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北海道自転車帰省記
〜そんなに、果てしない物語でもなかったチャリンコ紀行〜


 私がなぜ、自転車で帰ろうとしたのか。
 埼玉に住んでいた私は、突然北海道の実家に帰ることになった。
 東京での暮らしで私は自転車を使っていた。その自転車を引っ越し荷物と一緒に送ると、値段が高くなるのではないかと思った。
 北星はケチなのである。
 それなら自転車で北海道まで帰ろう。そう思ったのが始まりである。
 最初は本当に青森まで国道4号を走り通して青函フェリーに乗船。函館から国道5号を走って札幌に帰ろうとしていた。しかし、後になって仙台からもフェリーが出ていることに気づいた。それであれば苫小牧まで行ける。

 「よし!仙台までチャリンコで行ってそっからフェリーに乗って帰ろう!」

 そう決めた。
 北星は単純なのである。
 引っ越し荷物は4月30日の午後3時に回収に来て運ばれていった。そのあと、私はきょうちゃんの家にジャーニー大会に行った。いや、実際はToday改さんから真奈美のぬいぐるみをもらうためである。

 北星が北海道に帰ることになったのは4月19日。それを知ったきょうちゃん、くるくる夏穂氏、七海龍氏が中心となって(集まろうといったのは私です。送られる者が送られたいと言って集まってくれました。とても嬉しかったです。)送別OFFを行ったのは4月23日。それから荷造りをしたのでこんなにも遅くなってしまったということ。しかも4月29日には大根輔さんの家でジャーニー大会やっているし・・・・。

 30日夜遅くまできょうちゃんの家でジャーニー大会で盛り上がった。帰り際に無事Today改氏から真奈美のぬいぐるみももらった。これで3個目である。真奈美のぬいぐるみを初めて貰ったのは受動明ー日氏壮行OFFの後のカラオケの前で、KOG氏からであった。

 日付を回って5月1日午前0時過ぎに家に帰ってきた。
 ぐっすり睡眠をとって、5月1日午前11時30分、埼玉の家を出発した。目的地は仙台港。果てしない物語である。
 ところが出発から10分とたたないうちに止まってしまう。郵便局で送り損ねた荷物を小包にして送るためである。また、ここで転居届を出して、郵便物が無事に転送されるようにしておく。

 再び出発。
 仙台までノンストップで行くことはもちろん不可能である。途中茨城県古河市の友人宅に寄ってから行くことに決めていた。古河までは約40キロの道のりである。
 国道17号を大宮方向に走る。ちなみに自転車は3段変速のついたママチャリ、市場販売名「シティサイクル」である。ママチャリで北海道まで帰ろうとしたのである。前のかごにはチョコンと真奈美がのっかっていた。前述の真奈美ぬいぐるみである。
 50分後大宮市大成のセブンイレブンで休憩。これから古河まで走るというのに朝飯を食っていなかったのでここで軽食とする。
 国道17号を大宮市の北で右に折れ、北大宮バイパスを走る。そうして、県道大宮栗橋線に入った。道路に充分な幅があるので車道の脇を走る。それでも時々後ろから爆音が聞こえて大型トラックがやってくることがあるので慌てて歩道に逃げ込んだりする。
 約1時間後栗橋市内のセブンイレブンで休憩。
 まもなくして国道4号と合流。利根川大橋を渡って茨城県に入る。そこまで来ると古河の友人宅は近くである。14時過ぎに到着。
 彼はセンチの友人ではなく大学時代のサークルの友人である。その彼は旅にめっぽう強い。その彼から「今は大洗から出ているフェリーが安いですよ」といわれた。大洗は茨城県の港である。水戸から約20キロ沿岸部にある港で仙台より近い。彼もインターネットをしているのでネットに繋げて調べてみる。大洗から出ているのはブルーハイウェイラインの船である。調べてみると創立30周年割引とかで6000円となっている。自転車は1500円。合計で7500円だ。仙台からの太平洋フェリーも調べてみると7600円。自転車が1900円。合計で9500円。・・・・・・大洗の方が安いじゃん!しかも大洗の方が近い。更に追い打ちをかけるように「あした3日は晴れですが、あさって4日は全国的に雨です。」と彼が言う。なるほど天気予報は雨である。仙台も高松も雨である。とすると明日のうちに仙台まで行く必要がある。雨に降られると自転車は弱い。頑張って仙台まで走り通してもいいのだが、気力と体力は別である。どこでくたばるか解らない。

 「雨じゃ仕方がないね。大洗に変更しよう!」

 前述の通り北星は単純なのである。
 仙台に行きたかったのも事実ではあるのだが・・・・。

 仙台には同じ真奈美属性のManamist氏が住んでいる。彼には12月の「仙台えみる光のページェントOFF」の時以来なので会いたかった。しかし彼のゴールデンウィークの都合は「3日しかあいていない」というのだ。まぁ、いきなり言い出したからそれは仕方がなかったのだが。

 大洗からフェリーに乗るのが決まったら、まずは空席確認である。満席だったら仕方がない。特にフェリーというものは、飛行機と並んで定員を守らなければならないものである。「ゴールデンウィークの混雑で乗船率150%でした。」とか聞かないでしょ?
 船は1日2便。9:00と23:59の出航である。
 電話をかける。すると「今日の夜の便と明日の朝の便は休航」というのである。なるほど時刻表を見ると、「日曜日の夜の便と月曜日の朝の便は休航」と書いてある。
 当初から私は「仙台から船に乗る!」と決めていた。仙台からのフェリーは毎日出ているし、仙台まで何日かかるか解らない。今はゴールデンウィークの期間中で混雑しているかも知れないが、仙台に着く頃にはゴールデンウィークは終わって予約なしでも乗れるだろう。そう思っていたので適当な日に出発してきている。「計画的に無計画」だったのである。
 月曜日の晩の便があるが、「満席」と断られた。火曜日の朝の便に空席があるという。それなら4日火曜日の朝の便だ。決定。

 「困ったねぇ。」
 友人と話す。今日は2日である。これから水戸方向に行っても、明日の朝か午前中には着いてしまう。いったん自宅に帰ろうかとも思ったが余りにもばからしい。
 そんなところに旅行のプロフェッショナルである彼がJRの「みなみ東北フリーきっぷ」と言うのを教えてくれた。常磐線の勿来以北、東北線の新白河以北がフリー区間となる切符で、だいたい福島県、山形県、宮城県が入っている。JR線の普通列車が乗り放題の切符で2450円である。
 「いっちょ仙台にでもいこっか!」
 だいたいそんな感じで決まった。明日3日はそれじゃ仙台にでも行こう。Manamist氏に会うか、仙台のえみるスポットでも回ればいいや。

 午後6時過ぎに古河の友人宅を離れる。
 「それじゃあね。」
 そういって自転車で別れた。お互いなんか可笑しかった。古河まできて「自転車」で別れるなんて・・・

 大通りに出て、古河駅方へと自転車を走らせる。
 友人宅を出たときはまだ明るかったのだが、古河駅前に着く頃には薄暗くなってきていた。
 古河駅北方の本町4の交差点を右折。県道25号線にはいる。それまで歩道もある広い道の車道を走っていたのだが、県道に入ったとたん道は突然狭くなった。車道2車線が精一杯の道である。歩道なんてものはない。

