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高井さやかさん、583系に乗る(その2)
〜センチの主人公を地で行くような強行軍〜

大阪に行った二週間後、又出かけた。

大阪編で書いたとおり、今度は「サークルの貸切列車」である。都合で復路のみの参加だ。

貸切列車の詳細は、サークルの30周年を記念して583系という特急電車を上野−仙台往復で走らせる。往路は東北線、復路は常磐線。というのもであったが、どう考えても30周年でと言うのは名目上で、全てこの旅にスーパーバイザーとして参加したW氏の「お遊び」であった気がする。

その貸切企画の復路だけの参加である。大阪編でもチラッと書いたが、この往路の上野発は午前9:11で、千歳からの始発の飛行機で飛んでも9:30の為間に合わない!と考えたのが、17日休みのシフトを選んだ理由である。仙台発なら午前11:54発で、千歳からの飛行機でも間に合うであろう。

そう考えたのだが、これは大きな誤算であった。なんと仙台行きの飛行機の始発が、9:55で、仙台空港着が11:05! 空港からバスで仙台駅までが40分! すぐには出ないだろうから、間に合わない!!
仙台空港最寄のJR駅が館腰といい、そこから電車で仙台駅に行ける。時間を見ると11:54に間に合うのが、なんと11:19!! 空港着からわずかに14分しかない。航空時刻表の案内を見ると、仙台空港からタクシーで館腰駅まで12分かかると書いてあるではないですか! それってムリって話!? 

それでもとにかく行ってみる事にした。

17日は午前3時過ぎまで仕事であった。会社からタクシーで帰宅したのが午前4時。もう少し遅かったら寝ないですぐに出かけようか、とか、もっともっと遅かったら会社からそのまままっすぐ空港に行こうかとか思っていたのだが、半端な時間に帰ってきてしまった。仕方がないのでそのまま6時まで寝ることにした。

起きたら7時ではないですか! 半分だけ寝過ごした。身支度を整えてバスで最寄の地下鉄駅へ向かう。そこから新千歳空港行きの直行高速バスに乗り換えた。高速バスの発車時間が判らなかったのだが、駅に着くと丁度バスを待っている人が集まっている状態で、5分程度待っただけでバスが着た。

8時10分、定時の発車であった。そこから高速道路を通り9時7分、新千歳空港に着いた。「所要60分」となっていたので3分の早着ではあるが、ほぼ時刻通りと見ていいだろう。

ゆっくりと自動発券機でチケットを購入する。なるべく早く仙台空港で降りたいので前の席を希望したが、15Aより前はなかった。朝ご飯を食べたかったのだが、手頃な軽食を出す店がなかった。羽田であれば、ゲート内にもレストランがあるのだが、新千歳にはそのようなものがないのは、2週間前に飛行機に乗ったときに見た。

見当たらなかったので、ゲートを通過して中に入る。結局大阪に行った時と同じ売店でサンドイッチを買って飛行機に乗り込んだ。

飛行機に乗る前に携帯の電源を切る。一応マナーである。しかし、いつも旅行に行く時は着けている腕時計「杉原真奈美プレシャスウォッチ」(池袋のK-BOOKSで購入。購入当時は付属のテレカも付いていないのに18kした)を今回は着けて来ていない。ということで携帯の電源を切ると時間がわからなくなった。

多分定時に出発。苫小牧上空を抜けたが、やっぱり大阪よりは東の上空を飛んでいる。
そのうち雲の上に出てしまい下界が見えなくなった。

下界が見え出したのは、気仙沼上空辺りからである。下を見る時は必ず線路を探すのだが、やっぱり細い線路が伸びている。その線路を辿っていくと、あっちから来た線路と合流している。そこにごくごく小さな街があった。多分気仙沼線と石巻線の分岐駅前谷地であろう。そう見ると、向こうの市街地は石巻か?その先は女川?内陸から海岸線に出てくる。先ほどの駅が前谷地で間違いなければ、海岸線には仙石線が走っているはず。あぁ、あの線路かな?すると松島は・・・と思っているうちに海の上に出てしまった。どうも松島のずばり真上を飛んでいたようだ。仙台湾上空を通過する。ふと、あの雲の向こうはアメリカか・・・などとヘンな事を考えた。座席はキャビンアテンダントさんに頼んで、途中から1Aにしてもらった。

