインロッカーを探したのだが見つからなかった。 総武緩行線で錦糸町まで行き、錦糸町から総武快速線君津行きに乗りかえる。8月10日はコミケには行かない。3日間連続でコミケに行くようなことは私はしないし、したくない。 ということで、中小私鉄大好きの私は、まだ乗ったことのない千葉県の私鉄「銚子電鉄」に乗るために、こうした乗り換えを行っているのである。 君津行き快速のグリーン車の洗面台で洗顔、歯磨を済ませる。電車の中では結構起きていた。が、幕張電車区の脇を通過するあたりから少し寝た。 千葉に6時丁度に到着。16分の待ち合わせ時間があったので、小腹の空いた私は立ち食いそばを食べた。月見そば280円。札幌よりかなり安い。 16分発と覚えていたら、そば屋の時計が15分を指していた。慌てて飛び出てホームに上がると電車はまだいた。ホームの時計は14分を指していた・・・・・・・。 そば屋の時計が進んでるんぢゃねぇか!!時刻に厳しい駅の中にあるんだから進んでいたり遅れていたりすると困るんだよっ! 16分発八日市場経由銚子行きは113系の6両編成で、とくに変哲のある編成ではない。八街ぐらいまでは起きていた。 銚子到着。銚子駅のホームの先に銚子電鉄乗り場があり、うまい具合に電車が止まっていた。しかし、期待していた旧型の電車ではなく、営団銀座線お下がりの1002型であった。とりあえず時刻表の本数から見て、もう一本電車が走っているようなのでそっちに期待するとしてこの電車は見送った。電車は千葉を先に出た成田経由の電車の到着を待ってから出発して行った。 ここで18切符の日付をまだ入れてもらっていないことに気がついて銚子駅の改札に向かった。日付を無事入れてもらう。 次の銚子電鉄の電車はそれから20分ぐらいしてやってきた。が、次にやってきたのも営団銀座線お下がりの1001型であった。残念。 仕方がないのでこの電車に乗る。車内で一日乗車券の「弧回り手形」を購入して終点外川へ向かう。途中の笠上黒生駅以外は行き違いのできるような設備は無く、どれも「停留所」といった程度の小さな駅であった。途中西海鹿島で乗っていた高校生らしき人が全員降りた。ただその女子高生の一人が笠上黒生で電車が行き違ったときに「この電車って一両だけだと思ったら二両あったんだね」と話していたのでもしかしたら銚子電鉄を常用しているわけではないのかもしれない。 外川に到着。すぐに電車は折り返しで出て行く。すぐの電車で折り返すのも芸が無いなと思い、それは見送った。結局ひとつ隣の犬吠まで歩くことに決めた。 まだ朝早いのでそんなにも大汗をかくことも無く(多分)犬吠に到着した。せっかく銚子にきたのだから犬吠崎ぐらい見物すればいいのだが、荷物も重いし、時間も早いしでやる気が起きない。秋葉原でコインロッカーを探したのはこのためで、もともと銚子電鉄まで大きな荷物を持ってくる気はさらさらなかった。 弧回り手形には「犬吠駅のぬれせんべい一枚無料券」が付いていて、「午前10時から」と書いてある。今はまだ9時過ぎであるが、駅の中ではおばちゃんが二人でぬれせんべいらしきものを焼いていた。そこで「いいですか」と聞いてみると、「いいですよ」ということでぬれせんべいげっと。 無料券で貰って食べてるばかりでは失礼なので、買おうと思い、品定めをする。10枚入りのしっかりした袋入り以外に、「はんぱもの」という半額に近いものが入った安いのがあったのでそれを買った。 ぬれせんべいを持って銚子行き電車に乗る。1002型である。途中笠上黒生でまた外川行きと行き違ったが、なんと旧型車ではないか!旧型の801型が遊覧車輌と呼ばれるオープン型の客車を引っ張っている。「これは乗りたいな」ということで、今乗っている電車で銚子に行ってそれで銚子電鉄は終わりにしようと思ったのだが、やめにして、801型に乗ることにした。801型は外川に行ってまた銚子に戻ってくるはずである。ということで、1002型を銚子の一つ手前仲ノ町で下車する。仲ノ町は銚子電鉄の車庫がある駅である。そこで1002型がまた折り返してくるまで電車の写真を撮っていた。ドイツアルゲマイネ社製造の日本最小の電気機関車デキ3が銚子電鉄では有名だが、この機関車は車庫の中で修理中であった。 駅に一番近い側線では、銚子から最初に乗った1001型が止まっていて、ブレーキシューを交換している真っ最中のようであった。
元営団銀座線の1001型。活性化対策で地方私鉄にしては随分派手な塗装ではある。(仲ノ町駅にて) 1002型が銚子からまた戻ってくる。私はその電車に乗り込んで、801型と交換することになる笠上黒生の一つ手前の駅本銚子まで行った。本銚子は「もとちょうし」と読み、「ほんちょうし」ではない。そういえば銚子電鉄には観音(かんのん)という駅があり、駅名板のローマ字表記が「Kannon」となっているので、真ん中のエヌを一つ消して「Kanon」とやっている外道写真を見たことがある。観音駅の名物はたいやきである。食い逃げはいけない。(謎) 本銚子で待つことほど無く801型が遊覧客車をひっぱってやってきた。遊覧客車にも乗りたいところだが、ここは吊り掛け電車が大好きな北星なので、801型に乗る。801型は昔は四国は愛媛の伊予鉄道を走っていた車輌である。そう、松山である・・・・。 電車は仲ノ町に戻ってきた。すると、さっきまで側線に止まっていた1001型が後ろに連結された。801型−遊覧客車−1001型の編成である。その3両の状態で銚子に到着。折り返しはどうなるかと見ていると、801型は締め切りでお客を乗せない。今度は1001型が先頭になって外川に向かうのである。多分801型は仲ノ町で切り離されることになるのであろう。 銚子電鉄無事終了。 けっこう早く終わったので、ゆっくりと時間のかかる成田経由千葉行きの電車に乗った。
途中笹川と言う小さな駅で、サラリーマン風の人が乗ってきた。彼は私の隣りのボックスに座った。車掌が回ってくる。笹川は無人だったようで「乗車券を拝見」とその男性に向かっていっている。男性は「酒々井で降りようとしたのですが、寝過ごしてしまって・・・」と話している。車掌は「本当は乗り越し料金を頂くのですが、今回は結構です。」と言っていた。 サラリーマン風の男性は足を投げ出して、ゆっくりしていた。 私は少しまどろんだ。 気が付いたのは佐倉に停車したときである。ふと見ると隣りのサラリーマンはまだ乗っている。よく考えてみると、酒々井は佐倉の一つ手前である。また寝過ごしたようだ。どうするのかな? すると次の物井からお客が結構乗ってきた。寝過ごしサラリーマンの座席にも向かい側にもう一人のサラリーマンが乗っていたのだが、その隣りの空席に女子高生が座ろうとしていた。女子高生は寝ている寝過ごしサラリーマンのかばんが邪魔で「かばんを・・・・」と声をかけた。すると彼は目を覚まし、慌てて降りていった。 乗り過ごしの折り返し列車でまた乗り過ごした彼は、これからどうなるのであろう? 