 そのうち日がとっぷりと暮れてしまった。
 暗くなってから狭い道を走るのは怖い。昼間の方がよっぽど走りやすい。それでも、街灯が明るいので、無灯火のまま走り続けた。
 東北本線の高架橋をくぐり抜けてからしばらく行くと、突然複線の鉄道高架橋があった。東北新幹線であった。
 そのうち、大きな交差点に出た。国道4号線古河バイパスであった。バイパスにも街灯がぽつぽつと点いている。「この道を左にずーーーーーーーーっと行くと、仙台かぁ・・・」 そう思う。それでも、明日が晴れでも明後日が雨では仕方がない。そんなことを、その4号バイパスとの交差点で考えていた。

 チャリンコを走らせ続ける。

 私はこの先「野崎」と言うところで県道25号から別れて、下館方面に行く町道に分岐する予定である。
 ここら辺まで来ると疲れからか、なかなか進まなくなってきた。時々コンビニに入って地図を見て現在位置確認をするのだが、全然進んでいないということが多かった。
 
 一軒のコンビニに入る。地図を確認すると”野崎”の分岐点はすぐ先であった。気合いを入れて自転車を再びこぎ出した。

 そうして分岐点に到着。地図ではY字分岐であったが、実際にはT字分岐であった。左折。

 すると・・・

 私はそこでブレーキをかけて止まらなくてはならなかった。
 道が真っ暗なのである。街灯が・・・ない。それまでの県道はある程度の民家や商業地の中を走っていたのだが、この道の先にあるのは真っ暗な丘である。
 ペダルが重くなるのを覚悟で前輪にくっついたライトをつける。
 ゆっくりと再びこぎ出した。
 本当に真っ暗である。自分が止まってしまったら、周囲に明かりが無くなるのである。これには参った。
 自動車は時々走ってくるが、それ以外に”人影”というものが感じられない。まだ午後7字を回った時間だというのにまったく人を感じることが出来ない。道路の周りは田んぼである。まぁ午後7字に畑仕事をする人なぞいるわけはないのである。
 東京であれば、こんな時間であれば沢山の人がいる。それなのに100キロと離れていないのに茨城県三和町では人がいないのである。
 また、道が大変走りにくくなった。歩道がないとか、街灯がないとかもその理由だが、ここに来てアップダウンが出てきたのである。小さなものではあるが、何回もアップダウンが続くとさすがにいやになってくる。
 しばらく行くとコンビニ「セブンイレブン」を発見。喜んで飛び込む。
 ここでパンを買って駐車場でかじる。出発。
 自転車をこぐペダルが重くなる。時々来る対向車が辛かった。私の自転車の前輪ライトの照射能力は余りにも非力である。そのライトが対向車のライトでかき消されてしまうのである。対向車が来ると、減速か停車を余儀なくされた。
 そんな道でも、時々道路のどっちか片側に歩道が現れることがある。そんな時は喜んで歩道を使って走る。別れているとはいえ、歩道と車道の間には段差が無く、縁石が盛り上がって境界となっているので、下手をしたら縁石につまづきそうである。かといって歩道のはじっこを走ると今度は田んぼに落っこちそうである。歩道と田んぼの間には柵一つないことが多い。

  そのうち茨城県三和町を出て茨城県結城市に入った。しかし、街が変わったからといって、風景が変わるわけではない。”市”なのだが、市の南端をかすめるように通っているため、風景は変わらない。

 そのうち道路は、堤防へと進む上り坂になってきた。周りに家は一軒もない。田んぼばっかりである。しかも蛙がめちゃめちゃ沢山鳴いている。げこげこげこげこげこげこげこ・・・・・・・。蛙の声しか聞こえない。車も来ないし、家もない。街灯もほとんどない。一面見渡す限りの田んぼ。

 茨城県結城市。物凄いところである。

 橋は鬼怒川大橋。たもとまで来ると橋には歩道がないことがわかった。幅は車道2車線分が精一杯の幅しかない。狭すぎる。後ろから大型トラックが来ようものならはじき飛ばされそうである。
 ゆっくりのんびり川を渡る。
 真っ黒い鬼怒川が橋の下を流れる。夜の川(水)は、私は嫌いである。怖いのである。夜の海も嫌いである。
 センチGのゲーム内で七瀬優と宮島に遊びに行くイベントがある。そのイベント内で「夜の海」に対するコメントを求められる所がある。私がゲームをやったときは正直に「夜の海って怖くない?」という選択肢を選んだ。私の本心である。しかし、優はそれでは満足しないらしい。ベストな選択肢は「星って海面に映るのかなぁ?」である。私にはそんなことは考えも付かない。そうなると優との相性は良くないらしい。ま、私には杉原真奈美嬢がいますからね。
 そんなことを考えながら上着のポケットに入っている真奈美ぬいぐるみをつつく。

 橋を渡ると、茨城県関城町であった。”関城”の読みは”せきじょう”である。

 しばらく行くと、住宅が増えてきた。増えてきたといっても「繁華街」とはいえない。なんか建物が増えてきたと思ったら、どうも町の中心部だったらしい。コンビニ発見!中に入る。
 おにぎりを一個買ってきて出る。
 そこからいくらも行かないうちに、スーパーマッケットを発見した。駐車場に「蛍の光」が流れている。時計を見ると8時55分。9時閉店らしい。さっきおにぎりを買ったばかりであったが、店に入る。すでに保冷幕が下ろされて閉店間近である。それでも迷わず惣菜コーナーへ向かう。あった!あった!半額のシールを貼られたおにぎり!2個選んでレジを済ませる。
 このスーパーの周辺には2階建ての建物を中心にして、建物が多く見られる関城町の中心街である。それにしてはやはり人の姿が見えない。
 スーパーを離れるとすぐに田んぼばっかりになった。そのうちに茨城県下館市に入った。

 道を進んでいくとコンビニがあった。しかも至近距離に2軒!都会である。一軒目のコンビニに入る。地図を確認したかったのだが、地図がない。ここは茨城県下館市なのに、なぜか「栃木県」の地図ばかりである。なぜに栃木県ばかり?隣町が栃木県だから?わからない。次のコンビニに向かう。
 そこのコンビニは茨城県の地図があった。そこで確認する。やはりこの先しばらくいったところにファミレスがあるようだ。
 下館市内に入ると、確実に今までより変わった。道の先の方で踏切が鳴っている。急いで行ってみたが、列車は通った後で踏切は開いていた。線路の両側を見てみても列車の影はない。その踏切は関東鉄道常総線の踏切であった。
 しばらく行くと下館駅の南側の街に着いた。町の中心部は北側なので、市街は静かである。そのまま行くとあった、あった。道の右側にレストラン「COCO'S」があった。そのすぐ先、道の左側にレストラン「デニーズ」があった。デニーズに入り、晩飯とした。
 デニーズの入店時間は9:56。深夜料金一歩手前である。しっかりした料理を注文し、おかわり自由のコーヒーを注文する。コーヒーは食後にしてもらう。
 ここで佐伯さんから電話があった。その後きょうちゃんから電話があった。二人とゆっくり長電話をしていた。コーヒーのおかわりと合わせてゆっくり過ごしたため、一人で2時間半粘ることが出来た。下館ともなるとデニーズでも24時間営業ではなく、午前2時までの営業である。
 0時半、出発。
 気合いを入れてこぎ始めるが、すぐにペダルが重くなる。疲れているのか。
 水戸線を陸橋で越えて、国道50号線に合流した。国道50号線はJR水戸線に沿って水戸まで行く道路である。
 さすがに国道ともなると、しっかり歩道がある。これは便利である。また道路も広い。助かる。街灯も適度な間隔で点いている。ありがたい。数件のコンビニに寄りながら国道50号線を水戸方向に走る。