私の座った席は左窓であったため、仙台市内は見えない。高度300マイルで青葉山を越えて萩の月を目指す物体を見ることも出来なかった(謎)

「まもなく着陸です」

順調な飛行を続け、キャビンアテンダントさんも着席。もうすぐ到着かと思われたが、飛行機は意に反して海の上に出る。どんどん陸が遠くなっていくではないですか! しかも飛行機のエンジン音が高くなったり低くなったり・・・これって上空待機!?なんか着陸許可してもらえないの?それってヤヴァいぢゃん・・・。

「仙台空港には定刻の到着予定です」と離陸後に放送がかかっていたので、これって遅れるってことですか!? 私の頭の中にはいつの間にかhitomiの「Is it you?」がかかり始めていた。去年、岐阜と長崎に旅行した時に羽田空港着陸直前にかかっていた機内音楽サービスの曲である。をゐをゐ、それってやっぱりヤヴァいってことぢゃん! あの時は東京在住のサークル後輩G氏が、車で横浜まで走ってくれた為に間に合ったと言う奇跡みたいな事が起こったけど・・・。

窓の下を全日空機が飛んでいく。まっすぐ陸に向かっているところを見ると、どうもコイツを先に通す為に待たされていた感じだ。コノヤロウ!

その後我々の飛行機も向きを変え最終の着陸態勢に入った。
 

仙台空港にようやく着陸。ドアを開ける直前に「仙台空港に定時の到着です。飛行機の定刻運航に御協力いただきありがとうございました。」と放送がかかった。定時!? こっそりと携帯の電源を入れてみる。出てきた時刻は10:58であった。

すごいぢゃないですか!7分の早着! それでも走って急いで制限ゾーンを抜ける。まっすぐターミナルビルを抜けると前にタクシーが止まっていた。が、それは黒塗りのベンツのタクシーである。なんか高そう・・・。ということで、離れたところに停まっていた白塗りのタクシーらしき方向に走った。しかし、途中で「ベンツもいいな」と考えて、また走って戻る。運転手さんに恭しく迎えられ、恐縮する。「館腰駅まで。近いですが。」と告げる。運転手さんは白髪頭のおじいさんであったが、ハンドルの脇に「うる星やつら」のラムちゃんのキーホルダーがかかっており珍妙である。運転手さんと色々話した。運転席の脇には宮城県地図が置かれて遠距離のお客さんも多い事を匂わせる。「すいません、近くて。」と恐縮すると、「運ですから。」と答えてくれた。さすがにベンツは大きくてゆったりしていたが、信号待ちのときに起きるエンジンから来る微妙な振動が心地良くなかった。

道路が空いていたので、館腰駅に余裕で到着。「2,040円です」と言われた値段にびっくりした。さすが大型車である。1,000円ちょっとだろうと踏んでいたのが大きな出費になった。間に合いそうもなかった場合仙台駅まで向かう事になっただろうが、小型車5,000円と書かれていたので、ベンツなら1.5倍くらいかかりそうだ。

いやぁ、間に合った間に合った!! 5割くらいの確率で間に合わないと考えていたのだが、間に合った。良かった、良かった。

小さな発券窓口が下りホーム上にあるだけの館腰駅で電車を待つ。仙台方からED75重連のコンテナ貨物がやってきたので写真に取ろうとデジカメを取り出したが、充電池を入れてくるのを忘れた(爆) 単三乾電池でも対応できるタイプだが、35mmカメラも持ってきているので今回はそっちを使うことにした。しかしフィルムが入っていない。仙台で買わなくてはならない。

そのうち電車がやってきた。701系の4連。かなりたくさんの人が乗っている。押されながら乗り込む。以前は455系の3連とか、715系の4連とかが走っていた区間だが、この人数はデッキ付きの455系や715系ではさばききれないと思う。