乗り過ごしの折り返し列車で足を投げ出してくつろぐと、また寝てしまう可能性が高いことはわかるようなものだが・・・。 千葉に到着。6分接続で東京行きに乗り換える。ロングシートに空席を確保。発車1分前に反対側ホームに銚子を後から出た八日市場経由の電車がやってきた。時刻表から1分で繋げるのわかっていたが、座りたかったので先行したのだ。 この電車の中でもまどろんだ。 終点東京に到着。1分接続で反対ホームに止まっていた久里浜行きに乗り換えた。久里浜行きはガラガラであった。 東京の次の新橋で降りる。 新橋。地下ホームから上に出て改札を抜けると凄い混雑であった。新橋は国際展示場に向かうゆりかもめの出発駅である。今日の国際展示場は例のアレを催しているはずだが、それだけの混雑ではないようである。どうも花火大会があるようでその混雑のようである。 新橋に来たのは、例の高井さやかさんの件である。記念のパスネットかもめカードを駅で売っていると言う様な事がホームページに書いてあった気がしたので、それを買いに来たと言うわけである。 しかし、とにかく凄い混雑である。今晩の宿も新橋周辺にと考えていたので、とりあえずコインロッカーに荷物を預ける。別に今日は湾岸に行く気は無い。 とにかく高井さやかさんを探して、ゆりかもめ新橋駅に向かう。駅から出てくる人と駅に向かう人でとにかく凄い混雑だ。駅から出てくる人の中には、「Studio e・go!」や「aias」や 「Leaf」といったメチャメチャそれらしきイラストの描かれた紙袋を持って降りてくる人が見える。北星とにかくこういう紙袋を公衆の場で持ち歩きたくないと言う感情を常に抱いているので、見るだけで幻滅してくる。明日はこの雑踏の中に見を投じることが分かっていても、あまり好きくない。「嫌い」ではなく「好きではない」ではなく、「好きくない」のである。 とにかく大量の人込みに紛れて新橋駅にやってきたが、どうもかもめカードの売場が仕舞っているようである。なぜだろう?駅員に尋ねるようなことはこの状況下死んでもしたくないので早々に立ち去ることにした。どうもアノ「Studio e・go!」や「aias」や 「Leaf」といった紙袋を見ているだけで北星の鋭気が奪い取られていくようである。 駅で額面通りの1,000円で売っていたら高井さやかさんを30枚ぐらい買い占めようと考えていたのだが、それは叶わなかった。パスネットカードであれば、飛行機から降りた後の京急も、八王子に行くときの京王も、秩父に行くときの西武も、材木座海岸に行くときの京急でも、箱根に行くときの小田急でも、都内をうろつくときの都営でも営団でもとにかくあちこちの電車に乗るときに使えるのだから、何枚持っていても足りることは無いのである。首都圏を歩くときは常に高井さやかさんと一緒と言う見事な図式が出来上がると思っていたのだが、残念至極である。 転進。 一旦秋葉原に行く。コミケカタログを購入するためである。二回目のコミケ訪問になる私は、コミケの公式ホームページで「カタログを買わないと入場できない」と言う風に読めたからである。確かに一回目のときは買わなかった記憶がある。変わったのかもしれないと考えていた。 しかし、秋葉原にもたくさん売っている店があるはずなのに、売っている気配が無かった。売切れてしまったのだろうか? 早々とコミケ関連のぶらつきは止めにして、上野駅に向かう。今度の目的地は熊谷で、秩父鉄道の乗車である。 次の大宮方面の発車は籠原行き普通電車であった。当初はとにかく大宮に早く行ってから湘南新宿ライン経由の快速でも来たら乗ればいいなと考えていたのだが、籠原行きの5分後に快速「アーバン」高崎行きがある。時刻表で確認するとこれが一番早いようなので、上野から乗っていくことにした。 ボックス席の通路側に一席の空席を見つけてそこに座る。電車は4ドアの231系で、東北・高崎線系統では初の乗車である。 上野駅を出ると日差しが車内に入り込んできた。私の席は進行方向左側なので、午後の日を受ける。向かい側はカップルであったが、窓際の男性がまぶしそうにブラインドを閉めようとした。が、ない。彼が下ろそうとしているのは窓である。彼は気付き、連れの女性と「日除け無いんだね」と話している。そのうち私の隣りの席の男性もまぶしそうにブラインドを閉めようとした。が、やはり彼が下ろそうとしたのは窓である。彼も気付き、動作を止めた。 231系には日除けが無い。これは私は知っていた。231系の窓ガラスは熱線吸収ガラスで日光が差し込んでも車内は暑くならないからと言う所以である。しかし、まぶしさに変わりはないようである。 電車は熊谷に到着。 今日の熊谷は適度な暑さである。暑さ、よりも熱さ、と書いた方がいいかもしれない。そういえば、ここ熊谷は内陸で、天気予報なので「今日は熊谷で36度の暑さを記録し・・・」というようなことがよく報じられたりする。関東人にとっては「暑い」のかもしれないが、北海道人の私にとっては「気持ち良い暑さ」であった。北星は関東の酷暑が大好きである。 秩父鉄道の熊谷駅で、秩父鉄道の一日乗車券(\1,400)を購入する。値段以上乗らない可能性も高いが、気ままに動けるフリーきっぷのほうが好きである。記念に残るし。 ホームに下りてみたが、次の三峰口行きの発車までまだ30分以上ある。しかたがないので側線に並んでいる元都営三田線6000系の5000系電車や、元国鉄101系の1000系電車や、元国鉄165系の3000系電車の写真を撮る。3000系は今回の旅行で何とかして見てみたかった車輌の一つである。しかし、ホームからでは見え難い位置にある。線路のすぐ脇に広がっている駐車場に行けばいい写真が取れそうである。時間があるので一旦改札を出て駐車場に行ってみる。熊谷でも花火大会があるようで、駅の連絡通路には色々な出店も出ていた。 駐車場に行って3000系を眺める。3000系の中でも私が見たかったのは新前橋の初期冷房車を改造した3001編成であったが、止まっていた電車は違っていた。残念。3001編成はクーラーが他編成のAU13ではなく、AU12なのである。というかこういうことをセンチ主体のページに書いても分かる人がいるのだろうか? ・Piacarrot3を始めとするエフアンドシー作品が好きな人。
以上の全てに当てはまる人。北星とお友達になりましょう(爆) メール、待ってます。 さて、15時49分発熊谷発三峰口行きは1000系の3両編成だった。熊谷から座れないことも無かったが、ずっと立っていた。電車は前述の通り国鉄のお下がりで、実際のところそんなにも古い車輌ではないが、沿線風景はローカル色満点であった。 途中、波久礼という駅で私の見たかった3001編成の急行「秩父路」とすれ違った。デハ3001の先頭デッキ上の箱型ベンチレーター2個は撤去されているようだが、クハ3001ともども、それ以外のデッキ上の押し込みベンチレーターは撤去されていないようであった。 結局終点まで約一時間半立ちっぱなしであった。空席はたくさんあったのだが、前を見ていたかったからである。 三峰口の駅構内には、1000系と5000系が一編成ずつしかおらず、3000系にはあえなかった。駅裏の「鉄道公園」も、午後5時で閉まっており、入れない。