 手元の時刻表によると、水戸発午前5時過ぎの常磐線下り普通列車いわき行きがある。いわきから乗り継げば仙台には午前10時に着ける。常磐線の最終の上り列車で水戸に帰って来るには仙台17時発である。仙台で7時間の時間がある。仙台でManamist氏に会うか、会えなくてもえみりゅんスポットを回ればいいや、と考えていた。仙台は東京から比較的近い街なのだが、センチを知ってから行った回数はわずかに一回。昨年12月23日の「仙台えみる光のページェントOFF」だけである。郊外スポットの秋保温泉や松島はもちろん、大崎八幡神社や仙台野草園など一つも回っていない。えみるスポットを回るのも決して悪くない。永倉えみるね・・・。

 そう思っていたから少しでも水戸に近づきたかった。古河の友人には「下館のビジネスホテルにでも泊まる」とは言ったが、もとよりそんな気はなく、泊まるのであっても駅ネ(無人駅等の待合室で寝ること。治安のいい日本だから出来る芸当)だなと考えていた。
 ところが時計は1時を回り、さすがに疲れてきた。しかもやはり眠い。手近のコンビニに入り地図を確認。この先一番近い水戸線の駅「羽黒駅」に狙いを定め行ってみることにした。 
 羽黒駅は小さな駅であった。待合室が開いている。ラッキー! 駅舎に入ると出札口の前の電気だけが点いている。待合室の電気は消えている。改札口のドアも開け放たれている。もちろんここまで来ると自動券売機や自動改札と言われるものはない。改札を抜けて駅構内を見てみる。跨線橋で線路に挟まれたホームに行く構造であった。水戸線は線路が一本の単線だが、羽黒駅は交換駅で、鉄道の専門用語でいう「一面二線」の方式である。図解するとこうなる。

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 わかるかな?

 この羽黒駅に着いたのは2時前である。待合室のベンチに横になって眠った。

 午前4時少し前に寒くなって目が覚める。開けっ放しだった駅入口の観音開きの扉を閉めて、鍵もかけてしまう。引き戸の改札口の扉も閉めてまた寝た。

 午前4時半頃ガチャガチャという音で目が覚める。起きてみると鍵を閉めたはずの駅入口の観音開きの扉を開けて、爺さんが入ってきた。鍵を閉めたはずなのに・・・と思いながら見ている。もしかしたら駅員か? 直営の駅ではなく簡易委託と呼ばれる方式の駅であれば、近所の爺さんが駅員をやっているという形も大いにあり得る。いぶかしげに爺さんを見ているが、私に何も言ってくる様子がない。そのうち外でカンカンと踏切が鳴りだした。駅の時刻表を見てもこんな早い時間に電車はない。外に出てみると遠くから電気機関車が近づいてきた。慌ててカメラを取ってくる。やってきたのは赤いEF81型電気機関車の牽く貨物列車であった。タンク車と無蓋車が続いていった。私はこの時始めて水戸線に貨物列車の設定があることを知った。
 爺さんは怪しげに駅の周りをうろついている。私は手持ちのマッチとティッシュで侘びしい暖を少しとったあと(マッチ売りの少女状態(爆))、出発準備を整えた。
 私は駅前の自販機で千葉・茨城名産のホットマックスコーヒーを購入。甘ったるいコーヒーで暖をとっているうちに、爺さんはキコキコと自転車をこいでどこかへ消えていった。
 4時56分羽黒駅を出発。
 朝の道の走りやすいこと!さすがに夜とは比べようがないほど走りやすい。こんなにも昼間の方が走りやすいものか!びっくりした。

 そのうち腹が減ってくる。時計を見ると5時56分。出発から丁度1時間である。道端に自転車を止めておにぎり2個を食べる。すぐに再出発。そこから10分と行かないうちに、24時間営業のドライブインがあった。外に看板で大きく「早朝サービス 午前6時まではラーメン半額300円」と出ている。普通の値段は600円である。時計は6時を5分ぐらい回っていて、「あぁ、もう少し早く出ていればなぁ」と思った。ちょいとラーメンを食べたくなった。しかし、600円なら意味が無く、そのまま通過する。いくつもの丘を越え走っていくうちに道の両側に店と住宅が増えてきた。
 そのうち国道50号水戸バイパスの分岐点まで来た。バイパスは大洗に向かう。本線は水戸駅に続いているので迷わず本線を選ぶ。左側には大きな池があり早朝から釣りを楽しむ人達が大勢いる。
 道は次第に片側1車線から2車線に増え、3車線に増える。日曜日の早朝という人通りも車通りも少ない道を快走。下り坂を下りると水戸駅に着いた。7時。
 記念に駅をバックに自転車の写真を撮ろうとも思ったが、面倒になりやめる。駅から続くペデストリアンデッキの階段下に自転車を止める。放置自転車である。そのまま水戸駅に行ってみる。

 さて、水戸までやってきた。船は明日の午前9時、ここから20キロ離れた大洗出航である。26時間の時間がある。当初予定では電車で仙台に行く予定であった。ところが予定より2時間遅れて水戸に着いた。仙台にいる時間は5時間ぐらいしかない。しかも「みなみ東北フリーきっぷ」を使う予定であったが、フリー区間の入口駅である勿来駅まで1000円以上する。次の電車で行くとその3つ先いわきから6分で仙台行きに接続する。勿来で下りたら乗れない。いわきでも切符は売っているだろうがいわきまで行くとさらに高くなる。仙台での時間が短いということはフリー切符を生かして鳴子温泉とか松島とかに行けない。ちょいと足を延ばして気仙沼・・・とかもできない。JR線の乗りつぶしをしている私だが、この切符のフリー区間は全て乗っている。