先頭から乗り込んだので前面展望が出来る。次の名取駅のホーム端にはカメラを構えたマニアが二人いた。それを見て「なんだ!? リバイバル列車でも来るのか?」と独り言を発するマニアが車内にいた。

私はこのとき初めて「走って良かった!」と思った。それまでそんなになんとも思っていなかったが、このカメラマン二人と、独り言マニアを見て、心から走ってよかったと思った。

電車は満員の状態なので車掌が放送で「次の電車はすぐ来ます。次の電車をご利用ください」と言う。をゐ車掌!ウソをつくな!次の電車は20分以上後ぢゃないか! 次の電車に乗ったら貸切電車に乗れなくなるのである。
 

長町駅でもカメラで狙う人がいた。

仙台着直前に「白石駅での列車連結作業不具合により電車遅れましたことお詫びします。」と放送がかかってどきっとした。乗車時刻を確認していなかったので、てっきり定時に走っているものだとばかり思っていた。

仙台駅に降りた時にホームの時計を確認すると11:35で、別に遅れていることはなかった。「驚かすんぢゃねぇ!」と心の中で思った。

我が「N大新鉄道研究会30周年記念列車」発車まで19分ある。ヨドバシカメラが東口すぐのところにあるのでフィルムを買おうと東口から出ようとしたが、東側には仙石線用の通路があるだけで下車できない。仕方がないので中央口から抜けようとしたが、自動改札工事の真っ最中で、大混雑である。なんとか抜けると、改札脇に先輩M1氏発見! この先輩M1氏、当新鉄研にアニメを持ち込んだ張本人ではないかとされる方で、声優K府田嬢のファンらしい。氏を微妙に追いかけているうちに、私がTV東京の深夜アニメをなんとなく見るようになり、その流れでたまたま見た「センチメンタルジャーニー」にはまったのである。氏がいなければサークルの流れは確実に変わっており、私がセンチにはまる事はなかった気もするが、この論法はかなりこじつけみたいな気もする。

とにかく氏のもとに寄る。今夏の湾岸以来の再会。挨拶を交わすとそのまま改札内に入れられた。ヨドバシカメラには行けなくなった。改札内のコンビニキオスク前には後輩S1氏がいた。このS1氏もアニメには詳しく、アニメ主題歌をよく歌う歌手O井嬢のファンである。

S1氏とも再会を祝す。

そのうち、事務局員となったサークルメンバーがプラカードを掲げて一般参加の方々を引率して改札内に入ってきた。今夏の湾岸で会った一部の方以外は、4月の日本一周の時以来であり、そこでも会わなかった方々は昨年11月の学祭以来となるのだから懐かしい。仙台から上野まで常磐線経由6時間という旅になるが、車内販売が会社と交渉の結果乗らなくなったので、ドリンクや菓子をコンビニキオスクで買い込み私もホームに降りた。

ホームには583系電車9連が横付けされ、続々と参加者が乗り込んでゆく。私も事務局員として、指定された6号車へと向かう。

指定された席に向かうとあちこちから声を掛けられた。「よく間に合ったね。間に合わないと思ってたよ。」と開口一番言われたのは同輩のF1氏である。取りまとめ役の事務局長で、今回かなり苦労した人の一人だと思う。皆さんと再会を祝し、F1氏から名札を貰い、STAFF腕章を受け取る。腕章は落ちそうになかったので腕に通すだけにした。S1氏の友人でT大OBのM2氏が「函館からS2氏が来てる」とのことでホームに降りる。こちらのS2氏は、M2氏の友人で、函館在住。私が前職時代に函館出張した折に行った先でスタッフとして参加していたという仕事でも繋がった友人である。M2氏と共にホームに降りた瞬間に腕から腕章が外れた。あろうことか腕章は583系とホームの間に落ちていった。

「あ゜あ゜!!」

あまりにも早い事だった。腕章は既に見えない。取ろうにも電車がいるので不可能。それでもって私はこの電車に乗らなければならないのでどうしようもなかった。そばに先輩M1氏がいたので「どどどどうしよう・・・」と話したが、「知らない」と一秒で却下された。