元都営三田線6000系の秩父鉄道5000系電車。三峰口方のデハ。今回は乗らなかった。(三峰口駅にて)
仕方がないので、駅前で時間をつぶして20分後くらいの電車に乗った。電車は折返しではなく、側線に止まっていた別の1000系が出てきた。 帰りは座る。しかし、池袋に午後8時前に着きたかった私は、途中御花畑で降りた。持ってきている時刻表からはここから歩いて連絡できる西武鉄道西武秩父駅から特急に繋いで7時50分に池袋に着ける。とりあえず西武秩父に行ってみると、時刻表とは違う時間で特急が走っていた。時刻表は平日ダイヤで、今日は土休日ダイヤであるかららしい。 西武秩父から「ちちぶ」33号に乗って池袋に向かう。飯能で向きを変えた後はぐっすり寝ていた。気がつくと大泉学園を通過していた。 池袋に到着。アニメイトと、K-BOOKSに行ってみた。が、なにも買わなかった。 池袋から山手線外回り電車に乗って上野に出た。 このあたりからONさんと携帯メール交換を始めており、なんとか出展前の心境取材を行いたかったのだが、ことごとく取材拒否にあってしまい不可能であった。 上野駅で本屋に入ったり、夕食を食べたりした。 すると、地上ホーム14番線が騒がしい。なにかな?とおもってみると、寝台特急「はくつる」81号の写真を撮ろうとするマニア達であった。「はくつる」81号は583系を使う臨時列車である。今冬の東北新幹線八戸開業を機に寝台特急「はくつる」はその長い歴史に幕を下ろす。583系の臨時「はくつる」も今夏の運転が最後だと言われている。 なるほど。と納得した私は、そのマニア達に加わり、「はくつる」81号の入線から出発まで見送った。 発車した後は、結構な人数が帰っていったが、まだ残っている人たちもいる。なにかな?と思うと、定期寝台特急「はくつる」を撮ろうとする人たちであった。定期も前述の通り11月一杯で無くなるので、それを撮ろうと言うことだろう。私もその中に加わって定期「はくつる」も入線から出発まで見送った。 ギャルゲーに群がるマニアも、電車に群がるマニアもどっちも同じように思うのだが、なぜか電車のほうがまだ私には加わりやすかった。 定期寝台特急「はくつる」を見送ると私も宿に向かうことにした。 新橋駅に戻り、荷物を取り出して、新橋駅そばのカプセルホテルに入ろうとしたが、二件とも「満室」。しかも一件は「24時間で5,000円!荷物を置いて楽々!」という「コミケパック」なるものまで展開している。・・・コミケの経済波及効果はかなりのものがありそうだ。 飛ばされるように新橋を離れ、結局いつものカプセルホテルに入った。 8月11日
7時前にカプセルホテルを発ち、新橋駅から「ゆりかもめ」に乗る。「ゆりかもめ」の乗車は久しぶりである。前がいつだったか覚えていないが、コミケだった気もする。それ以外乗る必要は殆ど無い。私と「ゆりかもめ」の付き合いは、コミケに行かないから浅いものの、歴史としてはかなり長い。なんと言っても1995年の開業初日一番列車に乗っている。一番列車にはゴジラが乗ってきたのを覚えている。ゴジラといっても巨人の松井ではなく着ぐるみ怪獣である。当時は「東京臨海新交通株式会社」という会社名称で、愛称が「ゆりかもめ」であった。後に愛称の「ゆりかもめ」が一般に広く浸透したために、会社名称を「株式会社ゆりかもめ」に変更している。 その時は、コミケもギャルゲーも知らないし、センチもおろか後に良く見出したアニメすら見ていなかった頃で、こんなに乗ることになるなんて思っても居なかった。 7時32分頃、国際展示場正門駅に到着。それまで乗っていた人たちが一気にみんな降りた。 人々の動くままに歩いていくと国際展示場の下まで来てしまった。並ばなければならないはずだが、どこが行列の後ろだか分からない。ただひたすら人ばっかり多い。 待ち合わせを約束していた今konさんに連絡をとると、彼も着いた様である。しかし、私の場所の説明ができない。下にいるのだか上にいるのだか、階段がどこなのか、分からない。地理的方向感覚はいいほうなのだが、全てここにいる人間集団に吸い取られているようである。 それでもなんとか合流。今konさんには歩かせてしまったようで申し訳ないことをした。 8時過ぎくらいから列に並ぶ。「列」と言っても「2列」とか「4列」ではなく幅だけで20mくらいありそうで桁が違う。今konさんは小さな椅子を持ってきており、さすがにプロである。椅子のない私は地べたに座る。
近くの高層ビルでゴンドラで窓拭きをしていた。私はその窓拭きに加わりたかった。
10時開場。 したものの列は動かない。前から順番に動いているのでここまで伝播してくるのに時間がかかる。私たちが動き出したのは10時半であった。 私はとりあえず企業ブースに向かうことにした。高井さやかさんを捕まえるためである。しかし、列の中にいるとやはり鋭気が吸い取られていくようである。一人になるのはとてつもなく怖かったのだが、今konさんはそのままONさんの方に向かうようで別れてしまった。 仕方がないので意を決して、それでもあくまで第三者のフリをしつつ企業ブースに向かった。フリをしたところで同じ穴の狢であることは明白である。 企業ブースに着くと人は多かったものの、動けないほどの人込みではなかった。 並んでいるときに今konさんから見せてもらった配置表を頼りに、シャルラクプラスのコーナーへ向かう。エフアンドシーも出展しているが、グッズはエフアンドシーの販売専門の関連会社であるシャルラクプラスのコーナーでの販売である。 あちこちに奇妙な服装を纏ったりしたコンパニオンのお姉さんお兄さんがおり、呼び込みを行っている。また、団扇やパンフレットなどを配っている。 「どうぞー」とにこやかに声を掛けられ、団扇を貰った。配っているのを貰う分にはまったく財布が痛まないので結構面白くなり、第三者のフリをしつつ、コンパニオンのお姉さんお兄さんが配っているパンフや団扇は片っ端から貰っていった。その貰った団扇で扇ぎつつ「人が多いねー。」とまるで他人事のようにゆっくり歩いていく。 シャルラクプラスの販売コーナー前に到着。TGSでのセンチ最盛期のときのアルケミストやNECインターチャネル物販ブースでの行列(「エヌイックはこちらの列でーす!」という聞きなれないNECインターチャネルの略称と共に「NEIC」と書かれたプラカードを持って行列整理をしていたお兄さんのことが忘れられない)のようなものがあるのかと思ったが、そのような列は全くなかった。 コーナーの脇ではお兄さんが一人立って、販売品目パネルを差しながら商品説明を行っていた。私はなるべく離れながら商品を吟味する。