「仙台に行くのはあきらめよう」

仙台でえみるに会うのは中止となった。属性でないのであきらめは早い。

 水戸の隣の町、ひたちなか市には常磐線の勝田駅から阿字ヶ浦という海水浴場で有名なところまで結ぶ小さな鉄道「茨城交通」というのが走っている。最近古い気動車が走っているということで鉄道ファンの注目を集めている路線である。そこに遊びに行こうかな、とも思った。「自転車で茨城交通に行った」というのは楽しいシチュエーションである。しかし、夜7時過ぎに暗くなってからすることがなかった。私はゲーセンに行くような人でもないので時間つぶしに困る。電車で仙台に行こうと考えたのは「夜の時間つぶし」という意味も大きいのである。仙台17時の電車で水戸に帰ってきたら23時である。それより何より疲れたので自転車をこぎたくない。茨城交通訪問も却下された。
 水戸が入るフリー切符ってないのかなぁ・・・。そう考えていてハタと気が付いた。関東圏が乗り放題のスーパーホリデーパスがある。この切符は、東海道線の熱海・伊東、中央本線の小淵沢、清里・小海・小諸、上越線の土合、東北線の黒磯、水郡線の常陸大子、常磐線の大津港、の各駅より東京側のJR全線が乗り放題の切符である。房総半島は全域が含まれる。その乗り放題の距離はただひたすら広い。それでもって4080円! 水戸から東京山手線内までの片道は2220円で、往復しただけで元が取れる。特急券を払えば特急にだって乗れる。休日限定のこの切符、使わない手はない。しかも、このフリー区間内に私がまだ乗っていない鉄道線がある。それが「吾妻線」である。
 吾妻線は群馬県の渋川から草津温泉の入口である万座・鹿沢口を通って大前に至る60キロの路線である。この線はまだ乗っていない。これに乗りに行こう!決定!上野駅を23:12に出る電車に乗れば水戸の到着は1:05で時間つぶしにはもってこいである。水戸より東京の方が時間つぶしはしやすい。
 切符を買って7:51発の上野行き電車に乗った。

 車内でおにぎりを食べてジュースを飲む。電車は速い!しかし、ここでまた東京に戻るとはな・・・。

 10:07。上野到着。速い!戻ってきたねぇ。何でここにいるのかな?可笑しすぎる!

 まずは船の切符を買う。明日の船の切符をまだ買っていない。改札を出て上野駅の旅行センター「びゅうプラザ」に行ってみる。ところが開店は11時であった。あと1時間ある。仕方がないので「みどりの窓口」で時刻表を見る。巻末の「びゅうプラザ一覧」を見て10時から開いている東京駅の「びゅうプラザ」に行くことにした。「びゅうプラザ」にこだわったのは、そこで買いたかった理由があるからである。
 東京駅の「びゅうプラザ」で無事切符を購入。運賃6000円と自転車航送賃1500円の合計7500円である。財布の中にはあと8000円ぐらいある。今日はゴールデンウィーク期間中なので郵便貯金のATMは閉まっている。それでも余裕はあると見ていた。今晩はコンビニ弁当でも買って食べればいい。あとは電車に乗っているだけだから金はかからない。電車賃はフリー切符でどこにだって行ける。

 東京駅から秋葉原に転進。

 秋葉原。もう来られないと思っていた。大好きな街である。混沌とした巨大電気街。そしてアヤシイ街・・・。
 「東京記念」と言う謎の記念で何か一つゲームソフトを買って帰りたかった。秋葉原に着いたのは11時でまだK−BOOKSは閉まっている。あそこの開店は12時である。真奈美グッズ探しは後回し。電車は12:30上野駅発で12:15から20ぐらいまでここにいることが出来る。
 ゲーマーズ秋葉原店が開いている。しかし、「秋葉原に着いたら真っ直ぐにゲーマーズ」というのはなんか嫌だった。

 よく、「秋葉原に行けば誰かいる」そんな話をよく聞く。しかし、私は秋葉原で誰かとばったりあったと言うことはなかった。大学のサークルの友人ともあったことはなかった。これだけセンチ関係の知人が増えても、彼らとばったりということはなかった。以前きょうちゃんと待ち合わせる約束をして行ったら、そこにSKY氏と水鏡氏もいたということはあったが、それだけである。
 誰かとばったりあったりして・・・。そういう思いは来る度にする。けれど、実際に会ったことがない。

 秋葉原をあちこち見て回る。

 そんなときサークルの後輩から携帯に電話があった。彼らは数人で千葉県の小湊鉄道という鉄道の写真を撮りに行っているらしかった。「今どこですか?」の問いに「秋葉原」と答える。「これから吾妻線に乗りに行く」というとさらに不思議そうな口調になる。そりゃそうだろう。自転車をこいで仙台に向かったはずのヤツが秋葉原にいて、群馬県の吾妻線に乗りに行くとかいっているのである。私にだって何故こうなったのかはよく解らない。切符は乗り放題だし小湊鉄道のそばに行くこともできたが、吾妻線に乗りたかったのでそれはやめた。

 また秋葉原を見て回る。だいたいそんなにも変わらないのだが・・・。「東鳩でも買おうかな・・・」と思ったがそれはやめた。よく行く10店近くを適当に見て回ったあと、ソフマップ14号館で「ONE」を買った。ゲームというもの腐るほど出ていて選ぶのに迷うが、このゲームソフトは以前チャットで話題になっていたゲームでもあり、大丈夫だろう。

 ゲームを買って秋葉原駅に戻る途中に時計は12時を回った。

 中央通りが歩行者天国になった。その歩行者天国になった道の真ん中を歩きながら「そうだ。センチのコミックアンソロジーが出たんだっけ。まだ買ってなかったし、船の上の暇つぶしにでも買っていこう。」と考えた。コミックアンソロジーは4月27日に発売されている。駅の方向に向かっているのだから、買うとしたらゲーマーズ秋葉原店である。
 
 私は本を面白いところで買うのが好きである。センチの小説も上巻は京都で、下巻は長崎で買っている。ソフトバンク発行のセンチの「公式ガイド」は去年の6月に高松で買っているし、メディアワークス発行のジャーニーの「完全アニメブック」は去年の11月に京都で買っている。
 その点から行けば、コミックアンソロジーをゲーマーズ秋葉原店で買うなんていうことは、完全な邪道である。水戸に行ったのだから水戸で買えばいいのである。しかし、それよりも「もう行けない・・・」という思いが、ゲーマーズで買おうと思わせたのだと思う。