困ったと思う時間もなく発車ベルが鳴り出したので、函館のS2氏に会う事も出来ぬまま再び乗り込む。仙台駅の583系の写真すら撮れなかった。

ホームにいる人たちに見送られ、電車はゆっくりと仙台を離れる。函館のS2氏は見つけられなかった。

「写真が撮れなかったよ。」と言うと、皆異口同音「俺もだよ」と言う。そりゃそうだ、私たちはスタッフで、そんな暇はないのである。しかし、「行きの福島駅で時間があったから写真を撮った」そうで、私はとても悔しかった。

落ち着く暇もなく6号車の前では弁当の仕分けが始まる。車内販売は乗らないが、弁当は仙台駅弁「こばやし」の中からリストアップしたものを事前に乗客に提示して希望を取り、積み込んでいる。弁当配りのスタッフの手元には席番割り当てのリスト表と、弁当申し込みのリスト表があり、そのリストを元に号車別に仕分けしていく。ここら辺の手際の良さはさすがとしか言い様がない。やはり200名の乗客を募集して9両編成の電車を本当に走らせてしまうのだから、単純に「懐かしの〜」に乗るだけとは訳が違う。

最初は往復参加で当日スタッフにもなっていたのだが、仕事を始めた結果、参加が微妙になったので弁当スタッフから私は外れていた。しかし、8号車のお手伝いとしてお茶を配る。その後はスタッフが手際よく配ったので私は何もする事がなかった。

そのうち戻ってきたスタッフの元にも弁当が配られる。

和やかムードの中弁当が配られてとりあえずの落ち着きを見せたので自席に戻る。割り当てA席の隣りD席に後輩U氏が居たのでB席に呼び寄せる。U氏も声優H原嬢(結婚したが)のファンであったが、最近は辞めてしまった。近況などを聞く。

私は目の前にある「あっちっち炭焼き牛タン弁当」を食べる事にしてヒモをひく。ヒモをひく事によって発熱材が化学反応を起こして発熱、上に乗っかっている弁当を温めるという仕組みである。栃木在住の後輩N氏は「車内放送で『皆様、牛タン弁当のヒモを合図と同時にひいてください』って流したらどうでしょう?」と愉快な事を言う。

「すると電車の中から一斉に煙が出てくるんです。それを見て防護無線が発報されるんです。電車が止まっちゃって。その後、『今の煙はあっちっち炭焼き牛タン弁当の煙でした』って解除されるんです」

周辺爆笑。

「それが原因でこばやしは営業停止になるんです。そうしたら『こばやしを潰した鉄研』って名前が残ります」

いやな残り方である。

黄色いヒモをひくと化学反応の音がしだして、か細い蒸気が上がってきた。とてもぢゃないが電車を止められる蒸気ではない。しかもすぐに消えてしまった。

「まだおなかが空いていません」と言うU氏の隣で「あっちっち炭焼き牛タン弁当」を食べる。私はどうしてもこの「あっちっち」が大阪で買ったゲーム「R」を思い出させてならなかった。

その後、U氏も食べ始める。通路を挟んだC席では、U氏と同輩の、後輩O氏がやはり牛タンを食べ始める。O氏もかなり鉄分の濃い人だが、私が行きそびれたファミレス「B」の日野橋店に行ったそうで、その点かなりのつわものである。

前述のスーパーバイザー先輩W氏が車掌の所に案内放送用マイクの獲得に動く。めでたく許可が貰えて、団体列車ならではの放送が始まった。放送担当は本物の車掌としても活躍しているK1氏である。団体列車ならでは、と言っても「国鉄時代の再現」を目指した企画なので、この列車は「特別急行みちのく号」であり、停車駅は「いわき」ではなく「平」である。JRなら途中駅にも本当に停まって客扱いをするし、「誤乗防止」とかで「平」という案内放送は出来ないであろう。ノンストップで走る特定団体集客の臨時列車であり、鉄道趣味団体の企画だからこそ出来る芸当である。国鉄時代にこの列車に乗ったことのない私でもとても懐かしさを想わせて、大変よかった。後にも「放送がとてもよかった」という感想も届いたほどである。