すると小生の左側から「どうぞー」と不意打ちでお姉さん登場。反射的に貰ったものは団扇であった。 「おう!!」 貰った団扇はピアキャロット3の映画宣伝物で、高井さやかさんがいたのでびっくりした。 シャルラクプラスのコーナーでは何かゲームの体験版の配布もしていたようである。真っ直ぐにコーナーに来たのに、来たときには既に「次の配布 13:30から」みたいな紙が出ており、第一陣で貰うには本当に徹夜しかなさそうだ。私はそこまでして貰うことはしたくないので、それは無視する。 しばらく吟味した後購入。袋はフツーのビニール袋でまったくの白無地。「さすがはシャルラクプラスだね。stugio e・go!とは違うわ、やっぱり。」と解ったような判らないようなことを思いつつ離れた。 その後、企業ブースをとりあえずぐるりと見た。一部では大きな列ができているところもあった。小生は相変わらずコンパニオンのお姉さんやお兄さんから団扇やパンフを貰い続け、それを片っ端からビニール袋に入れていった。あるところではポスターまで配っていた。 企業ブース終了。 人の流れに乗って、同人誌即売会場へ向かう。「企業が西だから、同人は東」と訳の分からない事を考えて、東館へ向かう。しかし、ONさんは西館での出店であった。それに気がついたのは、「館の形が違う!?」と東館に入ってからであった。しかたがないので、東館に出ていると言う鉄道同人関連のコーナーを「遠くから」ぐるーっと一回まわって、それからまた西館へ向かった。 西館に戻ってきた。けっこう入口から近いところにONさんが出店していた。周りでは呼び込みを行ったり活気が有るように見えたが、なぜかONさんは隣りに座っていた散人さんと共にとても静かであった・・・・・。 ONさんのコーナーは壁に向いたところで、周りは広く、集うには丁度いい場所であった。今konさんも再び現れ、中野の赤い彗星さんもやってきた。後に専務車掌さんやU-sinさんもやってきた。 他のセンチはなぜかONさんのところと離れており、”離れ大島”状態であった。それでも10近くは出ていたであろうか、元気なことである。 14時くらいに、大学サークル時代の先輩もんしろさんにメールを送ると、コミケに来ていると言う。東館に居たもんしろさんとメールのやり取りをすると彼は西館に来てくれた。 もんしろさんはまたまた粋な和服に雪駄の出で立ちであった。あるいみコスプレにも見える。戦利品は小奇麗に風呂敷に包まれていた。 一旦外に出る。そこで話したり、戦利品を見せてもらったりした。 するともんしろさんが「東館で坪ちゃんが売り子をしている」ということで東館に行くことにした。「坪ちゃん」とは大坪氏のことで、センチ沢渡ほのかのファンである。 その前に何故かもんしろさんは企業ブースを一回りすると言い出した。なんでも有名人が偶に紛れて遊びに来たりしているらしい。 もんしろさんを先頭に、再び企業ブースを回る。大学時代サークル内でも「保守本流」という風に通っていたもんしろさんが、まさかコミケに来て18禁パソゲー主体に見える企業ブースを見てまわるとは予想だにしなかった。 今度は団扇もパンフも貰わない。それこそ本当に第三者のフリをし続けた。 すると、とあるコーナーに無人のパンフレットスタンドが立っていた。そこから見えていたのは・・・・高井さやかさん!! おもわず寄って、そのパンフレットを一枚頂く。とそのパンフレットには 「NECインターチャネルへようこそ!!」 と大きく書かれていた。 「うお!!」 不意打ちを食らったこと今日二回目。まさか高井さやかさんのパンフレットの下にセンチメンタルグラフティで名を馳せたNECインターチャネルの社名を見ることになるとは思わなかった。そのパンフレットは雑誌エンターブレインのNECインターチャネル特集号の案内パンフであった。パンフレットスタンドに差し込んだ場合に良く見える一番上に並んでいるイラストは「ピアキャロット3」と「みずいろ」である。 「おいおい、センチメンタルプレリュードはどうした!?」 とよく見ると、中ほどに小さく「センチメンタルプレリュード」と書かれたイラストが・・・・・。 さすがは「移植の名手」と言われるNECインターチャネルである。自社製作の「センプレ」を脇に追いやってパンフ一等地に出しているのはエフアンドシーとねこねこソフトである。「いったいセンプレはいつ出るんだ? というより出るのか?」と考えながら、「事実上棚上げ」という言葉が思い浮かび、一人苦笑していた。 しっかし、これじゃあNECインターチャネルとは縁が切れそうにないな・・・・。 企業ブースには東京都交通局や東急観光といったそれこそフツーの企業も出展している。東急観光では今晩の「ムーンライトながら」の指定席券を売っていたということをもんしろさんから聞いた。東京と岐阜県大垣を結ぶ夜行快速「ムーンライトながら」は名古屋、関西地区からコミケ参加するときにはとっても具合のいい列車である。東京到着が4:42とめちゃくちゃ早いのが、そのままゆりかもめや東京臨海高速鉄道に乗り継いでコミケに並ぶという動きに丁度いいらしい。この時期の「ムーンライトながら」の指定席券は発売開始と同時に売り切れるプラチナチケットと化すのだ。 ゆっくりと企業ブースを見て回ったのち、東館へと向かう。 鉄道同人ブースのそばで、これもまたサークルの先輩であるキタキタ氏に会った。彼と会うのはいつ以来であろうか、非常に久しぶりである。 東館では坪ちゃんこと大坪氏が「ひびきの高校鉄道研究部」で売り子をしていた。彼と会うのは実に二年ぶりであった。そこにいるとサークル時代の先輩であるげ氏や同輩の町会長氏もやってきた。なんでコミケとかでこういうふうにたくさんの人と会うかなー? ちなみに我がサークルの名誉のために付け加えておきますが、サークルOBでコミケにくる人は極一部です、たぶん。 そばのサークルでは村田氏も出店していた。彼と会うのも久しぶりだ。 ここで4時の終了チャイムを聞いた。三三七拍子まで付き合ってしまう。 しばらくそこにいたのだが、もんしろさんは別の会合があるということだった。私も6時過ぎから池袋でOFF会があったので出なければならない。とりあえず、西館に戻りONさんのところに行ってみるが、既にからっぽである。それこそ「宴の後の静けさ」である。 しかたがないので、東京国際展示場から出る。 本当はグッズなんてこんなに買う予定はなかったし、パンフ等を貰う事も考えていなかったので、このままOFF会に行く予定だったのだが、よく見れば重い。しかも飲み会でさやかさんのポスターが折れてしまっては、それは困る。ということでこの荷物も預けたくなった。 東京国際展示場の周りは帰ろうとする人で混雑している。東京駅行きのバスなんてすごい行列だ。 おとなしく帰りも、ゆりかもめで帰ることにした。 手元にはパスネットカードが3枚ある。残額が120円、70円、10円である。半端な余り過ぎる。