駅に近づいて、ソフマップからずっと左手に持っていたソフトを背中の鞄の中に入れる。誰かにあって問いつめられたら嫌だったからである。

 「ゲーマーズも最後だな。実家の町にはないし・・・」

 階段の下でまんが喫茶のチラシを配る兄ちゃんを無視して階段を上る。

 階段を上ると左側はプライズゲームが並ぶ部屋、右側が店である。「よくここでキャラメ取ったっけな・・・」そう思いながら、ふと、左側を見たときであった。

 「あれぇ?」こっちを向いて、そういう人がいた。
 先日大根氏宅でジャーニー大会を一緒にした七海龍氏と斎藤杢之助氏であった。秋葉原でアポ無しで人にあったのは初めてである。彼らは4月24日の土曜日に送別OFFに参加してくれた人である。しかも七海氏は主催となってくれた人の一人である。「なんで猛者がいるんだよ。」それが彼らの二言目である。「え・・・いや・・・・」と手短に来た訳を話す。秋葉原に来た理由ははたまたまであるが、ゲーマーズスクエア店に来たのは「コミックアンソロジーを買いに来た。」ということである。彼は「わざわざそんな理由で来たのかよ!」とそれだけがクローズアップされてしまう。とにかく私はすぐに上野駅に行かねばならず、「とにかくちょっと買ってくるね。」とその場を離れる。時間もないし、買うものも決まっているのですぐにコミックアンソロジーを手にとってレジに並ぶ。今時消費税込みの値段でなかったので、ちょっと驚く。
 本を買ったしそれではと思ったのだが、今度はくるくる夏穂氏が来ている。七海氏は彼に「特別ゲストが来ている」と話したらしい。「何でいるんだ?」と聞かれることは一緒である。「もう北海道に帰ったもんだと思っていた。」。実際その通りである。私だって今朝までまた秋葉原に来るなんてこれっぽっちも思っていなかった。とにかくなぜゲーマーズにいるかは単純に言えば「コミックアンソロジー」なのである。とにかく手短に訳を話す。電車の時間が迫っている。私の乗ろうとしていた吾妻線大前行きは大前行き最終の一本前の電車であった。それを覚えていたので(仕方がない、最終にしようか)と思い、「ちょっと電車の時間を調べてくるから。必ず戻ってくる」と言って、秋葉原駅に行った。手持ちの東京圏時刻表では吾妻線の時刻まで載っていない。

 駅の大判時刻表で調べると、上野14時30の電車で間に合うことが解った。彼らとお昼を付き合うことぐらいは出来そうである。

 ゲーマーズに戻ってきた。
 すると、一団はさらに多くなっていた。ほゆ氏、獅子王氏、マチリンLOVE氏が来ていたのである。どうもOFF会の集合場所になっていたらしい。七海氏が「12時の集合時間になってそろそろかなと思っていたら、階段上ってくる音がして、『誰かな』と思って見たら猛者だもん、びっくりした」という。私だってびっくりした。
 お昼を食べることとなり移動。マクドナルドへ向かった。向かう途中で長老ことKOG氏と合流することとなった。彼は私がPC外であった3人目の人であり、私の属性に大きな影響を与えた人である。彼と会うのはこれが3回目である。
 KOG氏とも合流してマックへ行く。その途中でメンバーに電話が入り、きょうちゃんが来るという。きょうちゃんとはよく会っている。送別OFFの後にも2回会っている。会うと説明の付きにくい人である。

 食事中にきょうちゃんが階段を下りてやってきた。さっそく「何で猛者がいるんだ?」と聞かれる。私もここにいるのがよく解らない。そのあとほゆ氏が獅子王氏に渡すためのトレカを持ってきていたので、そのトレカを見たり、また貰ったりしながら話が進んだ。

 ここで私はセンチのトレカが4種類あることを教えて貰った。
 一種類目は、本当に初期のトレカで、ボックスデザインはゲームの絵に近いものが描かれているものである。カードには「初版」と書かれている。これは貴重なものであるらしい。
 二種類目は、このトレカの増刷版らしい。ボックスデザインはまったく同じで、カードには「第二版」と書かれている。カードデザインは同じである。
 三種類目は、グラフティと、ジャーニーが入った「トレーディングカードPart1」というやつである。ボックスデザインは水色系統で、滴が一滴落ちているという大変シンプルなものである。カードには「1st」と書かれている。
 四種類目は、グラフティと、ジャーニーが入った「トレーディングカードPart2」というやつである。ボックスデザインは緑系統で、葉っぱがデザインされているというものである。これは「Part1」の続きである。従ってカードには「1st」と書かれている。「Part1」の続きであるため、デザインは違う。四季カードで言えば、春と秋がPart1、夏と冬がPart2といった感じである。スペシャルカードもPart1が6種でPart2が6種である。
 さらに、Part1とPart2には「2nd」という第二版に当たるカードがある。

 ほかにもDXバージョンとかトランプトレカとかもあるのだが、ここでは省く。

 このカードを区別する方法がある。初版と第二版のカードは角が丸く切り落とされていないのである。角張っている。しかもデザインが微妙に違うのである。絵のデザインは初版・第二版と1stはほぼ同じである。いや、まったく同じと言ってもいい。しかし、一部カードにデザインの違いが見られる。下に第二版と1stのカードを並べてみたので比較して欲しい。微妙な違いがおわかり頂けるだろうか。
 


 

スプリングカード三種類の表と裏。左から「第二版」・「1st」(グラフティ)・「1st」(ジャーニー)
「第二版」と「1st」(グラフティ)は、表のデザインはまったく同じだが、裏の絵が違う。
「第二版」の表の上に書いてある文字「丸C(コピーライト)NECインターチャネル/マーカス」。
裏面の下に書いてある字も違う。「第二版」は「発売元:株式会社バンプレスト」と「1997 MADE IN JAPAN」。
「1st」は「丸C(コピーライト)マーカス」と「1998 MADE IN JAPAN」。ジャーニーは参考。
※コピーライトを表す丸CマークがシフトJISで出ませんので、表せません。あしからず。
 

 ちなみに初版・第二版にしかないデザインのカードもある。そのうち二つが、スナップカードと呼ばれるSN01から04の4枚と、パズルカードと呼ばれるPU01から09の9枚である。スペシャルカード(SPE01〜12)も1st・2ndとは違う。スペシャルカードは初版と第二版ででも違ってくるらしい。私はこのスペシャルカードは持っていないので詳しくは解らないが、裏面の特殊印刷(銀色の面)の輝きが微妙に違うそうである。デザインに共通性の高い初版・第二版と、1st・2ndであるが、カードの内容が違うのでリストカードの裏面デザインも変わってくる。しかもサマーカード(SU)に順番違いがある。初版・第二版はSU06が森井夏穂、SU11が山本るりかであるが、1st・2ndではSU06がるりか、11が夏穂になる。
 ちなみに違うのは裏のデザインだけで表は同じである。初版・第二版と1st・2ndで裏のデザインが違うのは、スプリングカード、サマーカード、ウィンターカード、リストカードである。、四季カードの中でもオータムカードだけは、その違いはMADE IN JAPANかマーカスかの違いだけのようである。

 基本的に初版・第二版はそれ独自のスナップカードとパズルカードだけあつめるという人が多いようである。

 ウィンターカードの違いを見つけて話していたが、KOG氏も「そこまでは知らなかった」と言うことでちょっとした発見だったようである。

 そんな話をマクドナルドの地下で繰り広げていた。

 14時を回り、マクドナルドを出た。私は「それでは、これで」と、ここで失礼しようとした。前述の通り吾妻線に乗りに行きたかったためである。
ところが、「ここまで出ておきながらそれはないだろう」と言われてしまった。しかもKOG氏に腕を掴まれてしまい、「ダメ」と言われた。腕まで掴まれてしまっては、なんともならない。吾妻線は諦めざるをえなくなってしまった。

 それから秋葉原を周る。歩行者天国をのんびりと歩く。途中メッセサンオーほか何店かに寄りながら、秋葉原では一番奥のゲーマーズスクエア店までやってきた。そこでKOG氏、センチのキャラクターメールコレクション(要するに”キャラメ”)を取るは取るは、もう取りまくっていた。そのうち「景品切れ」になってしまった。仕方がないので店員さんを呼んで景品を補充してもらう。景品を補充してそこで終わりかと思ったら、また取り出す。それにつられて私も一回する。200円でハズレ。それでやめるのはイヤなので再び200円でチャレンジ。今度は無事当たった。私だけではなくほかのメンバーもキャラメを取っていた。
 そのあと、コミットやK-BOOKSなどいつもおなじみの店を回った。