その頃、放送を担当したK1氏が愉快な検札を始めた。前の席から車内に聞こえる大きな声で冗談半分に出される様々な切符に愉快な対応をしていく。これは面白すぎた。彼もつわものである。彼は後ろの方に来ると「疲れた」と言って検札が簡単になっていくが、これをサービスでやったらかなりウケルのではないかと思う。冗談がわかる人には、だろうが。

車内はかなり暑かった。熱気がこもっている感じだ。北海道スタイルで来ていた私は、電車に乗ってすぐにコートを脱ぎ、トレーナーも脱いでいたがまだ暑い。「暑い」と思うのは皆同じようで、W氏が車内換気をしようと努めていたがなかなか涼しくならない。冷房を入れるわけにもいかなさそうだ。

そのうちトンネルに入ると急に車内に涼しい空気が流れてきた。抜けると風が止む。W氏が「どうだった?」と戻ってくる。車掌の監視窓を開けてそこから空気を導風路に取り入れていたようだ。

U氏が「そう言えば、A1さんが電車を持ってきていましたよ。」と話す。先輩A1氏はサークル当時保守本流を走っていた人であったが、前述の先輩M1氏と同期であった為かいつの間にかA1氏も声優K府田嬢のファンになっていたと言う強い方である。

A1氏に頼んでいたのはKATOラウンドハウスの鉄道模型「103系仙石線タイプ」である。4月くらいに依頼した物であったが、会う機会がなかったのでここまで引っ張ってきてしまった。8月の湾岸でA1氏に会ったが、私も湾岸に行くとは伝えていなかったのでブツの引渡しはなかった。

ここでA1氏から電車を受け取る。文字通り「松島に行った103系」である。A1氏は前日松島に宿泊している。103系は私の好きな電車の一形式だが、好きなのはこの「4両編成」である。

103系と一緒にまた別な物も受け取る。これは現金授受もある。ダンボールに挟まれたこの物体こそこの紀行文のタイトルの所以である。「湾岸で買ってきた」というテレカと、おまけで付いてきた団扇である。私は小さく開けて内容を確認した。

最初は目の前の机の上に鎮座していたりしたが、そのうち「これ団扇にちょうどいいや」とばかりにダンボールの隙間から団扇の持ち手だけ覗かせながらダンボールごと扇ぎだした。団扇の持ち手をもっているが、扇の部分はダンボールと言う奇妙な形。重いが結構涼しい。そのままU氏と話を続ける。さらに途中通りがかった後輩H氏を捕まえる。H氏は旅が好きな人で、かなりあちこちを旅している。その旅は結構つわものである。様々な切符や列車を駆使しながらする旅は日程にも余裕があることが多く、観光地もよく周っているようで凄い。

そんなH氏を捕まえたのは、氏が1月1日の全日空一日乗り放題の7区間予約をしたからで、その方法に興味があった。氏から話を聞いていると前席に座っていたK2氏が身を乗り出してきた。このK2氏はW氏の古くからの友人のようである。鉄道と共に飛行機も好きなW氏と共に「9レグはどうなった」と話している。「9レグ」とは「9区間乗り継ぎ」のことで、一日乗り放題で出来る最大区間数である。9区間に及ばないもののH氏の7区間も凄い数である。行程は「羽田−函館−丘珠−オホーツク紋別−東京−福岡−沖縄−東京」でかなりバランスよく乗っているよく考えられたスケジュールだと思う。

予約の方法や、全日空の「一日乗り放題対策」の事等について話す。H氏によると様々な「一日乗り放題」の問題が全日空内でぜんぜん決まっていないということである。12月1日の最初の乗り放題の結果如何によっては3月1日に計画されている乗り放題がなくなる可能性もあると言う事である。

なぜ12月1日は乗らないの?と訊くと「いやぁ、甘く見ていました」と返事が返ってきた。
 
 

そのうち、ダンボールごと扇ぐのが面倒になる。

「別にいいや」

とばかりダンボールを外すと、現れたのは愛沢ともみちゃんであった。

「テレカ」というのはPiaキャロットへようこそ!!3のテレカで4号店前に女性スタッフ全員がそろっている絵柄。これが50度数で1,500円したらしい。「中古屋で4,000円の値がついていた」という話もあるそうだ.

