With・・

第1章〜Tokyo Life〜

 
「ふぅ〜・・」
 草薙紫音(くさなぎしおん)はパソコンに向かいながら小さく、そして少し深い溜息を付いた。
「課題多過ぎだって・・全く・・。」
 紫音はそう呟きながら、締め切りの迫った課題のレポートを纏める為に、キーボードを叩いた。
 先週初めから関東地方も本格的な梅雨に入り、開けた窓からは時折強くたたき付けるような雨音が聞こえ、それがまた紫音の気分を一層滅入らせていた。
「はあ〜、ちょっと休憩しよう・・」
 暫くパソコンと格闘していた紫音は、その雨音にうんざりするように椅子から立ち上がり一階へと降りていった。
 紫音の家は、3年位前に建てたばかりの二階建ての一軒家である。 一階にキッチンとリビング、それと和室兼書斎を、2階に紫音の部屋と両親の部屋を持つというそれほど大きい家ではないものの、一軒家を都内に建てるとなるとかなりの勇気と結構な財力が必要ではある。
 ただ、皮肉な事にその家を建てた当の本人が今は家に居ない状態になっていた。
「・・・やっぱり一人だと広いよなあ・・この家は・・。」
 一階のキッチンで飲み物を飲んでた紫音は、静まり返ってる部屋を見回してそう呟いた。

 紫音の両親は今、父親が今年の春からアメリカに転勤になってしまいそれに付き添う形で母親も一緒にアメリカに行ってしまった。
 その為、今この家には紫音が一人で住んでいるのである。
 実は転勤が決まったとき、紫音もアメリカに来るように両親から話があった。
 しかし、その話を紫音は断った。
 折角希望の大学に受かってそれを捨てる事に抵抗があったし、初めての一人暮らしを満喫したいとも考えていた。
 でも、一番の理由は・・・・。
(・・若菜、元気にしてるかなあ・・・)
 紫音は心でそう呟いて、愛する少女の事を思っていた。

 綾崎若菜・・それが紫音の愛する少女の名である。

 若菜と紫音の出会いは、二人が小学生の時に遡る。
 当時紫音は、父親の仕事の関係で日本各地を転々としていた。
 そして小学6年の時、紫音は京都へ引っ越してきた。
 そこで紫音は、若菜に出会ったのである。
 それから二人は、色々な出来事をくぐる中で気持を通わせていった。
 だが、そんな二人の時間は突然に終わりを告げる。
 父親の転勤が決まり、京都を離れることになったのだ。
 それから若菜は紫音への淡い想いと切なさを、そして紫音は若菜と過ごした時間を胸に、それぞれ違う時間を歩み始めた。
 だが紫音が高校3年になった時、ある手紙が紫音の元に届く。
 差出人も住所も書かれていないその手紙・・。
 その手紙にはたった一言・・「あなたに逢いたい」と書かれていた。
 そして、その日から紫音の新しい旅が始まった・・。
 今まで日本各地で自分が過ごして来た人達との再会・・。
 その中で紫音は京都で出会った若菜とも再会を果たした。
 あの頃の面影を残しながらも、素敵な少女に成長していた若菜・・。
 若菜はその紫音との再会を心から喜んでくれた。

 そして、あの頃を思い出すように若菜との時間を重ねて行く内に、
 紫音はあの時とは違う感情を若菜に抱き始めていた・・。 そして卒業式を真直に控えたある日、紫音の元に若菜から一通の手紙が届く。
「お話したい事があるので、逢いに来て欲しい・・」
 その手紙を読み、若菜の元へ向かった紫音は若菜の口からある事実を聞かされる。
 それは「あの差出人不明の手紙を書いたのは自分」と言う事。
 そして・・「初めて出会った時から、今も紫音の事をずっと好き」と言う事であった。

「聞かせてください・・貴方のお気持を・・」
 祈るようにずっと目を伏せ、その返事を待つ若菜に紫音は静かに答えた。

「僕は・・若菜の事が・・・・・・・・・・」
 時が止まったような沈黙の後、その言葉を聞いた若菜の瞳には涙が浮かんでいた。

「本当ですか?・・・」
 一筋の涙が頬に零れ、その思いを噛み締めている若菜を紫音は強く、
 そして優しく抱きしめていた。
「嬉しい・・こうして貴方と心が通じ合えるなんて・・」

「うん・・もう何処にも行かない・・ずっと若菜の傍にいるから・・」

 こうして二人は、「思い出の人」から「恋人同士」になったのだ。

 そして彼女は今、今まで暮らしていた京都から東京の大学に通うために単身上京してきている。
 自分の好きな人の傍にいたい・・・少しでも紫音の近くにいたい・・
 若菜はその一念で東京行きを決めたのだ。
 最初この事を聞いた時、紫音は正直驚きを隠せなかった。
 そして、それ以上に綾崎家、特に若菜の祖父はその事を聞いて驚愕し、猛烈に反対した。
 だが、若菜、そしてその若菜の思いを汲んだ紫音の熱心な説得でようやく許しを貰える事が出来たのである。
 だが、それには次の様な条件が付けられた。
「紫音が責任を持って東京での若菜の面倒を見る事」
 そして・・「もし、若菜が弱音を吐いたり悲しむような事になったら問答無用で紫音と別れさせ京都へ連れて帰る」
 と、言うものだった。
 最初、紫音は同じ東京に住むのだから今までよりも若菜に逢う事が出来る・・
 そう思っていた。
 だが、現実はそう甘くはない。
 紫音は大学が始まると大学の講義とその課題、そしてアルバイトに追われる毎日。
 若菜もまた、大学の講義と新しい環境の変化に戸惑う毎日・・。
 その為若菜と出会える時間も中々思うように取る事が出来ない状態だったのだ。
 それでも今までは何とか暇を見つけて二人で逢ったり、電話などを話したりしていたが、ここ数週間はその電話さえも出来ないくらいまで追われていた。


「もうこんな時間か・・」 紫音はキッチンの壁に掛かってる時計をふと見つめた。
 時計の針は午前2時を指していた。 「流石にこの時間じゃ電話は出来ないな・・」そう呟くと、紫音は頭をぐしゃっと掻きながら溜息を一つ吐いた。
(若菜もこんな気持で過ごしているのかな・・)
 心の中のそんな思いを写すかのように、雨音が静かに・・そして悲しい律動で家に響いていた。
  雨がまだ降りしきる明くる日の朝、紫音はまだ起き切っていない頭と体で大学へ行く準備をしていた。
 ・・鞄に纏めたレポートと教科書を詰め、洗面台で身なりを整える。
 そして朝食を取らずにそのまま靴を履いて登校・・。
 紫音は一人暮らしを始めてから、毎朝をそう過ごしていた。
 そして今日もいつものように準備を終えて、バイク通学の為のレインコートを着て玄関にあるヘルメットを取ろうとふと視線を移した。
「そう言えば・・・これもまだ、渡さないままだなあ・・。」 そこには二つのバイク用のヘルメットが置かれていた。
 一つは紫音が普段から使っているヘルメット。
 そしてもう一つは、若菜との約束の為に・・
「いつか、貴方と一緒にバイクで走ってみたい」と言う若菜の言葉を聞いて、若菜に内緒で買っておいたヘルメットであった。
 だがそのヘルメットはまだ一度も使われる事なく、この玄関に置かれたままになっていた。
「・・行って来るよ。・・若菜・・。」
 紫音はそう言うと、愛しい人を思いながらそのヘルメットをポンと叩き、自分のヘルメットを手に持って玄関のドアを開けた。雨はまだ、街中に・・そして心の中に降り注いでいた・・。








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