 秋葉原を回り尽くしたあと、みんな青二ミュージアムに行くのだという。そこで私が秋葉原からはバスが出ているとアドバイスを出して、バスに乗って青二ミュージアムに行くことになった。
 万世橋バス停で待つことしばし、新宿車庫行きの都営バスがやってきた。これに乗り込む。青二ミュージアムに行くには牛込北町のバス停で下りると、徒歩1分の近さで至極便利である。秋葉原から地下鉄で行くとなると日比谷線で茅場町から東西線で神楽坂か、末広町から銀座線日本橋で東西線神楽坂になる。東西線の神楽坂からは少し歩かなくてはならない。JRの場合は市ヶ谷まで来て、そこからバスに乗り換えるということになる。このバスだと牛込北町バス停のその真ん前が青二ミュージアムと大変便利である。しかし、JRとバスを乗り継がなくてはならない。
 秋葉原から青二ミュージアムと動く場合は、この新宿車庫行きのバスを使うことを奨める。

 
      ┌---┐      ↑
    →     |        |        |   新      |
 青二     |        |      │ 宿      |
 ミュー    |        |       |  車      |--------┐
 ジアム   |  ○  |        |  庫      | 7・イレブン|
(ビル1F)  |  ┴  |        |            |--------┘
 ------┴---┴---┘          └-------------
バス停新橋・市ヶ谷発 牛込北町       地下鉄神楽坂駅→
←JR市ヶ谷駅      交差点         (歩けます)
 ----------------┐           ┌--------------------
                             |           |
                             │   秋      |
   バス停    ○  |    葉      |                   西
   秋葉原発   ┴  |    原      |       南  北  
   新宿車庫行き  │   駅      |         東
        「牛込北町」      |    ↓      |  
 

 地図書くの難しーぞ!!!
 

 そうして、青二ミュージアムに到着。
 青二ミュージアムは、昨年ジャーニーオフィシャルサイトの掲示板で騒がれていたところである。私はそれを見て、8月に思わず会員になってしまった。私の会員番号は3桁である。
 声優さんのイベントがあったらしい。”限定”というマグカップとかTシャツとかストラップとかを売っていた。
 今日は店員さんになっているジュニア氏が「明日は鈴木麗子さんのイベントだよ。」と言うと晶属性の七海氏ときょうちゃんが俄然張り切る。イベントの参加は基本的にはハガキ抽選なのだが、諦めきれずに来た人達などのために少しは当日参加の分があるらしい。

 しばらく御邪魔して去る。去り際にジュニア氏が玄関まで出てきて、「明日待ってるよ」と声をかけてくれる。
 

 食事でもということになり、新宿に移動。まずはバスの着いた東口で飲み屋・食べ物屋問わずに探す。しかし、手頃なところがない。思わぬOFF会に引っかかった私は飲み会の費用まで財布になかった。今日はゴールデンウィークの5月2日であるためいつも使う郵便局のATMは閉まっている。私の使うD銀行も閉まっている。同じくお金が無くなってしまったというきょうちゃんとともに困った。彼のS銀行も閉まっていた。皆は「無人くんだ!」というが、そういうわけにも行かない。仕方がないので、新宿駅で初めてクレジットカードでお金を借りるという行為に踏み切った。
 皆で飲み屋を探したが、新宿西口にも手頃なところが無く、歌舞伎町に転進。移動中に三和銀行がゴールデンウィークでも開けていたのを見かけた。探した結果、歌舞伎町内の甘太郎というところに決まった。「食べ放題」らしい。
 店に入れる時間が7時40分からということで少し時間があった。その待ち時間を潰すためゲーセンに行く。皆いろいろなゲームをしていたようだが、私は基本的にアーケードゲームはしない上に、お金に余裕がないのでゲーセンの中でのんびりと時間を潰した。

 時間となり店内に移動。案内された席は掘り炬燵様式の席で座りやすい。並んだ机二つに別れて座ることとなった。メニューはしゃぶしゃぶとなり食べ放題スタート。机は並んでいるのになぜか皿の来る時間がずれた。あととなった机ではなぜかとなりの机に対抗心を燃やし(?)たようで、訳が分からなくなったりした。”しゃぶしゃぶ”のはずが”煮肉”となったようで、あく(灰汁)が大量に出た。あく取りの器も用意されていた。その”あく”を取るのは”あくにん(悪人)”こと斎藤殿であった(笑)。

 2時間後終了。参加者9人であったが10人で勘定されるミスがあり、それを訂正する一幕もあったりもした。

 新宿駅に移動。人が多いので、おなじみの”アレ”はしなかった。まずほゆ氏とここでお別れ、その後獅子王氏ともお別れとなった。
 JRメンバーは改札内に入る。きょうちゃんは真奈美トレカを渡したいから家に行こうと私を誘った。彼の家は駅から近い。私もトレカが欲しかったので行くこととした。そのためにはすぐにでも電車に乗らなければならなかったのだが、改札内に入ってから別れ際の楽しい話しが尽きず、結局最後のきょうちゃん宅訪問は取りやめとなった。22時45分頃、私も時間いっぱいとなった。これから日暮里駅まで山手線外回りで移動である。山手内回り組のKOG氏とマチラブ氏と別れた。外回り電車に乗ったメンバーもI駅で七海氏、斎藤氏が降りた。そして、O駅でくるくる氏、きょうちゃんが降りていって私一人になった。くるくる氏ときょうちゃんには別れ際に握手を求められ、私は頑張るぞと思いを新たにしたのだった。

 午前0時50分。気が付くと電車の中の乗客は数えるほどしかいなかった。23時12分上野発の最終の常磐線勝田行きに日暮里から私は乗った。日暮里から乗ったときは乗客がたくさんいて、4人掛けの席に一つ空席を見つけて座っていた私だが、もう誰もいない。
 午前1時5分、水戸に到着。下車。切符を記念にもらって改札を出る。歩道橋の下に置いておいた自転車は無事だった。ただ、「放置自転車はいけません」という札が付けられていた。
 夜明けまで約4時間ある。私は水戸から二つ隣の赤塚駅で駅寝をしようと思い、自転車を走らせた。ところが赤塚駅は閉まっていた。昨日の羽黒駅は運が良かったのかも知れない。それとも「常磐線」という本線格の駅だから閉まっているのか。
 仕方がないので途中で開いていたのを見つけていた「デニーズ」に行く。ここは24時間営業であった。軽くスパゲティとコーヒーを頼んだ。店の奥には若者たち8人ぐらいがいて、同じように夜明かしを企んでいるらしかった。食事を終えたあと、件の「コミックアンソロジー」を取り出し読む。漫画なので”読む”と言うよりは”見る”という感じで、あっけなく終わってしまった。過日1月に高松に行ったとき途中広島で買った小説「大石内蔵助」を持ってこなかったことを悔やんだ。その本はまだ途中であった。
 2時過ぎからまどろんだ。