「団扇」はPiaキャロットへようこそ!!3の団扇である。表にはタイトル文字のみ書かれていて、裏は水着姿の愛沢ともみちゃんである。タイトル文字の下にはNECインターチャネルのロゴがあり、それがコンシューマー機向けの製品の販促である事がわかる。

デザインが愛沢ともみちゃんであったことは残念であった。高井さんぢゃなかった・・・。本当はここで高井さんグッズが増えて合流すると踏んでいたのである。

合流

すなわち、私は札幌から前回「高井さやかさん583系に乗るその1」で写真に収まったかもめカード、テレカ他を持ってきていたのである。

愛沢ともみちゃんの団扇が表に出てしまえば別にそれ以上隠す事もなくなり、早速出番を待っていた高井さやかさんのかもめカードが583系の窓辺に置かれて写真に収まる。急行「あおもり」のモハネ583で撮られた後は、特急「みちのく」のサロ581で撮られると言うのは、濃すぎるかもめカードである。

その後も手持ち無沙汰の私は愛沢ともみちゃんを右手で振りつづけながらU氏と話していた。

大甕では日立電鉄の車両が見えた。日立電鉄は新型車両に置き換わる直前に一度だけ行った事がある。

この大甕を過ぎた辺りでW氏から突然「8号車が昭和44年製の車両で原型の面影があるんだ。見に行かないか?」と誘われた。なんだかよく判らないがとにかく行く事にした。となりのU氏はついて来なかった。

行った先の8号車で突然人を紹介された。W氏の行きつけらしい「池袋のおでん屋の主人」である。「そういう魂胆だったのか」と気が付いた時既に晩しで、ぎこちなく挨拶する。そのぎこちなさを見て主人に「宣伝部長なのに覇気がないなぁ」と言われた。「宣伝部長」と言うのは今回の貸切で私に与えられた役職で、仕事内容は鉄道各誌への募集告知掲載の依頼であった。高校時代から雑誌「鉄道ファン」にたまに記事を投稿したりしていた為で、大学時代も小さな貸切列車を走らせたときに記事を送った事がある。それを買われての仕事であったと思うが、その記事を送った以外に宣伝活動はしておらず、役職だけが歩いている気がする。もとより「宣伝部員」はいない。今回のスタッフは全て部長クラスの役職がついているのだ。そこで焼酎を飲みながら色々な話を聞く。W氏はこういう風に人を引っ張ってくるのだから本当に強い人である。

話をしながら周りを見てみると、本当に皆楽しそうである。並んだボックスで話を咲かせる主人を中心とした一団も、その前のボックスのメンバーも。歩いてきた車内でも皆賑やかに楽しそうに過ごしていたのがとても印象的であった。このメンバー全員が、私達の「30周年」という企画に参加してくれているのだと思うと本当に嬉しくなった。それと共に、このメンバーを集めた事務局メンバーを凄いと思った。「定員の半数程度しか募集しませんのでゆったりと乗車できます」という謳い文句は、直前のJRの指導で「3両締め切り」と、キツクなってしまったが、それを感じさせないゆったりとした雰囲気であった。それこそ国鉄当時の賑やかな車内を思わせるような・・・。

電車は駅に滑り込んで停車した。少し大きめな駅だったので勝田駅だろうか? 隣りに415系の普通電車が止まっていたが、主人の席の目の前に丁度その運転台が来た。するとどうだろう、運転台に居るのは二人の若い女性ではないですか。「女性運転士と車掌だ!」と車内から声が上がり皆が集まる。こちらはアルコールが入っていることも手伝いガラス越しに手を振ったりする。窓越しの二人も照れながら手を振り返してくれる。それをいいことにさらに手を振ると二人は顔を見合わせて笑い、ニコニコと手を振り返す。アルコールが入っていたとはいえ、私の目から見てもかなり可愛かった。