しかたがないので、恐る恐る120円のカードを自動改札に通してみるが、あえなく弾かれた。しかたがないので、120円と70円のカードと現金を合わせて新橋までの切符を買った。 考えてみれば、手前までの切符を買って新橋で精算するときに10円のカードを使えばよかった。 ゆりかもめは国際展示場正門出発時は適当に混んでいる程度であったが、途中台場とかいろんな駅から「お台場ショッピング帰りです!」といった感じの一般人が大量に乗り込んできて大混雑になった。行きも帰りも混雑である。いやだな。 新橋に到着。 荷物を取り出す。その大きな荷物とあわせて京浜東北線に乗って品川に移動した。 臨時の大垣夜行が出るホームには発車までまだ6時間もあるというのに既に列が並び始めていた。各列6,7人はいるだろうか。「これは大変なことになりそうだ」と思った。が、その予想を大きく超えることになるとはこのときは思わなかった。 品川駅の構内ロッカーに預けなおす。ここで預ければ大垣夜行に乗るときに便利である。 ここから山手線に乗って池袋を目指す。SCEのコミケオフが池袋で行われるのでそれに参加しようということである。 恵比寿で山手貨物線の埼京線に乗り換えようと思ったが、出発したばかりで失敗。しかたがなしにもう一回山手線に乗って池袋に着いた。 池袋の待ち合わせ場所がはっきりしなかったので到着してからiモードでネットに繋ぎ、掲示板で確認する。便利になったものである。 7時半開始で3時間。池袋の飲み屋で飲んだ。正確に言うと話を聞いていた。さすがに同人誌を買うわけでもなかった私が話についていけるわけもなかったのである。センチの仲間であったのだが、それも今は昔。時は過ぎたのである。しかしさすがにコミケOFFである。3年ぶり近くになる知人も居た。 10時半終了。池袋駅前で散会。 山手線内回りで品川を目指す。ホームに同じOFF会に出ていた天野さんを見つけて彼の乗り換える新宿まで話をした。彼も今回センチ同人誌を出していた一人である。 同人誌の話などを聞いて、別れ際に彼のセンチ同人誌を買い求めた。販売可能時間外であったものの、まぁ大丈夫でしょう。 その同人誌を読みながら(文章のみです)品川に到着。 すると、ホームの上はすごい人の数である。しかも発車ホームに下りる階段の上まで行列が出来ているではないですか。ホームに入場制限が掛かっているのです。これは凄い。 最初は「デッキで座っていくことになるな」と言う程度だったのですが、とんでもない!!乗れるかどうかすら解らない状態。 荷物をコインロッカーから引きづり出していると案内が流れ列車が入線したようであった。 荷物を持ってようやく動き出した階段状の列にとりあえず並ぶ。並んで降りていっても結局乗るのに困難なことは同じことであった。座席はもちろんデッキも一杯である。デッキが一杯なだけではない。車内の座席間通路にも座っている人が見える。寝転がっているのではない、体育座りとでも言えばいいのだろうか膝を抱えて座っている状態である。これはとんでもない混雑である。「デッキで座っていけば・・・・」という考えが甘かったことを痛感した。 それでも前のほうの車輌に7人ぐらい立っているデッキを発見。7人と言う人数も多いことに違いはないのだが、皆、壁に寄り添っているのでその真ん中が空いていた。「ラッキー♪」とばかりに矢鱈大きい私のバッグをそこにでんと置いて、そこのデッキを今晩の宿とすることにした。 その後からも乗ろうとする人たちがたくさん集まってくる。どの人もデッキの混雑を見て困っている。「あきらめた表情」ではないのだ、「困った表情」なのである。それはそうだろう。この列車に乗れなければ後の行程が狂ってくるのであろう。 私は明日の晩に大阪から臨時寝台急行「あおもり」に乗るだけなのだから、そんなに深刻でもないのだが。 ホームの案内放送も最初は「座席を詰めてください」とか、「デッキを詰めてください」だったのだが、そのうち「11番線から小田原行きの列車に乗りまして、小田原から一部自由席の『ムーンライトながら』号に乗り換えてください」に変わった。その放送で諦めて放送に従う人も多いようだった。 23時49分に小田原行きが出たあとは、放送も「とにかく乗れ」というような感じに変わった。 私のデッキにはもう一人、おばさんのような人が乗ってきた。30から40台に見える人である。 23時55分。「老人会」という旗を掲げた謎の一団に見送られながら、品川駅9番線を臨時「大垣夜行」は出発した。 8月12日
三鷹運転所所属の165系9両編成は深夜の東海道を大垣に向けてひた走る。 と言いたいところだが、川崎に停車。その次は横浜と丹念に停まっていく。各停車駅では案内放送が「満員でご乗車できません。次の電車をご利用ください」と繰り返し放送している。それなのに横浜から若い女性が強引に乗ってきた。目の前に立つおばさんはなんとか乗せないようにと無言で押し出しているのだが、女性もそれに負けじと乗り込んでくる。「最初から乗る予定だったのかな?遠くに行くのかな?」と思っていたが、なんのことはない次の駅で降りていった(苦笑) 私は足を動かすこともままならないほどの狭い空間の中でなんとかすこしでも快適にとゴソゴソ動く。その中で隣りの女性二人が「あと3時間の辛抱だから」と話しているのが聞こえてきた。とすると静岡下車だな。目の前のおばさんは小さなメモ紙を開いている。それをなんの気なく見ると「大垣」とか「米原」とか見える。この人は乗り継いで行くつもりだな。 おばさんはデッキの真ん中みたいなところにある大きなかばんの上に、持っていたバッグを載せた。それは私のかばんである。しかしこの混雑の中「置くな」とは到底言えない。「なら持て」と言われたとこで持てるような状況ではないのである。かばんの中すぐにある今日のコミケの戦利品、特にPiacarrot3映画版のポスターが気になる。折れてしまわないだろうか。 私は「急ぐ旅ではないのだからやはり東京朝一の電車で東海道南下作戦をとったほうが良かったかな」と早くも小田原附近から思い始めていた。 進行方向左側の窓に私は張り付いている。ので、左側のドアが開くととっても開放された気分になるのだが、右側のドアが開くときは悲惨。止まったまま動けない状態のまま数分我慢することになる。動いていた方がまだましである。 三島、沼津、富士と止まりながら走り続ける165系。数年前のお盆に乗った青森行き臨時急行「八甲田」の混雑に勝るとも劣らない大混雑。寝静まる東海道でこの列車内だけ異様。 住宅が増えてきて「そろそろ静岡かな」と思うが、なかなか着かない。それでもようやく「まもなく静岡です。」という放送がかかった。 2号車の後ろ側のデッキではこの「静岡」という普通の停車駅を間近に駆け引きが始まった。 停車すると私の隣りにいた女性二人連れが動き下車。その動きに乗じて私も壁際へと動こうとしたのだが、それより早くドアの真ん中にいたおばさんが動き、見事に私の隣り壁際へと移動した。