 気が付くと時計は4時半になっていた。奥の席にいた若者たちは既にいない。この店は睡眠可らしい。おかわりのコーヒーを一杯頼んで飲む。その後勘定を済ませて店を出た。
 朝早い道を快調に進んでいく。再びの水戸駅前をそのまま通過して、大洗の方に行く道へと進む。大洗へ行く道は平らで真っ直ぐであった。途中、鹿島臨港鉄道大洗鹿島線の赤い列車が走っているのが見えた。
 苫小牧行きのフェリーの出る大洗港には7時前に到着。まだ乗船手続きは始まっていなかった。まもなくして開始。手続きを済ませる。自転車での乗船開始は8時かららしい。出航は9時である。
 建物の外に出ると、となりに停泊していた「さんふらわあおおあらい」が動き出していた。停泊岸壁から出航岸壁に移るらしい。フェリーの側面には大きな太陽(船名からすると”ひまわり”か?)が描かれている。どこかで見たような・・・!! そう!センチをやった人ならわかるはずである。いや、もしかしたらわからないかもしれないが。ゲームの中の交通手段として選択肢の中にある”フェリー”。その船の模様なのである。このフェリーはゲーム中で最も”使えない”交通手段である。一番お金がかかる上に、一番時間がかかる。週末の休みに使おうものなら、デートが出来ない上に、月曜遅刻間違い無しである。そのフェリーである。(こんな所でセンチな交通手段になるとはな・・・)そう思った。もちろんこれを狙ってフェリーにしたわけではない。

 時間があるのでコンビニに飲料や食料を買い出しに行く。その後フェリーの前で記念写真を撮った。記念写真とはいえ、三脚を持ってきているわけではない。被写体はフェリーと自転車とその上にのっかった「真奈美」である。
 8時になり乗船開始。小雨がぱらついてきた。まず自動車が乗り込む。その後バイク。ツーリングに行くのだろうか、大きなバイクが乗り込んでいった。その後50ccのバイク1台が続き、私のママチャリは一番後であった。自転車をこいで船の中に入る。なかなかこの大型フェリーの車両甲板に入ったことがあるという人は少ないのではないだろうか。バイクは指定された場所に止めて、ロープでしっかりと固定していたが、私の自転車は船員さんに「こっち」と案内されて別な場所に行った。「ここに寝かせておいて」と案内された場所は物置であった(笑)。船員さん用の自転車とかが止めてあった。もちろん今日の自転車乗船は私一台だけである。

 車両甲板から客室に行く。このフェリーは全席指定で、場所取りに奔走する必要はない。二等船室は船の中央部であった。要するに外が見えない。指定された場所に荷物をおきくつろぐ。しばらくして出航。外は雨である。デッキに出て外を見る。
 なんとこの船の出航にはタグボートが必要であった。押したり引っ張ったりする補助汽船である。昔青函連絡船に乗船したときにこのタグボートの世話になっているのを見たことがあるが、それ以外は記憶にない。東日本フェリーや新日本海フェリーの長距離航路に乗船したことも何回かあるが、その時も見たことはなかった。今の船は横向きのスクリューが着いているので、岸壁から離れて出航、着岸するまで自分一人で出来るのである。しかし、この船は出来なかった。タグボート「鹿島3号」に引っ張られてようやく向きを変えて出航した。
 外は雨。船内を見て回る。しかし、このフェリーは長距離航路としてはあまりよくない。ゲームコーナーも狭い。ラウンジも小さい。暇つぶしに良いものが全くないのである。普通フェリーには現在の本船の位置がわかるような案内板(何キロかおきにランプがついていくもの)があるのだが、この船にはなかった。しかもこの”さんふらわあおおあらい”の主要諸元表みたいなものもなかった。以前京都府の舞鶴から北海道の小樽までの新日本海フェリーの長距離航路(28時間40分、二晩!)に二回ほど乗船したことがあるが、そのフェリー”フェリーらいらっく”にはゆったりとして大きなラウンジ、明るいゲームコーナー、2カ所でしている映画放送があったが、この船にはそのような設備がないのである。
 外は小雨が降ったりやんだりの天気である。このまま自転車で仙台に向かわなくてよかった。雨では動けない。

 雨がやんでいる頃合いを見計らって、後部甲板で記念写真を撮ることにした。被写体は、そう「真奈美」。「彼女」の写真を撮るのは2回目である。手すりに寄りかかってもらって写真を撮ったが、海に落っこちないかとヒヤヒヤものであった(爆)
 いかにして暇を潰そうかと思っていたが、午後2時過ぎから食堂でビンゴ大会をするという。暇なのでいってみる。勝ち抜けた人には賞品が当たる方式で、最初に勝ち抜けた人にはずいぶん大きな賞品が当たっていた。私も最後の方になって当たった。もらったのは売店で70円で売っていたポストカード1枚であった。
 そのあと食堂で洋画の上映があり、それも見る。

 洋画も終わって、件の小さなラウンジに行く。ラウンジのテレビでは衛星放送を流していた。「BS2」・・・。(そうだ!)ここで私はふと思い出した。それは午後6時からの「衛生アニメ劇場」の「カードキャプターさくら」を見ることである。「CCさくら」についてはセンチを知る一年前に知り、ちょっとだけハマっていた(コミックは8巻まで持っています)。それ以来、衛生第2放送が受信できるテレビを見るといつも考えていた。今日は何を隠そう「さくら」の放送日火曜日ではないか!!よし!見よう!!(笑)
 ところが、午後5時30から「夕食の時間です」と放送がかかった。夕食はバイキングスタイルで大人1600円である。高い。このフェリーの夕食はそれしかない。前述の新日本海フェリーはメニューが豊富だった。しかも案内所で営業時間を訊くと「お客様の数によって、45分ぐらいで閉めることもあります。」という。短い。新日本海フェリーはもっと長かったはずだ。昼食もあったのだが、値段の高さで諦めていたので、夕食は食べたい。しかし、せっかくの「さくら」が見られなくなる可能性がある。
 それでも食欲には勝てず、高い夕食を食べた。バイキングなのでお腹いっぱい食べることが出来た。
 そのあとまた件のラウンジに行ってみる。衛生第2放送が流れていたが、ゴールデンウィークスペシャルなのかアニメはやっておらず、ちっちゃなおこちゃまがたがたくさん集まって似顔絵大会みたいなのをやっていた。内心ほっとしたのと残念だったのとで複雑な気持ちだった。しかも、ラウンジにいた他の客が「つまらないね」と勝手にチャンネルを変えやがった(笑)。
 新日本海フェリーであれば、テレビが複数台あってチャンネルが固定式なのでこんな時いいよなぁとつくづく思った。

 (新日本海フェリーとの比較がいたる所で出てきますが、昨年の8月に舞鶴から乗ったときは本当によかったんです。その時は晴れていて、後部甲板のベンチでセンチの小説(その時の旅の途中で第2巻を長崎、第1巻を京都で購入)をゆっくりよんだり、ミニ映画室でバックスバニーの映画を見たり、先頭ラウンジで「うなぎ」(役所こうじ主演の映画)を見たりと、すごい楽しかったんです。新日本海フェリーは個人的にお奨めです。)