「男は、女性の制服姿を好きになるものだよねぇ。」とは主人。
「これで水戸支社の女性運転手の採用基準がわかったね。」とはW氏。

そこに事務局長F1氏登場!ってF1氏タイミング良過ぎ。「見に来たんでしょぉ〜?」と言うと、「いや、水戸駅のドア番で・・・」と笑いながら話す。

私はこの場にカメラを持ってこなかったことを悔やんだ。

しばらくして出発。

アルコールが入った私はトイレに行きたくなり一旦場を離れる。戻ってきても同じように話が続いていたが、私もずっと聞き役だったし、そろそろ・・・と、挨拶をして自席に戻った。

暗くなった常磐線を583系が進んでいく。藤代−取手間のデッドセクションはかなりゆっくりと通過した。外も暗いので車内の電気が消えると真っ暗になるかと思ったが、そんなにも暗くならなかった。

そばに東急派のF2氏が立っていた。前席のB席に座っていたF1氏が後ろに身を乗り出して、「F2氏の手帳が面白い」と言う。どれどれとF2氏に頼むと見せてくれた。それは写真の撮影データで一枚ごとに撮影場所やシャッタースピードが書かれている。大変細かな記録であるが、撮影内容が著しく偏っている。F2氏はサークル内で1、2を争うであろう湾岸派であり、又唯一のコスプレイヤーの撮影をする人である。そのコスプレイヤーの写真が、電車の写真と同じフィルムに入っている。1枚目だけ電車で、あとの35枚はコスプレ写真だったりする。その反対に電車の写真が続いていると思ったら、最後のほうでコスプレ写真になっていたりする。イベントの参加記録も書かれており、それを見ると毎月必ずコスプレイベントに出ているようだ。こんなにもイベントがあるのも凄いが、それに細かく出ているF2氏も凄い。

「これ、声に出して読んだら凄いよ」とF1氏。

「東急2000系、東急8000系、JR205系と来て“ちょびっツ”・・・」と私が声に出して読むと周囲大爆笑。いつの間にか5人ぐらいに取り囲まれていた。

「電車の写真がずーっと続いているなと思ったら、ここでいきなり“セーラームーン”・・・」

周囲爆笑

前後をコスプレ写真に挟まれ、一枚だけ電車と言う不憫な写真もあった。

「俺でさえ声には出さなかったのに・・・」とF1氏。

ときどき知っているキャラクターの名前が見えてドキッとする。

電車は柏に到着。ホームには会社の行事で私と反対の往路のみの参加となったS3氏とA2氏がいた。2年下の後輩に当る二人は大変仲がよく、いつの間にか二人で同じ会社に就職していた。

お互い手を振って応える。

電車は柏を離れる。上野が近くなってきた。

せっかくカメラを持ってきたことだし、と周辺で適当に集まって写真を撮る。そのうちスーパーバイザーW氏がスタッフ紹介と今回の貸切についてのようなことを話し始めた。最初はそういうことは話さない予定だったはずだが、「もう終わりだし」というような形になったようだ。W氏本人が車内放送が好きだと言う事もあるのかもしれない。

かなり長かった。

電車は日暮里を過ぎる。終点上野は次である。

あろうことか、山手線の電車に抜かれながら、17:54、上野駅下のホーム14番線にゆっくりと滑り込んだ。

感慨にふけりながらゆっくりと電車を降りた・・・・と書きたいところであるが、私たち事務局員は車内点検の作業がある。583系は寝台電車である為、上段や中段の寝台がセットされていないかの確認作業をしなくてはならない。車両を巡回して確認。下車した。

14番線の日暮里側にはたくさんのマニアがカメラを構えて狙っている。方向幕は残念ながら「団体」であるが、583系と言うだけで凄い電車になっているのであろう。事務局員も先頭車脇に一旦集まる。そうしてやはり記念写真を撮ろうと言う事になった。そこでS1氏が「6時10分からスタッフで記念写真を撮りますのでお願いします。」と集まっているマニアに声をかける。