しかも彼女はそこに座り、見事足を伸ばしたのだった。 それでも私も負けじと場所を確保した。おばさんと同じように腰を下ろして座ることに成功。ただ、足は先で重ねざるを得なかった。 その後、なんと、その状態で僅かな時間ながら記憶がなくなったのである。すなわち「眠れた!」 20分弱くらいだったかと思うが、眠れたのである。この状態で「眠れた」となると周りから羨望のまなざしをむけられそうな気がする。 たまに足の位置を動かしてより楽な姿勢へと動かすが、前で立っている男性がいる手前そう大きくは動かせない。静岡で二人降りたといってもやっぱり7人ぐらいがこのデッキにいるのである。 電車は浜松を出て走り続ける。 この時点で私の心は決まっていた。 「豊橋で降りる!」 この状態で居続ける事はやはり辛い。今日の予定は本当に今晩の「あおもり」乗車までフリーなのだから、大きく急ぐ必要は全くない。 とかなんとか理由付けをしたが、やはり私のかばんの上におかれた隣のおばさんのかばんが気になっていたのである。 「下手をすると中の高井さやかさんが潰れてしまうぅ!」 ずっと起きていたし、コミケの異様な雰囲気の続きで多少ハイテンションになっていたのであろう。「高井さやかさん救出作戦」(ポスターをこの状況に置いたのは私であるが)と名づけて豊橋で降りることにした。 豊橋到着。私の側のドアが開く。私は立ち上がり、「すいません」と一言言ってかばんを引っ張り出して下車した。向かい側のホームには既に定期「ムーンライトながら」が入線している。デッキにいる人もかなり疲れた表情である。 時刻表をじっくり見つめて、次の普通列車では大垣に着くのが遅くなると読み、その次の特別快速に乗ることにした。それまで約1時間。ホームのベンチに横になって仮眠である。もちろん降りてすぐに、かばんをちょこっと開けて中の高井さやかさんの無事を確認したのは言うまでも無い。 私の降りたデッキにはなんとここから人が乗ろうとしていた。 約1時間、ぐーっすりと眠った。眠り始めたときは周りのベンチにも人がいたのだが、気がつくと既に誰もいない。豊橋発の1番電車も既に出てしまった。起き上がってまもなくして313系の特別快速大垣行きが入線。私は進行方向左側の座席を確保。かばんは丁寧に網棚に上げてまたも睡眠体制を作った。 豊橋の発車は覚えていただろうか?名古屋に停車したのはうっすらと覚えている。が、目をあけたわけでもなく、人が少し動いた気がする程度である。結局終点大垣までぐーっすりと寝た状態であった。 大垣から各駅停車の米原行きに乗り換える。大垣で降りた人の殆どが跨線橋を渡って隣のホームに移る。私も隣のホームに移る。 しばらく待って大垣始発の米原行きに乗る。117系の4両編成。座席は無事確保できたので、荷物を再び丁寧に荷棚の上に上げた。この電車内でまた眠った。 関ヶ原も醒ヶ井も夢の中で、気がつくと米原が近かった。 座っていたこともあり、降りるのが遅くなった。そのため米原からの新快速の座席が埋まってしまった。別に急ぐ行程でない私は、このすぐに接続の新快速電車を見送った。 時間が出来たので近江鉄道の米原駅を覗いたりする。丁度いい電車があれば乗りたかったのだが、なかった。近江鉄道も乗ってみたい電車の一つである。 結局米原発の新快速に乗って大阪を目指した。大阪駅では環状線ホームにある立ち食いスタンドでうどんを食べる。きつねとたぬきを間違いかけてちょっと恥ずかしかった。北海道ならきつねうどん・そばは揚げがのっていて、たぬきうどん・そばは揚げ玉がのっているのが普通だが、関西では「きつね」だけで揚げののったうどん、「たぬき」だけで揚げののったそばなのだ。知っていたのに間違えるなんて・・・。 大阪でどうしようか迷ったものの、コインロッカーに荷物を預けたあと、いきなり新快速で京都に戻った。清水寺に参拝するためである。駅前からバスに乗って目指す。京都の道はどこの道も混雑していることが多いが、バスは観光地を結んでいるので使いやすい。京都のバスを覚えると便利だと思う。そのバスに乗って五条坂下で降りる。ここで持っていた京都市交通局のバスカードを使い終わった。使い終わるのに4年ぐらいかかったかな? ゆっくりと坂を登って清水寺到着。拝観料を払って参拝する。別途有料の胎内巡りというのもしてしまう。真っ暗な中にはいって行くと、ぼーっと明るいところがあり、その石に触って戻ってくると幸せになれるというものらしかった。 今回清水寺に参拝したのは、以前ここで買い求めた御守りを納めるためである。以前から寺社参拝が好きであったのだが、そのために家に御守りが増えてしまった。あまり浮気な信仰心だと神様が怒ると聞いたので、今回納めに来たというわけ。丁重に納めて今回の一目的終了である。その後も地主神社参拝などをして清水寺終了となった。 清水寺が終わると八坂神社経由でゆっくりと三条まで歩いて、鴨川からちょこっと中に入ったにしんそばで有名な「松葉」で昼食。美味しく頂いた。 再び大阪へと向かう。鴨川縁の三条にいるんだから私の大好きな京阪電車で行きたいところだが、18切符もあるのでバスで京都駅へ向かいJRで大阪に行った。 大阪駅わずか2分ぐらいの乗り換え時間で関空快速に乗り換える。一番前で前面展望しながら阪和線への進入経路を楽しむ。向かったのは鳳駅で、ここから阪和羽衣支線に乗り換える。東羽衣から南海羽衣駅へ向かう。高架の東羽衣駅を降りると目の前が南海の踏切で、南海羽衣駅はすぐそばだ。 南海電車に揺られて数駅、貝塚駅に到着。貝塚から水間鉄道に乗り換える。水間鉄道乗車は二回目である。もう既に時間は夕方に近くなっている。そんな中がたごとと電車に揺られて水間を目指す。京都からごちゃごちゃと電車を乗り換えて水間鉄道に乗った理由は清水寺と同じ。前回乗車した時に参拝した水間寺の御守りを納めるためである。 水間鉄道の電車は昔東京の東急東横線を走っていた電車のお下がりである。すなわち一昨日弘前で乗った弘南鉄道の電車と同じ元東急7000系である。ちなみに昨日乗った秩父鉄道にも以前この元東急7000系が2000系として走っていた時期がある。ただ、非冷房だったのと、4両固定編成とちょっと輸送量に比べて長めだったために廃車になってしまった。水間鉄道の7000系は冷房改造されておりまだまだ動くことだろう。「秩父鉄道でも7000系に乗っていたら三日連続で乗ることになって面白かったのに・・・」とちょっと残念に思うと同時に、日本のどこに行っても同じ電車というのはちょっとつまらないなと反対のことも思った。 夕方の水間寺はかなり静かであった。さすがに観光名所の京都清水寺とは全く違う。しかも御守りを売っている所が閉まっているではないですか! しかたがないのでちょっと不本意ながら御札御守り返納箱のようなものに一礼して納めた。 ここで大学サークル時代の先輩東ヤマ氏から電話。出てみると青森に撮影旅行中だという。寝台特急「はくつる」と特急「はつかり」がなくなるということで、ぐ氏、N島氏、がっきゅう氏の4人で出るといっていた。話によると明日も青森近辺にいるということで合流しましょうとなった。 電話は水間寺を出てから水間駅までずっと続けていた。 水間駅でぼーっと電車を待つ。夏の日の夕方。なんとなく寂しくなる瞬間だ。 ホームにある「久川金物店」という広告の入った灰皿を眺めながら電車に乗り貝塚に戻った。