 お腹がいっぱいなので自席に戻り、横になった。

 気が付くと船内は消灯されていた。午後8時までの入浴時間が終わっていた。仕方がないので24時間開いているというシャワー室でシャワーを浴びた。

 その後また寝る。

 午前2時に目が覚めた。夜遅いのだが(夜遅くないとダメという説も・・・)、「真奈美」を連れてラウンジに行く。3枚目の記念写真「ラウンジでくつろぐ真奈美」を撮りたかったのだが、深夜なのにラウンジに客がいた。これでは写真が撮れない。仕方がないので椅子に座って様子を見る。すると、皆眠れないのだろうか?お客が減ることなく増えてきた。残念だが諦めて、自席に戻りまた寝た。

 午前5時前、まもなく苫小牧港着岸との船内放送がかかる。洗顔を済ませて到着を待つ。外は小雨が降っている。定刻に着岸。自転車の私は車両甲板に行く。はじっこの物置から自転車を引っぱり出して、車両甲板を走って船の舳先から外に出た。乗船時には車が先であったが、車は2階の車両甲板に上がっているため、1階のバイク、自転車が先であった。1階の車両甲板には一台だけトレーラーが止まっていた。荷台のシートにはこのフェリーの現社名「ブルーハイウェイライン」ではなく旧社名「日本沿海フェリー」と書いてあり、撃たれた。

 舳先から出ると外はやはり雨であった。

 仕方がないので、フェリーターミナルの建物の脇に止めて、待合室に逃げ込む。
 
 雨はさらにひどくなり時々横殴りの土砂降りになった。ここまで来れば札幌行きの高速バスも出ている。高速バスの床下の荷物置き場に自転車を入れてもらうように頼もうかとも考えた。しかし、折り畳みではないママチャリはやっぱり無理だろうと考えた。苫小牧駅まで行けば、札幌まで電車が出ている。電車の中にママチャリを持ち込んだという人の話を出発前に聞いてはいたのだが、にわかには信じがたい。しかし、外は雨が降っている。諦めて、待合室のベンチで寝た。
 気が付くと到着時にはいなかった東日本フェリーの八戸航路の船「べが」が停泊していた。雨はまだ降っている。また寝る。
 次に気が付くと東日本フェリーは既にいなかった。また八戸に向かって出航していったのである。そのかわり太平洋フェリーの船「きたかみ」が停泊していた。これは名古屋から仙台を経由してきた船である。名古屋は「山本るりか」の街だが、その時はそんなことは考えなかった。まだ頭が寝ていたのかもしれない。雨はまだ降っているので、また寝る。
 今度気が付いたときには、太平洋フェリーの「きたかみ」はいなかった。また名古屋に向けて出航していったのだろうか? そればかりではなく、私が乗ってきたブルーハイウェイラインの「さんふらわあおおあらい」もいなかった。また大洗に向けて出航してしまったのだろう。
 朝は営業していなかった軽食屋が営業していたので、そばを食べる。雨はやんだようである。
 そばを食べてから、出発。テレビでは「ごきげんよう」が始まったところだったので午後1時過ぎだろう。

 しばらくは小雨が降っていたが、完全にやんだ。進路を国道36号に取り札幌を目指す。
 いつも通り、途中のコンビニで休憩をとりながら国道36号をひた走る。確実に本州とは風景が違う。開発されていない原野が広がっているのである。本州ではだいたいが田んぼであった。この苫小牧のあたりは白鳥の飛来する湖もある湿原が多く、本州では高原に行かないと見ることのできない水芭蕉も咲いている。
 苫小牧をすぎて、千歳市内に入る。ここら辺で午後2時から3時くらいである。飛行場を見ながら千歳市街を通過、恵庭市に入る。国道は恵庭市街を避けるバイパスがあるが、私は旧道を進む。どうにも本州とは違う風景を見ながら、北広島市に入る。本当は雨の都合や体力の都合を考えて恵庭か北広島に自転車をおいて、出直しをしようかとも思ったのだが、何とかいけそうだ。
 そうしてついに午後5時47分。札幌市清田区に入った。札幌に入ったということで重かったペダルが俄然軽くなった。(ペダルが軽くなったとか書いたら、「ほのかに浮気したからだ〜!!」とか言われるんだろうな・・・)と思いながら自転車を走らせる。自転車で帰ると決めたときからこの紀行文は書くことを決めていた。

 国道36号線札幌市清田区内を走行中、私の目の前にとても懐かしい店が飛び込んできた。その店とは「めしのはんだや」!! 仙台に本拠地を持つ「食堂」である。見たときに「おぉぉぉぉ!!!」と本当にびっくりした。この食堂「めしのはんだや」は私にとって2回目のOFF参加となる「仙台えみる光のページェントOFF」で初めて入ったという思い出深い店である。その時の参加者はManamist氏を始め、田中氏、BAI氏、まな氏、MAX氏、葉月かしす氏、飛鳥詠氏、Cooky氏といったそうそうたるメンバーの方々であった。帰りは東京に帰る車に乗せてもらい、仙台から途中2回休憩で4時間で帰ってきた、しかもどこかでカメラを無くしたという楽しくも悲しいOFFであった。そのとき「めしのはんだや愛宕橋店」に入って以来である。私は懐かしかったことと、お腹が空いていたこともあってさっそく入った。
 この「めしのはんだや」はおかずを自分で選ぶ方式の「食堂」である。ボリュームがあって値段が安いのが特徴である。めしの大きさの種類が面白く、「大」とメニューにはあるのだが、「多すぎて食べられません」となっているのだ。
 適当におかずを選び、小めしを頼む。食べながら店内を見てみると、どうも今日開店したらしい。花輪が飾られているし、店内の壁に貼ってあるチラシにも5月5日オープン!と書いてある。そんなとき壁にくっついてある文字に気が付いた。「貸借は友を失う。ゲーテ」・・・。ふと、ある友人を思いだした。

 お腹いっぱいになって、再び国道36号線を走る。そうして、札幌市営地下鉄東豊線福住駅に着いた。ここで、腰に付けっぱなしだった携帯電話を取り出してみる。すると「チャクシンアリ」と表示されていた。見てみるとbeat氏であった。さっそくかけて見たが、繋がらない。仕方がないので再びこぎ出す。しばらく行くと携帯がなった。ちょうど豊平郵便局の前で、かけてきたのはbeat氏だった。5月9日の花見OFFについての電話だった。
 そうして、ついに豊平川をわたって中央区にはいる。すすきのの交差点を右折して、狸小路、大通公園を横断。北一条交差点で国道36号線の旅は終了した。
 そこからしばらくさらにこいで無事に家に到着(ここから先を細かく書くと住所が特定されてしまうので書きません。あしからず)。着いたのは・・・何時だっけ?忘れてしまいました。

 ほんとうは”仙台”に行って「はてしない物語」になるはずだった北星の自転車紀行は、突然と大洗に変更になったために、「そんなにはてしなくもない物語」になってしまいました。かといって私が”札幌”だからといって「ほのかな恋の物語」になるかといえば、やっぱりそういうことも起きないのでした。チャンチャン!