6時10分になって電車の前で記念写真。事前告知が効いて怒り出すマニアはいなかった。車内で販売もした半不良債権の「ひばり」「みちのく」それぞれの文字ヘッドマークも手前において写真を撮る。記念写真を撮るカメラの後ろから、マニアがその文字ヘッドマークだけに望遠して写真を撮っているのがわかった。

電車は6時20分ごろに尾久へと回送されていった。

ここで解散。「飲み会」というような話もあったものの、結局皆疲れたようで、解散となった。私は帰りの飛行機が8時10分だったので、どこに行くにも時間が半端であった。21時のいつもの最終便が取れていればかなり余裕があったのだが、満席であったから仕方ない。

21時の便なら、大山のグリーンマックス大山本店に行くとか、池袋のK-BOOKSに行くとか、18時半からのPiaキャロットの映画を見に板橋に行くとか、秋葉原をふらつきに行くとか、目黒の某ファミレスに行くとか、大阪で買えなかったキシャ会社のインレタを探すとか、いろいろしたいことはあったのだが時間がない。なんと言ってもあと二時間もない。

家に帰った人たちも多かったが、結構残っている。皆は尾久で車内清掃を終わった583系が18時54分にやってきて青森に向けて発車していく、それを待っているのだと言う。半端に時間がある私もそれにつきあう。団扇を貰ったA1氏に「せっかくの東京だからインレタ探したかった・・・」と言うと、「それならパサージュにあるかも。」と言う。パサージュは東京駅にある模型店で、京都のS3氏の友人K3氏が入社した店である。東京駅なら通り道だ。

「それなら早速行きましょう」と話がまとまり、「インレタを探すのでこれで」と皆と別れる。するとM1氏が「東京駅の書店に行きたい」と言う事で、3人で東京駅に向かう事にした。

上野駅から山手線の新型電車E231系に乗って東京に向かう。M1氏は「りんかい線と埼京線直通運転開始!」の中吊り広告を見て、「りんかい線から直通する電車は、行き先表示が“幕”の初期型ではなくて、“LED”の後期型だよ」とかなり細かい所に指摘を入れる。私はそれよりも、埼京線の電車の緑帯にいつのまにか細い白帯が入っているところが気になった。帯の色を変えたのかとも思ったが、違うらしい。幕かLEDかよりも、問題な気がした。

秋葉原も気に留めることなく東京駅に到着。この時点で45分で、結構時間がたった。急ぎたかったが、途中本屋に寄ったりして、パサージュに到着。パサージュでインレタを探すが、結局なかった。その他にとりあえず欲しいものも残念ながら見当たらなかった。K3氏とはS大の学祭以来6年ぐらい会っていなかったのだが、K3氏は私の事を覚えていてくれて嬉しかった。

パサージュを出る。東京駅八重洲北改札口のそばに「さくらや」があり、ポイントカードを持っている私は、購入履歴をつけたかったが時間がない。ポイントが1000ポイント以上あるというのに、1年半以上買い物をしていない。来年2月に失効の危険性があった。

7時15分過ぎに山手線内回り電車で浜松町を目指す。東京西部在住のA1氏も同行してくれた。

浜松町でお別れする。私はモノレールに乗り換えて羽田空港を目指す。以前から「羽田から都心へはモノレール」と決めていたが、一時京急線を良く使うようになったことがある。しかし、京急線では羽田行きの間隔が不均等かつ所要時間もバラバラで、しかも一回人身事故の影響を受けかけた事があり、それ以来避けるようになった。

羽田に無事到着。けっこう飛行機の時間までなかったので、お土産を買うこともなく飛行機に乗り込んだ。

千歳を午前9時55分に出発して、到着は午後9時45分。北海道を離れた時間は11時間50分しかなかった。
 
 

その数日後、旅行の前に東京在住のI氏から誘われていたキャラフェスのホームページを何気なく見て驚いた。キャラフェスが開催されたのは11月17日。私が参加した貸切その当日であった。