元東急7000系の水間鉄道の電車。弘南鉄道の電車と同じでしょ?ちなみに久川金物店は住所三ツ松ですが、水間駅から歩いた方が近いです。(水間駅にて) 時間があればまた羽衣からJRに戻ろうと思っていたのだが、時間が少しなくなってきたのでまっすぐ南海で難波に出た。本当は大阪に来たのだから難波のお好み焼き屋の「とんべえ」にできたかったのだが、時間がなくなってしまった。仕方がないので難波で降り、それでも道頓堀のラーメン店「金龍」でラーメンを食べた。大阪は食い倒れの街と言うだけあっていろんな食べ物があって迷う街だ。 地下鉄御堂筋線に乗って大阪駅に行く。梅田貨物駅側にあるコンビニ「ハートイン」でアルコールやつまみを仕入れる。そしてコインロッカーから荷物を引っ張り出して今回の旅行の主目的(あくまでもこっちが主目的ですよ!コミケぢゃないですよ!(笑))、583系の急行「あおもり」である。8年ぐらい前まで最後の20系使用の列車として有名だった列車だ。当時あの20系の大きなテールマークスペースになかなかいいデザインのイラストマークを付けていたので、この583系でもちょっと期待していた。 発車する11番線に行ってみると181系6連ぐらいの特急「はまかぜ」が止まっていた。新塗装ではあったもののちょっと珍しかったので写真を撮る。その181系が回送で発車していくと、まもなく「あおもり」の入線だ。 ヘッドマークに期待していたのだが、なんと「回送」。まぁそれは入線してから変わるのだろう、と思いながら自席の確認をする。お客の入りはぱらぱらで下段が軽く埋まっているかな?といった感じ。すぐに外に出て写真を撮る。 写真を撮るといっても三脚もないのでコンパクトカメラを手持ちで撮るだけである。肝心のヘッドマークはなかなか変わらない。乗らずに写真を撮りに来ていた人たちも一様に残念そうだ。駅員も運転手もヘッドマークを直そうという気配すら見せない。やっぱりJRってなんかそこらへんってやる気ないよね、有名列車ならまだしも。 結局ヘッドマークは変わらないまま定時に大阪駅11番線を発車した。 のはいいのだが、なんぼも進まないうちに茨木駅の側線に入って止まってしまった。ここでなんと20分近く停車。新快速、速くなりすぎたんだね。 この時にはまだこの「茨木駅」は何もない普通の駅だった。しかしあの映画「ピアキャロットへようこそ!〜さやかの恋物語〜」がこの駅近くのワーナーマイカルシネマズ茨木で公開されて、またこの駅を2ヵ月半後に利用することになったのは、なにかの運命だったのかもしれない。 京都では結構乗車があった。京都から乗るとはちょっと意外だった。 京都を出て湖西線に入る。このあたりから酎ハイを飲みながら、窓のブラインドを上げて真っ暗な窓外を楽しんでいた。 敦賀の手前、丁度新疋田あたりで突然とバッグの中を漁りだしてコミケの戦利品であるテレカや団扇をだして窓に並べだす。高井さやかさんのテレカがうまく立つようにして・・・・写真、パチリ!! 高井さんが生まれるずっとずっと前から走っているこの老体583系の中で、記念撮影。583系に聞いても多分「そんな人はいなかったね」と答えが返ってくるだろうな。え!?座席状態の時にごろんと横になって「センチメンタルジャーニー第3話ごっこ」をしてる人ならいたって? 8月13日
どうにも寝台列車はよく眠りすぎる。早朝の羽越本線を日本海を眺めながらゆったり過ごしたかったのにいつのまにか既に秋田が近い。ということはもう海は見られない。 秋田を出て八郎潟付近でまたまたテレカを取り出して、団扇を取り出して写真に取る。いや、しかし高井さやかさんはかわいいなぁ(爆) 急行「あおもり」の終点青森到着は昼に近い11時過ぎで、寝台を解体するかどうかも気になっていた。以前の20系時代は羽後本荘を出たあたりから寝台解体作業が始まったという記述を本で読んだ気がしていた。現在583系の夜行運用で終点到着が11時を過ぎるのはこの「あおもり」だけで、その遅さから「もしかしたらあるかもしれない」と思っていた。国鉄時代は走行中の寝台解体作業が見られたと聞いているが残念ながら私は見たことがない。 しかし、秋田を出ても「寝台を解体します」というような放送は聞かれなかった。この先弘前まで大きな駅はないから解体はしないということだろう。11時過ぎの青森まで寝台のままですか・・・・。 鷹ノ巣駅で後続の特急退避のため長時間停車。車外に出る。先頭まで行ってみると記念写真を撮っている人がチラホラいる。大阪発の時点で「回送」だったヘッドマークは「臨時」になっていた。白地に黒の普通の文字である。イラストマークではなかったか・・・。記念撮影のシャッター押しを頼まれて応える。私もその人にシャッター押しを頼んで撮ってもらった。 列車の頭から尻尾まで一応見てみる。側面の方向幕も「臨時」だけでつまらない。「青森」とかの行き先だけのがあればそれで良いから出すといいのにと思う。せめて「急行」とか。昔、東京から札幌に帰るのに上野から秋田まで羽越線経由の臨時急行「うえつ」というのに乗った事がある。14系客車を使っていたので方向幕は北は青森から南は西鹿児島まで、鳥取、高知など含めて全国入っているのだが、「臨時」しか出さないでつまらなかった。上野とか大宮とかに「秋田」とかの方向幕を出して止まっていたらとっても旅情があるのに、と残念に思ったのを覚えている。 頭から尻尾まで見てもまだ時間があったので改札を抜けて駅前を散策した。が、なにも無かった。 改札前には「列車遅れのお知らせ」という張り紙が出ており、青森からの列車が大雨で遅れているという。また雨ですか・・・・。 秋田からの特急「かもしか」が3両編成でやってきた。こっちは定時である。それに抜かれたあと、9両編成の「あおもり」は出発した。 鷹ノ巣から大館までの一部区間では徐行もあった。大雨の影響だろう。途中駅での交換待ちの停車もあった。車掌が「臨時停車です。」と放送していたので、遅れていると張り紙のあった上り特急だろう。 白沢−陣場の有名撮影地を通過して「あおもり」は走る。この辺りから電池が切れかけた携帯電話をだましだまし使いながら、前述の撮影旅行に出ているN氏と連絡メールをとり合っていた。 前日大阪駅で検察時に車掌になにか言っている輩がいたが、その輩の席は寝台が解体されて座席になっていた。なるほど輩は寝台の解体許可をとっていたのだな。列車内を一通り見てみると、一両に2,3箇所ぐらい寝台が解体されている区画があった。解体したボックスに座っているのはマニアではなく普通に見える人もおり、寝台の解体方法を知っていたのか不思議だ。私の寝台区画には中段にずっと人がいたので解体できない。しかし10時過ぎまで申し訳程度の小さな窓しかない中段や上段にいるのは辛くないだろうか?起き上がって座ることすらままならない高さしかないのだ。 中段の人は弘前で降りていった。 私も本当はマニアにはなりたくなかったのだが583系の寝台だけは解体してみたかったので残り1時間を切ったにも関わらず、挑戦した。まず上段のカーテンを外して上段に押し込む。後で係員がカーテンを取り付ける作業が発生してしまうが勘弁してもらおう。次に上段を区画している仕切りを外す。バネ式の爪で引っかかっておりそれを外した。すると仕切りが倒れる。そのようにした上段をそのまま押し上げる。上段は壁と蝶番で留められているのでそれを支点にはね上げ、天井の爪に引っ掛けると45度傾いたような状態で天井肩に貼りつく。次は中段で同じように区画している仕切りを外す。また座席背もたれにも引っ掛けられているのでそれも外す。そうして中段天井部分(上段直下)にある荷物棚をくるっと半回転させて通路側に出す。そうすると中段が上げられる。中段も壁と蝶番で留めてあり、持ち上げると天井にある爪に中段が引っ掛けられるのだ。中段寝台部分は座席状態の時垂直になるのだ。回転させてあった荷物棚をまた回して元に戻す。最後に下段寝台を片付ける。4つに分かれている下段ベッドは真ん中から二つに分かれる。少し持ち上げ気味にして座席背もたれ方向に動かすと、頭の部分が座席背もたれに、背中の部分が座面になる。反対側も同じように動かすとお尻の部分が座面に、足先が背もたれになる。こうして座席状態の完成!!まるでからくりのような仕掛けが一杯の創りだ。 こうして座席状態になったわけだが、もうすぐ終点青森である。哀しい・・・。 青森に到着。昨日連絡をとった東ヤマ氏、N氏、がっきゅう氏は青函トンネルの海底駅見学に出ているとのことなので青森で時間をつぶす。構内にいると臨時だろうか国鉄特急色の485系が6連で盛岡からやってきた。構内には結構な数のマニアがおり、私も混じって撮影する。するとヘッドマークが回りだした。「はつかり」だけではなく「いなほ」や「白鳥」、「あいづ」、それに「なつかしの〜」で使ったのか「やまびこ」などという珍しいものも入っていて、居あわせた一堂は皆興奮気味に撮影していた。
国鉄特急色の485系6連特急「はつかり」。このあとヘッドマーク回しが・・・・(青森駅にて) 大雨の影響は幅広く出ているらしく、青函トンネルを走る列車から東北本線の特急まで遅れているようであった。 遅れながらも快速「海峡」到着。N氏はすぐに「はつかり」に乗り換えて帰るということで、構内で立ち話をした程度で別れなければならなかった。久しぶりの再会だっただけにもう少し話したかった。それでも「はつかり」が遅れていたので定時よりは話すことが出来たであろう。 東ヤマ氏とがっきゅう氏は今晩の「はくつる」お別れ乗車ということで時間が結構ある。どうしよう?と言う話になったが、私が「旧型車が置き換わる十鉄(とうてつ・十和田観光電鉄)はどうだろう?」と提案すると、「今回の撮影では結局行かなかったから行きましょうか?」となり、レンタカーを借りて行くことと決定した。 しかしレンタカー屋に行ってみると、なんと手頃な小型クラスの車が出払っているという。「上の車を割り引いてお貸しします・・・」という話で手続きを進めていると、丁度ヴィッツが帰ってきた。ということで小型車で借りることが出来た。 時間がそれほど無いのですぐに出発。国道4号で青森市外を抜けてみちのく有料道路に入る。森の中を抜けてトンネルをくぐっていくと天間林で再び国道4号と合流。南部縦貫鉄道の休止線路を脇に見ながら七戸を抜けて走り、十和田市内に入った。 「とうてつ」と書かれたデパートの駐車場に車を止めてデパートに入る。食料品売り場を抜けてエスカレーターで2階に上がる。衣料品売り場を抜けて行くとそこに十和田観光電鉄十和田市駅の改札口があった。以前はこの先500メートルぐらいのところに十和田市駅があったのだが、移転して自社デパートとくっついた。買い物に便利な電車をアピールしようということだろうが鉄道経営は苦しいようだ。 大きな紙製の時刻表を一枚もらって検討する。レンタカー屋の営業時間から考えると、三沢まで全線通しの一往復すら厳しく、中ほどの七百駅で交換するのでその1つ手前の古里駅まで往復することとした。電車が到着して改札が始まり中に入る。 「さよなら旧型車」のヘッドマークを付けた元東急3000系の2連。3人で写真を撮り、互いにシャッターを押して記念撮影もする。 発車時間が来て小雨の中動き出した。一昨日の銚子電鉄でも乗ったが、釣りかけ電車のモーター音はいつ聞いても好きだ。重いモーター音はいかにも「走ってるっ!」という感じがする。 古里駅に着いて降りる。後追いで写真を撮る。しばらく待つと七百駅で交換した電車が到着。写真を撮ってから乗る。ワンマン車両で、前の車から乗ると制御車でモーターが付いていない。疲れたのかそのまま座ろうとする二人を促して後ろの電動車に移った。帰りも釣りかけ駆動音を堪能。日本で最後まで残った釣りかけ100%の鉄道も今年の秋までだ。 こうして十和田市駅に戻ってきた。約40分。 若干ならまだ時間はあるので旧十和田市駅に行ってみることにした。旧十和田市駅は現在留置線となっている。駅舎も事務所として健在だ。 裏手留置線にはお別れ記念で緑色の旧東急色に塗り戻された電車と、東急からお下がりでやってきた冷房車が止まっていた。写真を撮る。 時間も無くなり十和田市を出発。もと来た道を戻る。途中、休止中の南部縦貫鉄道の七戸駅でも見ていきたい衝動にかられるが、やっぱり時間も無いのでそのまま素通り。天間林からみちのく有料道路へ入る。みちのく有料道路ではがっきゅう氏の運転が多少激しくなった。前の車が若干遅かったのが原因かもしれない。それでもその車は登坂車線で追い抜くことが出来た。 がっきゅう氏の激しい運転のおかげ(?)かレンタカー屋には無事閉まる前に着くことが出来た。 3人で晩飯を食べたりしていると、「はくつる」の発車時間もまもなくである。 「はくつる」を入線から迎え、写真を撮る。同業者も結構いた。 東ヤマ氏とがっきゅう氏を「はくつる」の方向幕の前で写真に撮ると、発車も近くなった。 こうして二人は帰っていった。 東京のコミケで友人と会い、大阪経由で青森に来て、また友人と出会う。東京で会った友人の中には東京在住の人ももちろんいたが、関東ではない人もたくさんいた。そうして青森で会ったのも東京とその近郊在住の友人だった。旅先で旅先の友人と出会う。なかなか面白いことだと思う。
北星は札幌行きの「はまなす」に乗り、濃かった旅の本当の帰途についたのだ。
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